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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

カントリー・ロード

2009年11月16日 | アルバム「手作りの画集」
大学に入学した私がはまったもののひとつに登山がある。当時の登山装備は、そのころ吹き荒れたアメリカ西海岸スタイルのブームと関係があると思うが、バックパッカーの装備と旧来の登山装備が入り混じったような状態だった。

たとえばザックが昔ながらのキスリングだったり、バックパックだったり、飯盒を使っているかと思えばコッヘルを使っていたり(コッヘルはヨーロッパの登山文化)、ラジウスと呼ばれる灯油を燃料としたストーブのかわりに固形燃料を使ってみたり、といろんなものが混在していた。アメリカ西海岸を思わせるもので当時流行していたのが、シェラカップだ。たんに底の浅いステンレスの器に取っ手をつけただけのようなものなのに、みょうに気分はアウトドアだった。

雑誌「POPEYE」が創刊されたのが1976年のようだが、それ以前からアメリカ西海岸のアウトドア文化が紹介されていたように思う。イメージ的にはジョン・デンバーが「Take Me Home, Country Roads(故郷へ帰りたい)」(1971年)を歌っていたころから、アメリカ西海岸からさわやかで乾いた風が日本にも届いていたように思う。ジョン・デンバーは「Sunshine on My Shoulders(太陽を背にうけて)」(1974年)もヒットして、たしかCMでこの曲が使われ(GパンのCMだったか)、太陽を背に歩く青年の姿が記憶に残っている。

アルバム「手作りの画集」に収録された「カントリー・ロード」は、当時もああこれはジョン・デンバーの世界だなぁと思いながら聞いていた。二人の歩む未来を道にたとえているからカントリー・ロードなのだが、どちらかというとカントリー・ライフを歌っている。

「木綿のハンカチーフ」や「赤いハイヒール」でもそうなのだが、このころの松本隆作品では、都会はあまりいいものとしてとらえられてない。この曲でも「グレイの都会」と表現され、それに対して「ふるさとの町」は青い空と緑の丘、風の香りと土の匂いに満ちた世界とされている。歌詞の内容としては「赤いハイヒール」に似たような話で、「赤い~」が都会生活で壊れかけている女性に男性がふるさとに帰ろうと持ちかけている? 誘っている? のに対して、この曲では女性が男性に「私をお嫁にしてね」とお願い? している。

「お嫁にしてね」なんて台詞は、もう歌詞の中では二度と聴くことがないだろうね。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

いつか私が20才になって
ブルーのダットサン手に入れたら
ふるさとの町飛んでゆくから
ラララ 私をお嫁にしてね

青い空と緑の丘
こんな処であなたと
小さな家たてたい
Country Road
手をつなぎなさいな
いついつまでもはなれないよう
Country Road
さあ歩きなさいな
愛は果てない一本道だから

(略)


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