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都立代々木高校<三部制>物語

都立代々木高校三部制4年間の記録

【3Ⅱ-03】 集団就職の時代・その1

2014年04月28日 01時16分07秒 | 第3部 ゆるやかな日常
1960年代に地方の中学を卒業し上京、就職した経験のある者にとって、やはり避けて通れない問題として「集団就職」があります。ただ、誰もが集団就職によって仕事に赴いたとは限りません。現に私は単身上京し新聞配達店に就職しています。「集団就職の一団から一歩遅れて上京しましたです、ハイ」というのが私のウリ。

「だから何じゃ?」と言われれば「ハア…」としか答えようがありません。ひとつは「集団就職」という言葉が60年代の若者における就労の一形態としての社会現象だったからでしょう。ですから「私は社会現象とは一線を画しておりますです、ハイ」と抗ってみましても所詮、世の中は「アンタが何と言おうと、社会現象の一部に組み込まれていますなぁ」と言われるのがオチ。それは、若年労働者が集団ではなく独り上京する、いや、上京しなければならなかった―という現実の社会の在り方なのかもしれません。

代々木高校のなかに<集団就職>で上京していた生徒が何名いたのか分かりません。でも、生徒の出身地別アンケートの大半が地方出身者で占められていたことから、何らかの理由で<集団就職>により上京した生徒は多かったと思われます。ここで、<集団就職>の社会的背景を少し検証してみたいと思います。

■新聞の記事から
ここに一枚の新聞の切抜きがあります。作家・出久根達郎さんが自らのコラムに『勤労少年の時代』と題したエッセイです。2003年に掲載されたものですから、いまから11年ほど前の記事です。



出久根さんは茨城県出身。中卒後、集団就職で上京し古本屋へ就職。長年の古本屋修行ののち小説デビューして今日、古本屋を営む傍ら執筆活動を行っています。当欄執筆にあたって「集団就職に関する書物が見当たらない」と嘆いておられますが、こんにちでは<集団就職>に関する論文や書籍は幾つか出版されています。例えば『集団就職の時代』(加瀬和俊著)、『集団就職時代が日本を救った』(佐々木進著)など。その他、NHKの出版局から「集団就職列車」を取材、報道した内容を紹介した出版物もいくつか見受けられます。
また、『人はなぜ上京するのか』(難波功士著)は、江戸から東京へ移り変わってからの100年余にわたる「上京の社会意識」を時代ごとに人々の<上京>にこめた思い、また産業構造の変化や政治的・経済的・制度的な分析を含め、その背景を織り込んだ好著です。



1996年1月。NHKは、「1964年に東北の某寒村から集団就職で県外へ出ていった中卒者」の、その後の行動を追跡調査している東北大学・某ゼミの30年余にわたる調査・分析内容を放送していました。同ゼミの調査では、集団就職に至る動機や就職先での仕事・生活を毎年のように就職生本人に聴き取り調査するとともに、現在の生活を追跡していました。
実は、この調査・分析の取材対象となった「某寒村」とは私が卒業した集落の存在するエリアでした。私は先に述べましたように、「集団就職の一団から一歩遅れて上京」した身ですから当該調査の対象外でしょう。それでも放送を通じて、上京する時期の故郷の在りようがよく分かりました。

1960年代半ば、この寒村の置かれた東北一帯は数年にわたって寒冷に伴う農産物の不作と漁業の不漁が続き、半農半漁で生計をたてている農漁村の人々は生活が疲弊していたということが伺えます。事実、私が通っていた小中学校の生徒は百名足らずでしたが、みな貧しくて昼食は弁当を持参することができず、全校一旦帰宅して昼食を摂ったのち午後から再登校することが日課となっていました。

私が棲む集落からは毎年、中学卒業生のなかから数人が関東方面へ就職していきました。卒業式が終わって数日経った頃、就職生は集団就職列車に間に合うように学校前に停まった路線バスに乗り込み、在校生全員で見送りました。
数人が地元の高校へ進学。残る卒業生の半数が近くの町(といってもバスで小一時間)や遠く県庁所在地の商店や工場へと勤めに出ていました。残りの半数が地元で家業である半農半漁を手伝うことになっていました。そういうなかで、集団就職とはいえ東京をはじめ県外へ就職するということは、地元に残る卒業生にとっては羨望の的でもあったのです。

NHKの「集団就職」に関する大学のゼミによる追跡調査の放送から、すでに18年を経ています。その後の調査経過について再度放送されたものか知りようはありませんが、「集団就職の時代」を今日、社会現象いや経済現象として捉えなおす必要もあるのではないかと考えます。

なお、出久根さんは「集団就職を考案し実行した先覚者は、世田谷区の桜町商店街」と指摘しています。コラム末尾に、歌手の森進一が<集団就職>で就職した大阪の鉄工所で働いていたことに触れています。
私たちと同世代の<集団就職>を象徴する存在として、歌手で成功した<森進一>と全国で4名を銃殺し「連続射殺魔」といわれた<永山則夫>の二人は、集団就職時代の申し子といわなければならないでしょう。


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