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太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

遠い夏休み

2009年11月09日 | アルバム「手作りの画集」
私は、父親が長男、母親が長女だったせいで、都会に行ったおじやおばは子供たちが(つまり従兄弟たちが)夏休みになると、実家である我が家へ子供たちを置いていって自分たちは帰ってしまうことがよくあった。従兄弟たちの相手をするのは、なぜか私の役目になることが多かった。兄は小さい子供の相手をするのが苦手だったのかいつのまにかいなくなり、弟は自分のことで手いっぱいで従兄弟どころでなかった。で、結局、私が相手しなければならなくなった。当時の写真を見ると、笑っている幼い従兄弟たちの隣で困ったような顔をした私が写っている。「都会の子供はなんてわがままなんだろう....」と思いながら相手をしていた、それでも楽しかった夏休みだった。

そんな夏休みを描いたのが「遠い夏休み」だ。たぶんこの曲の世界は、暑中見舞いが届き、その暑中見舞いで子供時代におにいちゃんのように慕っていたひとの結婚を知ったところから始まる。暑中見舞いで結婚を知るくらいだから、二人はもう縁遠くなってしまっていると思えるが、その瞬間に主人公の彼女は子供時代の遠い記憶をさかのぼり、いくつかの情景を描きはじめる。郷愁やノスタルジーを縦軸に過去の思い出をフラッシュバックのように描くという点では、「オレンジの口紅」に似ているが、これまで思春期や青春時代がほとんどの太田裕美作品ではめずらしく子供時代を描いている。

「ランニングシャツ」とか「カタコト首振る古扇風機」とか、さすがにもう見かけることがないものが登場している。私の故郷も大きく変わってしまい、田んぼが埋め立てられて住宅になってしまい、蛍を見かけることも、れんげ畑も見ることができない。大きな池もなくなって、忍者が使った「まきびし」も手に入らない。海は埋め立てられ、砂浜も岩場もなくなってしまった。それでもツーリングで山奥に行けば、こういう風景は日本にまだ数多く存在する。しかし、その光景の中で自分が登場人物として参加することは、もうないのだろうなと思うと少しさびしい気もする。

歌詞の中で、二人がどういう関係なのか、二人はいまでもその場所に住んでいるのか、遠く離れてしまったのかなど不明な個所があるが、この曲の歌詞に対してはなにも言うことがない。間違いなく完璧である。「つめたいインクの整った字」と真っ赤なクレヨンで乱暴に書かれた「好き」という字のくだりなど見事としか言いようがないように思う。アルバム発売当時、私は地味なこの曲も好きだったが、ネットの書き込みをみると同じように好きだった人がいることがわかって、意外といえば意外な気がした。

ひとつ不思議なのは、「遠い日の夏休み もう帰らない」というフレーズが1番と3番にあるのに、2番にないことだ。このことに30年以上私は気づかなかった。意図的にそうしていることはわかるが、その意味と効果が音楽的素養がない私にはよくわからない。2番にまでこのフレーズを入れるとおさまりがよすぎたせいなのか、これもある種の実験だったのか。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

あの夏あなたはランニングシャツ
小川で沢がにとって遊んだ
何にもわからずあとを追いかけ
転んで泣いてた私がいたわ
あなたにおぶられ夕焼け道で
広くてやさしい背中感じた
遠い日の夏休み もう帰らない

(略)


そういえば、私を困らせた従姉妹たちがいた。手を焼かせたわけではなく、女の子だったのでどう扱っていいかわからなくて困ったのだが、最近二人相次いで身を固めることになり、おばといっしょにほっとした。ひさしぶりにあって子供のころの話をしてみたら、従姉妹たちはまったくなにも覚えていなかった。そんなもんですよね。



1 コメント

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つい検索しちゃいました (パンのミミ)
2014-06-25 11:51:07
通りすがりでスミマセン。
昨晩の天気から一変、夏空を見てたら、「遠い夏休み」の曲が脳内再生されたので、つい検索して、読ませていただきました。
2番の歌詞の件は、おそらく、松本隆さんのマジックだと思います。その後、間奏(といってもイントロのリフレイン)になりますし。
お目汚し失礼いたしました。
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