4.5 Sun
油小路~不動堂村。
あとちょっとだけ続きます。
・本光寺
壬生から歩いて戻って来て、西本願寺に面した大通りを入った細い道が油小路通り。
ここは伊東甲子太郎が暗殺される&伊東一派残党と新選組の乱闘「油小路の変」の舞台になった通りです。
新選組から離れて御陵衛士となった伊東が近藤暗殺を企てた(諸説あるみたいだけど)ものの、
その計画を知った近藤に先手を打たれたというのが通説。
本光寺は見つけられなくて大分ウロウロしました。
分からなくて、立ち止まって地図を見てたら声をかけてきた理容室のおじさん。
「どこ行きたいん?」
あ、えーっと。
この本光寺っていうのは…
「あぁ、それならあそこやな」
私たち、全く見落として通り過ぎていたようです。笑
一見すると普通の民家のような出で立ち…というか、扉が閉ってたからかな。
昔はこの角まで敷地があって門もそこまであったんやけどな、とおじさん。
斬られた伊東甲子太郎はこの寺に逃げ込もうとしながらも門前で絶命。
その時に寄りかかっていた石塔は、今は門の内側にあるのですが……。
「門の隙間から覗いたら見える」とおじさんが促してくれるので(笑)覗いてみたら、ほんとだ見える。
ていうか、きっとウチら2人だけだったらこんな大胆な事出来んかったと思うよ。笑
さらにその方からいろんな話を聞かせていただく。
当時はこの油小路がいちばんの大通りだった事もそこで初めて知ったり。
そのおじさんのおじいさまから聞いたという新選組にまつわる話も。
写真に撮ったこの伊東さん殉死の石碑が建った時には伊東さんの子孫の方も来ていたとか。
大河ドラマの影響で数年前はこの近辺も人で溢れ返っていたとか。
おまけに新選組縁の地を網羅した観光用の冊子などもいただいてしまい、本当に良くしていただきましたv
おじさんにお礼を告げて油小路を後にして最後にここへ。
・不動堂村屯所跡
西本願寺の境内での剣術訓練や大砲訓練を連発などなど、半ば嫌がらせな行為(笑)を繰り返した新選組。
これに我慢出来なくなった西本願寺側は費用を全て負担して不動堂村に新たな屯所を建設。
莫大なお金を払ってでも新選組に出ていってほしかった…のかも?
この不動堂村の屯所は敷地1万平方メートル、幹部の個室はもちろん、お風呂は一度に30人が入れるほど。
更には使者の間や客間もあって台所も広く、大名屋敷のような屯所だったらしいです。
広さと快適さで言えばこの屯所がいちばんだったのかな。
そんな広大で豪華な屯所で彼らが過ごしたのはたった半年。
慶応3年12月に引き払い、新選組は伏見奉行所に布陣して翌年には鳥羽・伏見の戦いが勃発。
いわば、京においての新選組最後の屯所というわけです。
今ではこの場所にはリーガロイヤルホテルが建っていて、面影は何一つ残っていないんだけど。
このホテルの前に屯所跡の碑がありました。
ここから伏見へ移った時に彼らの胸に過ったのはどんな思いだったんだろう…。
ここでタイムアップ。
私の帰りの新幹線の時間まで30分。
これじゃやっぱり池田屋跡とかいろいろ見どころ満載な河原町界隈には行けないね、ってことで。
ある意味新選組縁の地を巡る中で絶対に外せないポイントを諦めるハメになってしまいました。
…このブログでもそうだったように(笑)壬生で時間を費やし過ぎたな。
でも仕方ない。
壬生には新選組の影が見え過ぎるから。
150年近く経った今でも、その場に立つと情景が目に浮かぶようなリアルな感覚。
確かに彼らがそこに生きた証がたくさん残ってる、そんな場所でした。
池田屋方面と伏見は次回リベンジ!ということで。
うん、また絶対巡りに行こうと心に決めました。
自分の足で歩いて廻って、自分の目で見て肌で感じて。
新選組にますます魅了された京都での縁の地巡り。
いつか必ず函館に行く!という想いは更に強くなったわけですが。。
確信したね。
一本木関門があった場所に立ったら私は間違いなく泣くよ。
…痛いと言われようが泣く自信があります。
それを壬生で確信しました。
どんな創作小説やドラマの中の彼よりも、史実の土方歳三が好きだから。
なんて、最後はどうでもいいお話でした。
しかしこんなマイナーな観光ブログ、読んでくれた奇特な方はいるんだろうか。笑
♪:ピンクキラー