<第3章>社研部、動く。
〔3回〕 タバコの煙が身にしみる…?
いつのまにか11月も中旬となりました。7日は<立冬>で満月でしたね。
<立冬>の数日前、夜半に目覚めると部屋が白く明るいさまに驚いて窓を見ますと、カーテンの隙間から月の光が煌々と差し込んでいるではないですか。すると、思わず李白の漢詩『静夜思』が口をつきました。
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
――読下し文としては、「静かな夜の思い」と題し
牀前月光を看る
疑うらくは是れ地上の霜かと
頭を挙げ山月を望み
頭を低れ故郷を思う
寝台の辺りに差し込む月の光。あまりの明るさに窓の外を見ると庭は土が白く光ってまるで霜が降りたようだ。顔をあげ、遠くの山にかかる月を仰ぎみているうちに、遠く離れた故郷のことが偲ばれて自然とうな垂れてしまう――といった意味でしょうか。(※牀前=しょうぜん)
晩秋の夜半に独り月を愛で漢詩に浸るというのも風流でよろしい。なかでも「疑うらくは是れ地上の霜かと」の語感が好きですね。
え?ミツマメ君は「頭を低れ故郷を思う」んじゃなくて、ミツマメ君をポイ!と捨てていったオナゴの数々を思い浮かべ、その後ろ姿の追憶に涙しているのではないか…ですって?。。。。。。シ―――――――――ン。ボク泣いちゃう…。
■タバコの流儀
代々木高校において中学卒業と同時に入学した現役組は別にしましても、多くの生徒が在学中に<20歳>を迎えられたと思います。定時制高校で<20歳>を迎えると何かとややこしい現象が現れてきます。
そのひとつが「酒とタバコ」でしょうか。日本の法律では「酒とタバコは20歳になってから」となっていますが、まず守っている未成年者はいないでしょう。米国に短期留学した娘さんをもつ知人の話しによりますと、娘さんら未成年の留学仲間数人と女子会を催して盛り上がっていたところ、近所の方から「騒がしい」と警察へ通報されたとか。やってきた警官に「未成年の飲酒」を強くたしなめられ、事情聴取は厳しかったとか。危うく留学を中止し強制帰国になりそうだったとか。米国は州法によって異なるようですが、未成年者の麻薬や飲酒に厳しく対応しているようです。
代々木高校で同じクラスの学友が、ある日、下校途中にくわえタバコで歩いているところを教師に見つかり停学処分を受けたことがあります。私たち学友数名が「彼は20歳を過ぎているのでタバコを吸ったことで処分を行うのはおかしいのではないか」と学校に対し一応の抗議を行ったのですが、『生徒心得』違反であることで「1日の停学」処分となっています。『生徒心得』には次のように記載されています。(⇒画像をクリックすると拡大)

五、飲酒、喫煙
23、未成年者の飲酒・喫煙は法によって禁じられているのでこれを許さない。成年者であっても校内及び通学の際は厳禁する。
この条文は一見もっとものような項目ですが、『生徒心得』にいう「高校生は喫煙、飲酒をしてはならない」というのは基本的に普通校に通う16歳から18歳の未成年者を対象とした規則でしょう。しかし定時制高校生は年齢的に幅があり、当然、<20歳>を越えた生徒も在籍しているわけで、ここに問題が生じるわけです。下校時、喫煙していた学友は23項の「成年者であっても校内及び通学の際は厳禁する」に該当したということです。
彼が「停学処分」対処となった根拠は、『東京都立代々木高等学校学則』の第7章「賞罰」の第27条「学校長は教育上必要と認めた場合には規定により懲戒を行う。懲戒は退学・停学・謹慎・戒告とする」というものでしょう。
ところで『生徒心得』23項に「未成年者の飲酒・喫煙は法によって禁じられている」との条文の「法によって…」の「法」とは、何の法律でしょうか。
私たちが在校していた当時の、「未成年者の喫煙」を禁止していたのは「未成年者喫煙禁止法」という法律によるのですね。この法律、「満20歳未満の者の喫煙禁止を目的」に1900年(明治33年)に制定されています。この法律の特色は、独自に年齢を定めているので民法の成年年齢に依存しない(民法改正の影響を受けない)、独立規定型の法律となっている点です。
この法律の背景には、飲酒や喫煙が「青少年の身体が発達途中で有害である」との配慮があるからだと思います。しかし、未成年者の飲酒・喫煙を禁ずる法律が明治時代に成立していたというのには改めて驚きました。
戦後、民法改正に伴い1947年(昭和22年)に同法第1条の「未成年者」が「満二十年ニ至ラサル者」と改められています。その後、長らく法改正はありませんでしたが、未成年者の喫煙は飲酒とともに「青少年の非行」の温床への懸念から取締り強化を目的に、『未成年者飲酒禁止法』とともに2000年と01年に相次いで改正されています。
ちなみに、2000年に制定された「未成年者喫煙禁止法及び未成年者飲酒禁止法の一部を改正する法律」では、罰金の最高額が50万円に引き上げられ現在に至っています。
――実は、学友の喫煙に伴う停学処分が行われた当時、私たち生徒と学校との力関係は、学校側のほうが勝っていたので処分に対する抗議に対し「規則違反は、違反じゃ」との対応に、私たちはやむなく引き下がった経緯があります。この「力関係」というのは、69年に入って生徒側に比重が移ってきます。
■脚組んで雑誌を読みながら。紫煙たなびく…教室?
ところがですね。クラスの学友が下校中の喫煙で停学処分を受けたというのに、放課後、同じクラスの美少女系?女生徒が教室の片隅でひとり、脚を組んで雑誌を読みながら堂々とタバコを吸っていました。でも、彼女のタバコ吸う姿…眺めていますと絵になりますよね~♪ カメラ向けると「ニッコリ!」と笑うのですもの…ん?何か変。
【写真↓】こりゃ!ここをどこだと思っているんだ…タバコなんか吸ってぇ!! え。灰皿ですか?…ただいま、ただいま探してきます――ん?

写真の彼女。じつは入学間もない夏休みに、当時、親しかった学友と二人で映画『黄金の七人』を観たとき助演のイタリア女優ロッサナ・ポデスタを見てビックリ! この写真の女生徒とヘヤースタイルと目元がそっくり似ている。学友と二人で暗闇のなかで思わず「彼女だ!」と顔を見合わせたのですね。その日以来、陰では彼女のことを二人で「ポデスタちゃん」と呼んでいました。
でもタバコの彼女、ここに教師が現れたらどのように対応したのでしょうか…。
ともかく、午前部の女生徒というのは外見に似合わず堂々として、怖い存在でした…よ。
でもホントは彼女たち、心優しくて何か事が起きると真っ先に協力してくれる頼もしい存在でした、ね。
■酒とクラブ活動の関係
ところで、こと<お酒>に関してはですね。何と申しますか…さすがに校内で飲酒する生徒はいなかったと思うのですが。ミツマメ君の場合、69年の4学年の頃には仕事が休みの日には学内で遅くまで居残ってゴソゴソやっていましたので(⇒勉強以外を)、夕刻、教師が呼びに来て「ミツマメ君。メシでも食いに行かんか」と誘われることがたびたびありました。教師と一緒に下校して途中の食堂で食事を共にしたのですが、教師のほうから「飲むか?」といってビールをご馳走になったことがあります。これって、『生徒心得』23条の「飲酒・喫煙は…通学の際は厳禁する」に該当しますよね。教師のほうから規則、破ってんの!
何故、教師から誘われたかといいますと、その頃は「PTA問題」など学内の様々な課題を正攻法で生徒と学校側が論争していましたからね。といって、『高校紛争1969-70』(小林哲夫著=中公新書)にみられるように高校にバリケードを築いての激しい学園闘争ではなく、あくまでも教師側との「お話合い」でしたからね。日頃は何もなかったように振る舞っていましたから、時折、教師のほうから個別に食事や喫茶店に誘われたことがあります。
ある時、某教師から「君たちは反戦、反戦というが、僕らの戦中の酷い体験は君らには想像できないだろう…」といったことを言われ、なんだか「議論の論点が最初からズレているな」と感じたことがあります。
――ついでに申しますと、クラブ活動「社研部」では外での会合や新年会になりますと、顧問の教師が率先して酒盛りしていましたからね。「なんちゅうクラブ活動かいな…」と感激をもって参加していました。
〔3回〕 タバコの煙が身にしみる…?
いつのまにか11月も中旬となりました。7日は<立冬>で満月でしたね。
<立冬>の数日前、夜半に目覚めると部屋が白く明るいさまに驚いて窓を見ますと、カーテンの隙間から月の光が煌々と差し込んでいるではないですか。すると、思わず李白の漢詩『静夜思』が口をつきました。
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷
――読下し文としては、「静かな夜の思い」と題し
牀前月光を看る
疑うらくは是れ地上の霜かと
頭を挙げ山月を望み
頭を低れ故郷を思う
寝台の辺りに差し込む月の光。あまりの明るさに窓の外を見ると庭は土が白く光ってまるで霜が降りたようだ。顔をあげ、遠くの山にかかる月を仰ぎみているうちに、遠く離れた故郷のことが偲ばれて自然とうな垂れてしまう――といった意味でしょうか。(※牀前=しょうぜん)
晩秋の夜半に独り月を愛で漢詩に浸るというのも風流でよろしい。なかでも「疑うらくは是れ地上の霜かと」の語感が好きですね。
え?ミツマメ君は「頭を低れ故郷を思う」んじゃなくて、ミツマメ君をポイ!と捨てていったオナゴの数々を思い浮かべ、その後ろ姿の追憶に涙しているのではないか…ですって?。。。。。。シ―――――――――ン。ボク泣いちゃう…。
■タバコの流儀
代々木高校において中学卒業と同時に入学した現役組は別にしましても、多くの生徒が在学中に<20歳>を迎えられたと思います。定時制高校で<20歳>を迎えると何かとややこしい現象が現れてきます。
そのひとつが「酒とタバコ」でしょうか。日本の法律では「酒とタバコは20歳になってから」となっていますが、まず守っている未成年者はいないでしょう。米国に短期留学した娘さんをもつ知人の話しによりますと、娘さんら未成年の留学仲間数人と女子会を催して盛り上がっていたところ、近所の方から「騒がしい」と警察へ通報されたとか。やってきた警官に「未成年の飲酒」を強くたしなめられ、事情聴取は厳しかったとか。危うく留学を中止し強制帰国になりそうだったとか。米国は州法によって異なるようですが、未成年者の麻薬や飲酒に厳しく対応しているようです。
代々木高校で同じクラスの学友が、ある日、下校途中にくわえタバコで歩いているところを教師に見つかり停学処分を受けたことがあります。私たち学友数名が「彼は20歳を過ぎているのでタバコを吸ったことで処分を行うのはおかしいのではないか」と学校に対し一応の抗議を行ったのですが、『生徒心得』違反であることで「1日の停学」処分となっています。『生徒心得』には次のように記載されています。(⇒画像をクリックすると拡大)

五、飲酒、喫煙
23、未成年者の飲酒・喫煙は法によって禁じられているのでこれを許さない。成年者であっても校内及び通学の際は厳禁する。
この条文は一見もっとものような項目ですが、『生徒心得』にいう「高校生は喫煙、飲酒をしてはならない」というのは基本的に普通校に通う16歳から18歳の未成年者を対象とした規則でしょう。しかし定時制高校生は年齢的に幅があり、当然、<20歳>を越えた生徒も在籍しているわけで、ここに問題が生じるわけです。下校時、喫煙していた学友は23項の「成年者であっても校内及び通学の際は厳禁する」に該当したということです。
彼が「停学処分」対処となった根拠は、『東京都立代々木高等学校学則』の第7章「賞罰」の第27条「学校長は教育上必要と認めた場合には規定により懲戒を行う。懲戒は退学・停学・謹慎・戒告とする」というものでしょう。
ところで『生徒心得』23項に「未成年者の飲酒・喫煙は法によって禁じられている」との条文の「法によって…」の「法」とは、何の法律でしょうか。
私たちが在校していた当時の、「未成年者の喫煙」を禁止していたのは「未成年者喫煙禁止法」という法律によるのですね。この法律、「満20歳未満の者の喫煙禁止を目的」に1900年(明治33年)に制定されています。この法律の特色は、独自に年齢を定めているので民法の成年年齢に依存しない(民法改正の影響を受けない)、独立規定型の法律となっている点です。
この法律の背景には、飲酒や喫煙が「青少年の身体が発達途中で有害である」との配慮があるからだと思います。しかし、未成年者の飲酒・喫煙を禁ずる法律が明治時代に成立していたというのには改めて驚きました。
戦後、民法改正に伴い1947年(昭和22年)に同法第1条の「未成年者」が「満二十年ニ至ラサル者」と改められています。その後、長らく法改正はありませんでしたが、未成年者の喫煙は飲酒とともに「青少年の非行」の温床への懸念から取締り強化を目的に、『未成年者飲酒禁止法』とともに2000年と01年に相次いで改正されています。
ちなみに、2000年に制定された「未成年者喫煙禁止法及び未成年者飲酒禁止法の一部を改正する法律」では、罰金の最高額が50万円に引き上げられ現在に至っています。
――実は、学友の喫煙に伴う停学処分が行われた当時、私たち生徒と学校との力関係は、学校側のほうが勝っていたので処分に対する抗議に対し「規則違反は、違反じゃ」との対応に、私たちはやむなく引き下がった経緯があります。この「力関係」というのは、69年に入って生徒側に比重が移ってきます。
■脚組んで雑誌を読みながら。紫煙たなびく…教室?
ところがですね。クラスの学友が下校中の喫煙で停学処分を受けたというのに、放課後、同じクラスの美少女系?女生徒が教室の片隅でひとり、脚を組んで雑誌を読みながら堂々とタバコを吸っていました。でも、彼女のタバコ吸う姿…眺めていますと絵になりますよね~♪ カメラ向けると「ニッコリ!」と笑うのですもの…ん?何か変。
【写真↓】こりゃ!ここをどこだと思っているんだ…タバコなんか吸ってぇ!! え。灰皿ですか?…ただいま、ただいま探してきます――ん?

写真の彼女。じつは入学間もない夏休みに、当時、親しかった学友と二人で映画『黄金の七人』を観たとき助演のイタリア女優ロッサナ・ポデスタを見てビックリ! この写真の女生徒とヘヤースタイルと目元がそっくり似ている。学友と二人で暗闇のなかで思わず「彼女だ!」と顔を見合わせたのですね。その日以来、陰では彼女のことを二人で「ポデスタちゃん」と呼んでいました。
でもタバコの彼女、ここに教師が現れたらどのように対応したのでしょうか…。
ともかく、午前部の女生徒というのは外見に似合わず堂々として、怖い存在でした…よ。
でもホントは彼女たち、心優しくて何か事が起きると真っ先に協力してくれる頼もしい存在でした、ね。
■酒とクラブ活動の関係
ところで、こと<お酒>に関してはですね。何と申しますか…さすがに校内で飲酒する生徒はいなかったと思うのですが。ミツマメ君の場合、69年の4学年の頃には仕事が休みの日には学内で遅くまで居残ってゴソゴソやっていましたので(⇒勉強以外を)、夕刻、教師が呼びに来て「ミツマメ君。メシでも食いに行かんか」と誘われることがたびたびありました。教師と一緒に下校して途中の食堂で食事を共にしたのですが、教師のほうから「飲むか?」といってビールをご馳走になったことがあります。これって、『生徒心得』23条の「飲酒・喫煙は…通学の際は厳禁する」に該当しますよね。教師のほうから規則、破ってんの!
何故、教師から誘われたかといいますと、その頃は「PTA問題」など学内の様々な課題を正攻法で生徒と学校側が論争していましたからね。といって、『高校紛争1969-70』(小林哲夫著=中公新書)にみられるように高校にバリケードを築いての激しい学園闘争ではなく、あくまでも教師側との「お話合い」でしたからね。日頃は何もなかったように振る舞っていましたから、時折、教師のほうから個別に食事や喫茶店に誘われたことがあります。
ある時、某教師から「君たちは反戦、反戦というが、僕らの戦中の酷い体験は君らには想像できないだろう…」といったことを言われ、なんだか「議論の論点が最初からズレているな」と感じたことがあります。
――ついでに申しますと、クラブ活動「社研部」では外での会合や新年会になりますと、顧問の教師が率先して酒盛りしていましたからね。「なんちゅうクラブ活動かいな…」と感激をもって参加していました。