Wikipediaでは「太田裕美」の「人物」欄は、「歌手であるが、ハイトーンの独特な声質や、ルックスの良さ(可愛さ)からアイドル視される事もしばしばあった。(中略) 歌謡曲を歌う庶民的なアイドル歌手と、1970年代に台頭してきたフォーク系歌手との中間的なイメージがあり、独特な位置づけの人気歌手になった。」という1行から始まっている。
う~ん。一般的には、太田裕美は「歌謡曲(ポップス)を歌うアイドル」という認識あたりが妥当なのだろうと思う。とくに「木綿のハンカチーフ」から彼女を知っているという人にとっては、少し子供じみた態度で舌足らずの調子で幼稚な歌を歌うアイドル以外の何物でもなかったのだろうと思う。
実際、「木綿のハンカチーフ」を始め、「赤いハイヒール」「最後の一葉」「しあわせ未満」など、ヒットしたほとんどの曲がまんま歌謡曲で(多少風変わりだが)「九月の雨」などは演歌っぽい要素すら入っているように思える。「歌謡曲を歌う庶民的なアイドル歌手」という評価は決して間違ってはいない。
しかし、「少し子供じみた態度で舌足らずの調子で幼稚な歌を歌う」は、私のようなものにはすべてが逆に思えた。いわゆるド真ん中!ストライクだったわけだ。こうした私のようなものは、どうもこの日本にはほかにもたくさんいたらしく、彼女のアルバムに聴き入り、ヒットした曲以外にも魅力を感じていたようだ。
シングルカットもされず、ヒットもしなかったアルバム曲の多くが「1970年代に台頭してきたフォーク」っぽい要素を持っており、アルバムまで買いあさり聞き惚れていたようなファンだけが、そのことを知っていた。
それにしても当時の太田裕美は、さまざまな意味で中途半端な存在だったように思う。
アイドルというなら、キャンディーズとか山口百恵とか、なんやかんやいた時代だ。いまでこそ、その当時のアイドルたちが引退したり、解散したために、相対的に太田裕美が浮上しているように思えるが、当時の人気をランキングにすることができれば、かなり末端にしか位置しなかったのではないだろうか。
といっても、じつは私はその当時のアイドルたちをほとんど知らないし、興味がなかった。それも当然で、「雨だれ」でデビューした1974年は高校2年生、「木綿のハンカチーフ」の1975年は高校3年生で大学入試を直前としていたのだから、いわゆるアイドルどころではなかったし、18歳を目前にしていた私にはキャンディーズとか山口百恵とかはガキじみていて、興味がわかなかったのだ。そんな中で太田裕美だけが気になり、興味を持つようになっていたのだが。
う~ん。一般的には、太田裕美は「歌謡曲(ポップス)を歌うアイドル」という認識あたりが妥当なのだろうと思う。とくに「木綿のハンカチーフ」から彼女を知っているという人にとっては、少し子供じみた態度で舌足らずの調子で幼稚な歌を歌うアイドル以外の何物でもなかったのだろうと思う。
実際、「木綿のハンカチーフ」を始め、「赤いハイヒール」「最後の一葉」「しあわせ未満」など、ヒットしたほとんどの曲がまんま歌謡曲で(多少風変わりだが)「九月の雨」などは演歌っぽい要素すら入っているように思える。「歌謡曲を歌う庶民的なアイドル歌手」という評価は決して間違ってはいない。
しかし、「少し子供じみた態度で舌足らずの調子で幼稚な歌を歌う」は、私のようなものにはすべてが逆に思えた。いわゆるド真ん中!ストライクだったわけだ。こうした私のようなものは、どうもこの日本にはほかにもたくさんいたらしく、彼女のアルバムに聴き入り、ヒットした曲以外にも魅力を感じていたようだ。
シングルカットもされず、ヒットもしなかったアルバム曲の多くが「1970年代に台頭してきたフォーク」っぽい要素を持っており、アルバムまで買いあさり聞き惚れていたようなファンだけが、そのことを知っていた。
それにしても当時の太田裕美は、さまざまな意味で中途半端な存在だったように思う。
アイドルというなら、キャンディーズとか山口百恵とか、なんやかんやいた時代だ。いまでこそ、その当時のアイドルたちが引退したり、解散したために、相対的に太田裕美が浮上しているように思えるが、当時の人気をランキングにすることができれば、かなり末端にしか位置しなかったのではないだろうか。
といっても、じつは私はその当時のアイドルたちをほとんど知らないし、興味がなかった。それも当然で、「雨だれ」でデビューした1974年は高校2年生、「木綿のハンカチーフ」の1975年は高校3年生で大学入試を直前としていたのだから、いわゆるアイドルどころではなかったし、18歳を目前にしていた私にはキャンディーズとか山口百恵とかはガキじみていて、興味がわかなかったのだ。そんな中で太田裕美だけが気になり、興味を持つようになっていたのだが。