昨年の今頃は、家電量販店のテレビ売り場には、人が溢れていました。私も、つい、テレビを買った一人です。今年は?といえば、昨年の売上げの一割から二割の出荷台数とか・・・。正しいデーターではありませんが、そんな話を聞きます。
それでは、いつ買えばいいのでしょう?今回は、地デジ化でやむを得ない状況だったでしょうが、・・・???
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■テレビの価格競争
パナソニックが同社で第1号のテレビを生産したのは1952(昭和27)
年のことである。17インチ白黒で29万円もした。庶民には高根の花だった
が、低価格化が進み、50年代後半になると洗濯機、冷蔵庫とともに「三種の
神器」ともてはやされるようになる
60年には、カラーテレビを売り出す。これも17インチで37万円とい
う高級品だったが、60年代半ばになると一般消費者の手が届く値段になり、
今度はクーラー、自動車と合わせて「新・三種の神器」と呼ばれた
その後、テレビはハイビジョン、プラズマや液晶の薄型へと進化を遂げる
。だが、当初の高価格がすぐに下落する歴史は繰り返し、メーカーを悩ませて
きた。「画王」「ビエラ」などヒット商品を送り出してきたパナソニックも、
今年度中に看板事業の縮小に踏み切る
その決断の裏には、韓国や台湾企業に価格競争で勝てなくなった現実があ
る。部品を購入して組み立てればテレビが作れるようになり、差別化するのが
難しくなってきた。円高も重くのしかかる。ソニーもテレビ事業の赤字が続き
、立て直しを迫られている
「三種の神器」に沸いた高度成長期も遠い昔となり、テレビは長年維持し
てきた「家電の主役」の座を降りた。電機各社は新たな柱を求め、激しい戦い
を繰り広げている
パナソニックは今後、太陽電池やリチウムイオン電池など環境・エネルギ
ー分野に力を入れる方針だ。テレビに限らず、半導体などかつては日本のお家
芸といわれながら、アジア勢に取って代わられるパターンが相次ぐ。この国の
ものづくりを守っていけるかどうか、正念場を迎えている。
毎日新聞 2011年12月11日
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■小さな家の生活日記 家電は3年待ってから
11年前、欲しくて欲しくてしょうがない家電があった。大型の食器洗い機
である。娘0歳、息子4歳の共働き、核家族。疲れ果てて帰宅した晩、夕食の
皿をどちらが洗うかが夫婦喧嘩の種になることさえあった。
まとまったギャラが入った日、一も二も迷うことなく卓上型の食器洗い機を
買った。狭い賃貸マンションのキッチンには不釣り合いなほど大きく、しかし
そのわりに容量は小さいというしろものであった。まだ、その類の商品が出始
めの頃で、エコ機能などもなく、洗うのにもずいぶんと時間がかかった。
まもなくコーポラティブハウスを購入することになり、晴れてビルトインタ
イプの大型食器洗い機を導入した。高温で12分で洗い上げる厨房メーカーの
ものを選び、6年間、本当に毎日大活躍してくれた。
だが、コーポラティブハウスを人に貸し、もう少し広めの賃貸に住むことに
なってからは食器洗い機を使っていない。あれほど欲しかったものなのに、な
いとわかっても気にも留めなかった。
子どもが大きくなり、家事に注意を払ったり、それを楽しむだけの時間や心
の余裕ができてきたせいだろう。今は、食器を洗う時間が仕事と生活の気持ち
の切り替えになっていて、流水の音さえ心地よく感じられる。
これまで何度か書いてきたことだが、やはり家電には「必要どき」があるの
だと、食器洗い機のことを思うたびに実感する。
右も左もわからない新米母で、夫婦ともに不規則なフリーランス。保育園に
18時に迎えに行ってから超特急でごはんをつくり、風呂に入れ、寝かしつけ
たあとに原稿を書く日々の中で、頼れるものは何にでも頼りたかった。放って
おいても煮物ができる電気保温鍋や、すぐにお湯が沸く電気ポットもあの頃に
買い、数年使った後に手放した。
逆に、こんな失敗もある。友だちの家で出されたカプチーノのあまりのおい
しさに打たれ、上等なエスプレッソマシーンを買ったものの、朝も夜もゆっく
りカプチーノを味わう時間がなく、いつしか埃をかぶり、たまに淹れてみると
ボタンの動きが鈍く、そのうち故障していることに気づくありさまだった。
どんなに重宝しても、家族のライフスタイルとともに不要になる家電は少な
くない。また、エスプレッソマシーンのように、よその家のライフスタイルに
は合っても自分には合わないものもある。
かように愚かでもったいない買い物を何度もしてきたので、いまは家電を買
うなら「3年待とう」と自分に言い聞かせている。魅力的なCMやクチコミ、
たくさんの情報に惑わされず、5年後、10年後の我が家にも必要かを想像す
る。3年間恋い焦がれて、それでもまだ欲しければ買う。
3年も経てば商品も進化し、品質も上がる。そのとき、新製品の一つ前の型
落ち商品を安く買うとリーズナブルでよい。
なにより、「ない生活」に3年も耐えていると、「ないなりの術(すべ)」
を自然と身につけてしまうものだ。そのうち「なくても生きていけそう」と思
うことができれば、それがいい。
震災後はさらに、じっくりと考えるようになった。これは本当に必要か。必
要なら、たまにか、週に1度か、毎日か。いくらか自分に厳しくなった。
そんな私が3年待ち、「よし、今だ」と満を持して買ったのがお掃除ロボッ
トである。壊れかけた掃除機を長い間、だましだまし使っていたが、ロボット
に選手交代。新製品が出た直後に、一つ前の型のものが在庫一掃されるのを見
計らって底値で買った。
ひと月経つが、後悔はない。原稿を書いている間や外出中に部屋がきれいに
なっているのはありがたい。髪の毛や埃など、吸引力も見事だ。家中に掃除機
を掛けるという手間がなくなったので、土日の時間の使い方が変わった。今ま
で掃除にあてていた時間を、ほかの家事や用事に使える。そして、最大のメリ
ットは、ロボットさまが掃除機を掛けやすいよう、つねに床に物を置かなくな
ったことかもしれない。
今は、大きなゴミやちょっとしたスペースは棕櫚(しゅろ)のほうきで掃き
、それ以外はロボットさまに頼んでいる。5年、10年単位で見ても役だって
くれることは間違いない。
ただ、こういう家電との出合いは稀で、3年待っている間に思慕がしぼんだ
もののほうがはるかに多い。臭いの出ない電気の魚焼き機、水蒸気を使って低
カロリーな料理ができるオーブンレンジ、マッサージチェア、岩盤浴マット…
…。書くのもためらわれるようなものばかりだが、どうやら時短のための道具
から、健康のためのそれに指向が移行しているらしい。ライフスタイルは年齢
とも無縁ではない。
情報に踊らされず、自分のその場限りの欲望に惑わされず。家電の買い物は
「3年数えろ」の精神で、欲しい欲しい病の自分を律していきたい。
大平 一枝(おおだいら・かずえ)
朝日新聞 2011年11月7日
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■小さな家の生活日記 継ぎ当てをしたら生き返る「布」の話
よく行くお茶屋さんの女性店主(30代)は大の着物好きだ。昨夏、夕食に
招待したら楚々とした浴衣で現れた。手にはカゴと丸い風呂敷包み。中味は西
瓜だった。
玄関に着物姿の彼女が立つだけで、その場の空気がぱっと華やいだ。招いた
こちらまで、気持ちが浮き立つ。着物は、着ている人だけでなくその場に居合
わせた人までちょっぴり幸福にしてくれる。そう言うと、彼女はいたずらっぽ
く笑った。
「着物でバーに行くとね、お店の男の人がみんな親切にしてくれるの。そりゃ
あもう不思議なくらい、もう1杯欲しいなって顔を見上げただけでビールです
ねと、次がきちゃうんだよ」
なるほどわかるような気がする。そばにいる自分までこれほど気分が高揚す
るのだから、お店の人だってさぞかしうれしいだろう。ついつい着物姿に目も
行くだろうし、それを着ている人のグラスが空であるのにもすぐ気づくに違い
ない。ことほどさそうに、着物には人を惹き付ける磁力がある。
先日、その店主とからむし織り展に行った。からむし織りとは、苧麻(ちょ
ま)という植物で織った上布で、材料も稀少なうえ大変な手間がかかることか
ら、福島県昭和村や宮古(宮古上布)、越後(越後上布、小地谷縮布)など数
少ない産地にしかない。ギャラリーでは、思わず手を触れたくなるようなしな
やかで透明感のある着物にため息が出た。昭和初期の古いものが多く、継ぎの
ある着物もある。まるで昨日まで誰かが着ていたみたいにつやつや使い込んだ
光沢が印象的だった。
たとえば、70年も80年も前のドレスや洋服ならば、ここまで色あせずに
つやつやしているだろうかと想像した。すると、同行の彼女がつぶやいた。
「着物って不思議よね。継ぎ当てをすると、また布が生き返るんだから」
彼女曰く、着物の端切れで作った巾着一つも、継ぎ当てをすると別の表情に
なり一段と生き生き魅力的になるのだとか。
たしかに、京都の古布を扱う店でも似たような言葉をきいたことがある。
「着物は最後の最後まで使えます。仕立て直したり、子供用の着物にしたり、
座布団にしたり。たとえ5センチ四方に小そうなっても継ぎ当てという使い道
がありまっしゃろ? 継ぎをするとまた新しいデザインとして生き返って楽し
めますぇ」
古くなったものを捨てるのではなく、直して使う。そのうえ、繕いながら新
品時代とは違った魅力を足すという美意識と智恵は、日本ならではだと思う。
色を「やつれる」「育つ」と表現し、まさに歳月とともに色が育つ日本の着物
。この布の文化は世界に誇れる。
大変な高級品でなければ、古い着物は1万円以下で買える。若い人たちがア
ンティーク着物を好むブームも長く続いている。継ぎ当てをすることで生き返
る、着物の世界。私の知らないことがまだまだたくさんあるので、少し覗いて
みたいなと、とりいそぎ着付け教室を予約した。来年の夏は、自分で浴衣をさ
さっと着て、バーなんぞに行ってみたい。そうしたら私も優しくしてもらえる
だろうかと、淡い期待をしているのである。
大平 一枝(おおだいら・かずえ)
朝日新聞 2011年11月14日
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■小さな家の生活日記 数える幸せ、数えない幸せ
家というのは不思議だ。いつもあとひと部屋足りない。ひと部屋あったなら
どれだけ便利で暮らしやすいだろうとつい想像してしまう。
私の引っ越し好きは、飽き性と「あとひと部屋病」に起因すると自覚してい
る。
ところが友だちの中には賃貸のワンルームに10年単位で住んでいる人が何
人もいる。そのなかのひとりとこの間、食事をした。
「今の家、長いよね。気に入っているんだね」
と私が言うと、彼女はうなづいた。
「そりゃもうちょっと広いといいだろうなあとは思うけど、うち、1階の東南
角部屋なんだよね。朝から日が入って気持ちいいんだぁ」
別の友だちからはこんな言葉を聞いた。
「台所の窓から隣のビルの壁が見えるんだけど、蔦(つた)が絡まっていてそ
れを見るだけで癒されるんだよね」
本当に心の底から満足げだった。そのとき思った。足りないところを数えて
暮らすより、小さな「素敵」を数えて暮らした方がずっとしあわせそうだ……。
テレビで、あるタレントが「眠れない夜に、これをすれば絶対眠くなるとい
う方法を教えます」と話していたので見入った。「それは宝くじ1億円が当た
ったら何を買う考えるのです。あれこれ考えているうちにきっと眠くなります
よ」と彼はジョーク混じりに言い、観客はどっとわいた。
なるほどそれは楽しそうだが、一日の終わりにお金のことを考えたくないし
、欲しいものを数えていたら欲望がぎらぎらしてきて興奮して、とても私は眠
つけそうにない。
ものをおいかけていたら、結局ものにふりまわされることになる。手に入れ
ることが目的になって、最後まで使いきるとか、壊れたら大事に直して使うと
か、使う過程はどうでも良くなりはしないだろうか。それまで持っていたもの
は古くみすぼらしく見えて、また次に別の新しいものが欲しくなるのでは。
私はブランドものが全盛の時代に育ち、百円ショップやファストファッショ
ン全盛の今という時代もめいっぱい享受している。
その反面、捨てるススメは世の中に氾濫し、もはや持っていること自体が恥
ずかしいくらいのムードさえ漂い始めている
なんでもかんでもシンプルがいいとは思わないが(心を潤すその人だけの贅
沢な時間はあっていい)、少なくとも、もう足りないものを数えてほしがるの
だけはよしておこうと思う。そんなことをしても眠れなくなるだけだし、小さ
な素敵を毎日かみしめながら生きるほうが気持ちも体もラクそうだ。
私は、あとひと部屋欲しいと思って越したことを後悔はしていないが、欲し
い欲しい病の末に手に入れたこのかりそめの住まいを、もので埋め尽くすこと
だけはすまいと自分に誓っている。
春から夏にかけて節電で世の中が少し暗くなった分、キャンドルのようなほ
のかな明かりの心地よさや、別の効用に気づく人が増えた。「駅も町もそれほ
ど明るくなくてもいいとわかった」「なるべく一つの部屋で過ごすようにして
いたので、家族が仲良くなった。団欒が生まれた」という投書や街頭インタビ
ューを幾度も目にした。
少し電気を落とし、少しものを減らし、欲望の対岸にあるものに目を懲らせ
ば、隣の壁の蔦や朝日のまぶしさに似たささやかな幸せは案外すぐにみつけら
れるのかもしれない。
大平 一枝(おおだいら・かずえ)
朝日新聞 2011年11月21日