在学中、クラブ活動にいくつか入りました。いや、「入りました」というのは正確ではありません。「デッチあげました」が正解です…というお話。

【写真↑】教室の正面に掲げられた「山岳部」ポスター
入学早々、背が高いこともあってバスケット部からお誘いがありましたが丁寧にお断りしました。早朝から新聞を配り夕方まで2回も数百段もの階段を登り降りしているので「運動はもうたくさん」というのは、内なる<表向きの理由>。
その実、少年時代に野球をやっていて球が飛んでこないことをいいことに、<自分の世界>にドップリ浸かってしまうという性癖があるので、バスケの試合中に仮想の「ミツマメ王子*女子応援団」なんて結成され…な~んて夢想の世界に陥る恐れが生じたからです。困ったものだ。

当時のメモをみると新1年生の頃は「美術部入部」と書いています。順当です。もっとも美術部で何をしていたのか覚えていませんが、「放課後、美術室で絵を画く」とのメモが残っているので美術室へ通っていたのでしょう。2年生まで続いています。クラブへ入ったのはその時くらい。
4学年のある日、「常日頃、写真を撮っているが画面を大きく伸ばしたいなぁ~」と悪魔の囁きが、ミツマメ君の人生の分かれ目。「金をかけず自由に使えて、上手くいけば女生徒と仲良く過ごせる美しい世界~」を夢見ていますと…その時、何故か頭のなかに灯がパチン!と点ったのです、よ。「写真部を作ればいい!!」と。
新校舎には暗室が設けられており現像用具一式が揃っていましたので、一計を案じました。こうなると何故か「モノグサ王子」のミツマメ君は悪知恵が働き、行動が早いですからね。
生徒会で「写真部」創設を面々と訴え(⇒勿論、女生徒との「美しい世界」なんておくびにもだしません)、顧問の先生を指名し了承を得て<クラブ発足>を万民の前で承認してもらったのです。ミソは「万民の前で承認」です…ヒヒ。
こうなると「合法的」に暗室を使え、自分のネガフィルムを幾枚も大判の印画紙に焼き付けることができるわけで、自らの「一計」に満足していました(⇒ちなみに大判の印画紙は自分で購入)。
当時、カメラは一眼レフの「ペンタックスAV」を使っていました。軽くて使いやすくレンズを取り外すことができ、何と言っても一眼レフ独特のシャッターを切ったときの「バシャッ!」という音は快感です。ただ焦点を手動で合わせなくてはならないので暗いところではピンボケになりがちですが、光線具合によってレンズの絞りとシャッター速度を自由に変更できる楽しみがありましたと。ただ、フイルムは扱いにくくカット数も限られています。
今日では、デジタルカメラや携帯電話(スマホ)の普及で「総写真家」の時代となって自宅でパソコンを用いて保存やプリントを自由に行えますが、当時は写真屋へ現像から焼増し一式を頼んでいました。でも、自ら写真の仕上げを行おうとすれば、画像を印画紙に焼付けるのに各種薬品を用いて現像し水洗いの後、乾燥機に乗せて乾かすという一連の作業を行わなければなりません。しかも酢酸を用いるので酢臭が暗室内に充満しています。
しかし手作りの面白さもあるわけで、現像液や定着液を調合しパレットに印画紙を浸す過程は、まさに「化学の実験室」です。また引伸し機を用いて印画する過程で時間調整や「あおり」と称する作業は、それなりの楽しみがあります。
そしてある日、クラスの美少女系女生徒2名を<美しい世界⇒暗室>に誘って、大きめの印画紙の上に2人を横にして顔だけ向い合せに並ばせて「目をシッカリ瞑っておくのだよ」と言って、引伸し機の強烈な光線で印画紙に直接2人の<顔シルエット>を焼き付けたのであります。(⇒我ながら女生徒2名を暗室に、よくぞ誘いこんだと思いますです。ハイ)
<オリジナル美少女フェイス・シルエット>の出来上がりデス。「キャー!ステキ。うれしい…!」と2人とも大喜びでした…オシマイ。
⇒3学年のとき、クラブ活動で「社会科学研究部」(社研)を作るハメになってしまったのですが、この件はいずれまた。

【写真↑】教室の正面に掲げられた「山岳部」ポスター
入学早々、背が高いこともあってバスケット部からお誘いがありましたが丁寧にお断りしました。早朝から新聞を配り夕方まで2回も数百段もの階段を登り降りしているので「運動はもうたくさん」というのは、内なる<表向きの理由>。
その実、少年時代に野球をやっていて球が飛んでこないことをいいことに、<自分の世界>にドップリ浸かってしまうという性癖があるので、バスケの試合中に仮想の「ミツマメ王子*女子応援団」なんて結成され…な~んて夢想の世界に陥る恐れが生じたからです。困ったものだ。

当時のメモをみると新1年生の頃は「美術部入部」と書いています。順当です。もっとも美術部で何をしていたのか覚えていませんが、「放課後、美術室で絵を画く」とのメモが残っているので美術室へ通っていたのでしょう。2年生まで続いています。クラブへ入ったのはその時くらい。
4学年のある日、「常日頃、写真を撮っているが画面を大きく伸ばしたいなぁ~」と悪魔の囁きが、ミツマメ君の人生の分かれ目。「金をかけず自由に使えて、上手くいけば女生徒と仲良く過ごせる美しい世界~」を夢見ていますと…その時、何故か頭のなかに灯がパチン!と点ったのです、よ。「写真部を作ればいい!!」と。
新校舎には暗室が設けられており現像用具一式が揃っていましたので、一計を案じました。こうなると何故か「モノグサ王子」のミツマメ君は悪知恵が働き、行動が早いですからね。
生徒会で「写真部」創設を面々と訴え(⇒勿論、女生徒との「美しい世界」なんておくびにもだしません)、顧問の先生を指名し了承を得て<クラブ発足>を万民の前で承認してもらったのです。ミソは「万民の前で承認」です…ヒヒ。
こうなると「合法的」に暗室を使え、自分のネガフィルムを幾枚も大判の印画紙に焼き付けることができるわけで、自らの「一計」に満足していました(⇒ちなみに大判の印画紙は自分で購入)。
当時、カメラは一眼レフの「ペンタックスAV」を使っていました。軽くて使いやすくレンズを取り外すことができ、何と言っても一眼レフ独特のシャッターを切ったときの「バシャッ!」という音は快感です。ただ焦点を手動で合わせなくてはならないので暗いところではピンボケになりがちですが、光線具合によってレンズの絞りとシャッター速度を自由に変更できる楽しみがありましたと。ただ、フイルムは扱いにくくカット数も限られています。
今日では、デジタルカメラや携帯電話(スマホ)の普及で「総写真家」の時代となって自宅でパソコンを用いて保存やプリントを自由に行えますが、当時は写真屋へ現像から焼増し一式を頼んでいました。でも、自ら写真の仕上げを行おうとすれば、画像を印画紙に焼付けるのに各種薬品を用いて現像し水洗いの後、乾燥機に乗せて乾かすという一連の作業を行わなければなりません。しかも酢酸を用いるので酢臭が暗室内に充満しています。
しかし手作りの面白さもあるわけで、現像液や定着液を調合しパレットに印画紙を浸す過程は、まさに「化学の実験室」です。また引伸し機を用いて印画する過程で時間調整や「あおり」と称する作業は、それなりの楽しみがあります。
そしてある日、クラスの美少女系女生徒2名を<美しい世界⇒暗室>に誘って、大きめの印画紙の上に2人を横にして顔だけ向い合せに並ばせて「目をシッカリ瞑っておくのだよ」と言って、引伸し機の強烈な光線で印画紙に直接2人の<顔シルエット>を焼き付けたのであります。(⇒我ながら女生徒2名を暗室に、よくぞ誘いこんだと思いますです。ハイ)
<オリジナル美少女フェイス・シルエット>の出来上がりデス。「キャー!ステキ。うれしい…!」と2人とも大喜びでした…オシマイ。
⇒3学年のとき、クラブ活動で「社会科学研究部」(社研)を作るハメになってしまったのですが、この件はいずれまた。