手許に赤い表紙の『年輪』という冊子があります。(第3号=1968年11月発行)
代々木高校<三部制>のクラブ活動「文学部」が年に1回発行している文集です。<三部制>全生徒を対象に原稿を募集しており、身辺雑感から詩、小説、論説など掲載内容は多岐にわたっています。

なかには、匿名ですが女生徒と思われる方の『恋びとと別れてからは』という詩では、「――くるしくて胸が裂けても 泣くもんか泣けるもんか…」と結ばれており、身をつまされてしまいます。
ミツマメ君、キミ彼女の切ない思いの責任とれよ!…そうですよねぇ。何しろ両手に花いっぱいで、つい別れて―ん?とんでもございません! 身に覚えのないことで何んでボクが責任とらされるのですか~ボク、泣いちゃう…
この『年輪』、3学年のときに発行されたものですが、久々に再読して思わず笑ってしまったのが女生徒二名による自らの職場体験記です。同じクラスで学び生活しながらも女生徒とは仕事の話などしたことがなかったので、彼女たちの職場での体験や観察眼、仕事に対する考え方などが分かって面白く感じました。

『私の職業』と題する3年午前部のY・Tさんの文章。彼女は社員・社長夫婦を含め全6名の小さな製本関係の職場に勤めています。製本作業の具体的な内容を紹介したのち「長い間、同じ人達と毎日、顔をあわせ」ていると嫌なこともあり、「何度やめようかと思った」と述べています。
そうですよね。限られた職場空間に同じ人達と毎日、行動をともにしていると些細なことでも気になりますね。「何度やめようかと思った」という考え、「辞める」というのは誰しも一度は思い浮かべる考えです。時には「辞めます」と社長に面と向かって一言いうことを夢見て日々自分を慰めるのは、ある種の快感です。
Y・Tさんがどのような経緯で、この製本関係の職場に勤めるようになったのか分かりませんが、高校へは午前中に通って午後からの出勤なのでしょう。その分、夕方から夜にかけて仕事が続くのでしょうか。都会には軽印刷や簡易製本を行う業態は、Y・Tさんのところのように少人数の家内工業的な規模の工場が点在していました。
次に『私のアルバイト』と題した同じ3年午前部在籍のM・Hさんは八百屋さんでのお客さんとのやりとり、とりわけ女性客との対応がとても面白く感じます。「売り子という仕事は楽しいが疲れる」との一言に、彼女はほんとうに八百屋という仕事が好きなのだなぁ、と思う反面、休日出勤で家事が充分手伝えないことの愚痴。それは「雇先の言いなり」にならなければならないことへの不満ですね。
お二人に共通しているのは「今の職業は卒業とともに辞める」(Y・Tさん)、「同じ所へは、絶対に行かない」(M・Hさん)と末尾に記されており、現在の仕事から離れたいことへの思いです。
私も新聞販売店へ住込み結局6年間勤めましたが、辞める日の当日を何度も夢見て毎日を過ごしていました。「高校卒業後に退店」が店側と暗黙の了解でしたが、卒業後もしばらく店の寮に住み込んだまま新聞を配っていました。ある日、「今日まででいいよ」と店から言われ「ああ、そうですか…」てなことになりました。
荷物を整理しながら何となく切ない気持ちになったのは確かですが、辞める日のことを夢見ていたわりには、「終わった」という気がしなかったのが不思議です。
ところで八百屋へ勤めていたM・Hさんは自宅からの通勤ですが、製本関係にお勤めのY・Tさんは職場へは自宅からなのか、アパート住まい? 卒業とともに職場を無事辞めることができたのかしら? その後はどちらへ就職されたのかなぁ…。
代々木高校<三部制>のクラブ活動「文学部」が年に1回発行している文集です。<三部制>全生徒を対象に原稿を募集しており、身辺雑感から詩、小説、論説など掲載内容は多岐にわたっています。

なかには、匿名ですが女生徒と思われる方の『恋びとと別れてからは』という詩では、「――くるしくて胸が裂けても 泣くもんか泣けるもんか…」と結ばれており、身をつまされてしまいます。
ミツマメ君、キミ彼女の切ない思いの責任とれよ!…そうですよねぇ。何しろ両手に花いっぱいで、つい別れて―ん?とんでもございません! 身に覚えのないことで何んでボクが責任とらされるのですか~ボク、泣いちゃう…
この『年輪』、3学年のときに発行されたものですが、久々に再読して思わず笑ってしまったのが女生徒二名による自らの職場体験記です。同じクラスで学び生活しながらも女生徒とは仕事の話などしたことがなかったので、彼女たちの職場での体験や観察眼、仕事に対する考え方などが分かって面白く感じました。

『私の職業』と題する3年午前部のY・Tさんの文章。彼女は社員・社長夫婦を含め全6名の小さな製本関係の職場に勤めています。製本作業の具体的な内容を紹介したのち「長い間、同じ人達と毎日、顔をあわせ」ていると嫌なこともあり、「何度やめようかと思った」と述べています。
そうですよね。限られた職場空間に同じ人達と毎日、行動をともにしていると些細なことでも気になりますね。「何度やめようかと思った」という考え、「辞める」というのは誰しも一度は思い浮かべる考えです。時には「辞めます」と社長に面と向かって一言いうことを夢見て日々自分を慰めるのは、ある種の快感です。
Y・Tさんがどのような経緯で、この製本関係の職場に勤めるようになったのか分かりませんが、高校へは午前中に通って午後からの出勤なのでしょう。その分、夕方から夜にかけて仕事が続くのでしょうか。都会には軽印刷や簡易製本を行う業態は、Y・Tさんのところのように少人数の家内工業的な規模の工場が点在していました。
次に『私のアルバイト』と題した同じ3年午前部在籍のM・Hさんは八百屋さんでのお客さんとのやりとり、とりわけ女性客との対応がとても面白く感じます。「売り子という仕事は楽しいが疲れる」との一言に、彼女はほんとうに八百屋という仕事が好きなのだなぁ、と思う反面、休日出勤で家事が充分手伝えないことの愚痴。それは「雇先の言いなり」にならなければならないことへの不満ですね。
お二人に共通しているのは「今の職業は卒業とともに辞める」(Y・Tさん)、「同じ所へは、絶対に行かない」(M・Hさん)と末尾に記されており、現在の仕事から離れたいことへの思いです。
私も新聞販売店へ住込み結局6年間勤めましたが、辞める日の当日を何度も夢見て毎日を過ごしていました。「高校卒業後に退店」が店側と暗黙の了解でしたが、卒業後もしばらく店の寮に住み込んだまま新聞を配っていました。ある日、「今日まででいいよ」と店から言われ「ああ、そうですか…」てなことになりました。
荷物を整理しながら何となく切ない気持ちになったのは確かですが、辞める日のことを夢見ていたわりには、「終わった」という気がしなかったのが不思議です。
ところで八百屋へ勤めていたM・Hさんは自宅からの通勤ですが、製本関係にお勤めのY・Tさんは職場へは自宅からなのか、アパート住まい? 卒業とともに職場を無事辞めることができたのかしら? その後はどちらへ就職されたのかなぁ…。