goo blog サービス終了のお知らせ 

太田裕美について少し真面目に語ってみようか

35年の時が過ぎ、太田裕美についてあらためてもう一度考えてみようと思っています。

六月天

2009年12月04日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
ご存知のかたも多いと思うが、「六月天」というのは「木綿のハンカチーフ」の広東語バージョンである。歌っている人の名前もわかるが、このブログの文字コードが「EUC-JP」なので中国語繁体字が表示できないため、書くことができない。

歌詞を画像としてアップロードしてみた。うまく表示できればいいのだが。妻が広東語を読み書きできるので、どういう意味なのか聞いてみたところ、六月の海辺を二人で歩きながら.......忘れた。まあそういう意味らしい。「六月天」でGoogleで検索するとヒットする。

「木綿のハンカチーフ」は北京語(台湾)バージョンもあるらしいが、そちらはまた歌詞が違うようだ。妻は北京語も読み書きできるので、いつかその歌詞の意味を聞いておこう。忘れなければいつか紹介したい。



以下追記

最初『「木綿のハンカチーフ」は北京語(大陸)バージョンもあるらしい』としたが、大陸でなく台湾で発表されたようなので、一部修正した。

コメントで指摘していただいたように、いわゆる中国語は実際にはかなりたくさんの言語に分類することができて、大きく分けても「北京語」「広東語」「上海語」とか「長沙語」とかたくさんあるようだ(7つの大方言。正確には、北方、呉、かん、湘、びん、客家、えつ)。これらは「方言」とされているが、広東語だけで7000万人とか8000万人の人口がいるらしい。まあ面積も人口も日本人には想像できないような規模なので、方言と言っても日本の人口くらいの規模になってしまう。

歴史的には、中国共産党が北京語(正確には北方方言の役人が使う言葉(官話)というらしい)をベースに「普通話」(文中では日本人にわかりやすく「北京語」としている。「プートンホア」みたいな発音)を制定した。一方、台湾に脱出した国民党は北京語をそのまま使っていたため、台湾も北京語ベースになっていて、台湾ではこの言葉を「國語」と呼んでいる(「台湾語」と呼ぶともともと台湾に住んでいた民族の言語を呼ぶらしい)。俗説では、台湾の「北京語」は大陸の中国人が聞くと「おねえ言葉」のような感じに思えるようだ。日本でいうと京都のお公家言葉みたいな感じだろうか。

文字に関しては、中国共産党が簡体字政策を進めたため、大陸では簡体字が使われ、台湾ではそのまま繁体字が使われ続けた。現在、大陸「北京語ベースの普通話-簡体字」、台湾「北京語ベースの國語-繁体字」、香港「広東語-繁体字」みたいな状態になってしまっている。

とまあ、いちおう説明らしきものをしてみたが、自信はない。ほとんどが妻からの話の聞きかじりである。この追記がまたもや誤っている可能性もある。情けなや.....

ガラスの腕時計

2009年12月03日 | アルバム「12ページの詩集」
いったい午前2時57分になにが起こったのだろうか?

「12ページの詩集」に収録されている「ガラスの腕時計」という曲には午前2時57分で止まってしまった時計が登場する。午前2時57分といえば、午前3時3分前で、年寄りならもう2時間くらいで起きだしてくるような夜更け過ぎである。

う~む。二人はいっしょに暮していて、そのうち彼がぐれはじめて、なかなかまっすぐ帰ってこなくなり、その日もバーかなにかで飲んだくれていて、もうじき夜も明けるような午前3時ころ酔っぱらって帰ってくる。彼女はずっと起きて彼を待っていた。帰ってきたとたん口げんかになって彼は家を出ていってしまった....もう彼は二度と帰ってこなかった、というような状況だろうか....

この曲でも二人がうまくいかなくなった原因は不明だ。ただ「あの人の心を変えた いじわるな季節の流れ」としか語られていない。もしかしたら彼は彼女にあきたか、なんか嫌気がさしてほかの女に手を出していたかもしれない。口げんかはそんな痴話げんかなのかもしれない。修羅場?? と妄想はどんどんふくらんでしまう。

とにかくこの曲では、そのときから時間が止まってしまった女性の心理が歌われている。彼女はもしかしたら彼からもらったかもしれない腕時計に小石をぶつけて壊してしまう。腕時計のガラスはひび割れ、針が止まってしまった。短針と長針の二つの針は、彼と自分のようで、止まってしまった二つの針はもう二度と重なりあわないことを思い知る。腕時計はなにかの象徴かもしれない。

女性はかつてのように「自分のこんなところが悪かったんだわ。あんなところが悪かったんだわ」とただ反省するようなことはなく、かといって彼のどこが悪いといって恨むようなこともない。ただ時間がたち、彼が心変わりした。悪いのはいじわるな季節である。

この作品では、萩田光雄が作曲と編曲の両方をてがけていて、そんなところで「12ページの詩集」に収録されたようだ。松本隆が「12ページの詩集」を「一回休み」と評していたが、12曲のうち5曲の作詞を担当しているので、この曲の作曲と「カーテン」の編曲しかしていない筒美京平のほうが「一回休み」状態だ。

1番の「小石ぶつけたぁ~」のところで太田裕美の長~く伸ばした声を聴くことができる。はかってみたら、1分3秒あたりから1分17秒あたりまでで、その間およそ14秒間くらい。とてもきれいな声だ。2番の「悲しみを繕い止めているぅ~」のあとには「あなたは黒い歯車 わたしは白い歯車 噛み合わないままに 月日が空廻り」という語りがあって、1曲で2回楽しめる(笑)。

よく聴いてみると、舌たらずっぽい歌い方あり、ある人いわく「風邪声」っぽい歌い方(私いわく鼻をつまんだ歌い方)あり、きれいな伸ばした歌い方ありで、けっこうこの曲はこのころの太田裕美の声と歌い方が詰まっている。

ところで歌詞カードには「悲しみを繕いとめている」とあるのだが、そのまま読めば「つくろいとめている」なのだが、聴いてみると「くいとめている」としか聴こえない。そんな読み方あったっけ? あて字? あて字だとするとなんかへんなあて字のような気がしてならない。

作詞:松本隆 作曲・編曲:萩田光雄

あの日から動かない
腕時計があるの
はかなげに淋しげに
時間が止まってる
あの人の心を変えた
いじわるな季節の流れ
何故かしらとても憎くて ああ
文字盤に小石ぶつけた

(略)


かなしみ葉書

2009年12月01日 | アルバム「心が風邪をひいた日」
アルバム「心が風邪をひいた日」では「夕焼け」の次にこの「かなしみ葉書」という曲が続く。彼から一枚の絵葉書が届き、別離の言葉が書かれている。それを読んで彼女が泣く。というアイドル歌謡曲? みたいな曲である。

このころの太田裕美作品のほとんどのように彼女は彼をけっして悪くは思わない。「あなた遠い町でさよなら書いたのは せめてもの私へのいたわりね」となってしまう。私なんかは、別れ話をちゃんとしないで絵葉書で書き記すなんてあまりよくないんじゃないかと思うが、彼女はそうは思わない。しかし、吊り橋の写真を見て「吊り橋の写真 選んだ理由は 心の架け橋がなかったせいかしら」となるとまるで暗号解読のような気がしてしまうなぁ。

それはともかく「旅立ちの前にここに来たあなた せめてその隣に私を横たえて なぐさめる事ぐらいできたはずだわ」である。う~ん。「その隣に私を横たえて なぐさめる事ぐらいできた」とは....そういうこと? 裕美ちゃん、それはいけないと思うんだよ、おじさんは、とPTAのような気になってしまう。

それもともかく「去りゆく季節を追いかけてみても あなたはもう帰らないの」にあるように、松本隆作詞の世界で別離の原因が出てくるとこのころから「季節が変わった」「時間がたった」というように時間の流れで別れることになったということになっている。

現実的には、彼か彼女かのどちらかか、あるいは両方に原因があったように思うが、原因はすべて時間の経過である。時間の経過が原因なので、巻き戻すわけにはゆかず、ただ主人公は悲嘆にくれるだけである。これでは進歩がないではないかと憤慨しても始まらない。それがこのころの太田裕美の世界なのだから。ああ。

作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

泣きはらした目に絵葉書が揺れる
あなた遠い町でさよなら書いたのは
せめてもの私へのいたわりね

吊り橋の写真 選んだ理由は
心の架け橋がなかったせいかしら
やさしさを読みとれば胸がつまるわ

あなたと私の淋しさを足せば
それが愛と信じていたの

(略)



湘南アフタヌーン

2009年11月30日 | アルバム「12ページの詩集」
「湘南アフタヌーン」というタイトルの曲がいくつかあるらしい。まずブルー・コメッツでオルガンやピアノ担当だった小田啓義(ひろよし)が作曲し、葛原直樹という人が作詞し、南マリアという女性が歌っていた「湘南アフタヌーン」(1982年4月25日)。私は南マリアという人にまったく記憶がない。シングル盤の写真を見るとインディアンのような衣装で歌っていたのかもしれない。

次に、元ザ・ワイルドワンズのドラマー植田芳暁を中心に結成されたサーフ・ライダーズというバンドが1978年6月に発表した「時代遅れのラブ・ソング」に収録されている「湘南アフターヌーン」。

時代からすると「12ページの詩集」に収録された「湘南アフタヌーン」が一番最初のようだ。この「湘南アフタヌーン」はかぐや姫にいた山田つぐと(パンダ)が作曲している。パーパパーパパパーパラパラパッパーみたいな調子で始まるこの曲は、パンダらしくやけに景気のいい感じだが、歌詞を眺めてみるとけっこうきびしい歌詞である。歌詞は松本隆だ。

1番は電車でやってきて浜辺に向かうシーン、2番は年老いた漁師と浜辺で出会うシーンと続く。電車(汽車)が何線なのかだが、タイトルが「湘南アフタヌーン」なので場所は湘南なのだろうが、湘南電車(東海道線)だとすると茅ヶ崎とか平塚とかあのへんになりそうだ。サーフィンがさかんな土地だ。妻はそこの育ちだが、地元ではサーファーのことを「海乞食」と呼んでいたらしい(笑) 私にはなんとなく鎌倉や逗子のあたりに思える。そうだとすると横須賀線ということになる。

「流れゆく冬は影絵ね」というのはいまいちわからないが、「白ペンキめくれたボートが 焦げた夏名残らせいていた」というのはうまいなぁと思う。普通だと「ペンキがはげる」とおきまりの表現になってしまいそうだが、たしかにペンキが固まってまるで皮がむけたようになっていることがある。「焦げた夏」というのもかなり暑かった感じがしてくる。

きびしいのは3番である。「ひざまでの波のつめたさ 死ぬ気など消え失せるだけ 流木を集めたたき火に ばかだねと泣くいくじなし」。死ぬ気があったかなかったかわからないが、海に入ってひざまでくらいの深さまで行ったとき、その波の冷たさに「ハッ」と我にかえる。浜辺に戻り、流木を集め、火をつけて暖をとるうちに自分のおろかしさに涙が出てくる。「いくじなし」というのは、死ぬ勇気がなかったからではなく、つまらないことで死を選ぼうとした自分に対してか。ま、この曲の歌詞はこうしてへたな説明をしてしまうとどんどんつまらなくなってしまうので、もうやめておく。

「想い出は海を渡って 昔から吹いてくるのよ」というフレーズが繰り返されるが、歌詞カードを見ると1番と3番は「想い出」で、2番だけなぜか「思い出」になっている。これって別に深い意味はないんだろうな。たんに書き間違え?

作詞:松本隆 作曲:山田つぐと 編曲:萩田光雄

汽車の窓 頬杖つけば
流れゆく冬は影絵ね
旅人の振りして浜辺を
横切ればあなた住む町
想い出は海を渡って
昔から吹いてくるのよ
くちびるがまだ寒いのは
人恋しさのせいでしょう

(略)



また一回休み

2009年11月29日 | あまり関係のない話
「永チャンのコンサートに行かんか?」と電話をしてきたのは、学生時代に開かれた太田裕美のコンサートを用務員室でただ見した男である。矢沢永吉か....そういえば私は1982年ころ? 永チャンがアメリカに進出したころに武道館に行ったことがあった。すでに25年以上も前の話だ。それまでのド演歌ロックから軽快な「ROCKIN' MY HEART」に切り替えたころで、けっこう私は好きだった。しかしなぜいま矢沢?? と思ったが、一計を案じて行くことにした。さすがに永チャンのコンサートではキャツもそうだれを誘っていいというわけでもないだろう。

県民ホールで行なわれた永チャンのコンサートは、コアなファン? が多くて少し閉口した。最後のノリの頂点のころ、ファンはタオルを上に投げるのである。何度も何度も。25年前にはタオルを首に巻いているのはいたが、みんなしていっせいに投げるような真似はしなかったはずだ。いつから.....こういうコアなファンというのが、なんか苦手だ。結果的に普通の人々を排除してしまうようで。まあ、ファンはどうでもいいが、永チャンのボーカルは昔とは比べようもないほどすばらしい。昔は巻き舌を使ったようなへんな歌い方だったが、いまはとても素直な歌い方で、心に響くようないい声で歌う。もしかしたらいまの男性ボーカルで何本かの指に入り、しかもかなり上位なのではないかと思った。

ま、永チャンはともかく、私が案じた一計とは永チャンのコンサートに行くかわりに太田裕美のコンサートに行かないかというプランであった。永チャンと裕美ちゃんをバーターにするのもなんだが、ひとりで太田裕美のコンサートに行くほどの根性は私にはない。ただ見男は一瞬びっくりしていたが、なんとか納得した。

で、調べてみた。来年1月の終わりごろにあるらしいが、げっ、所沢ではないか....ただ見男なんか横浜の桜木町在住である。行っていけないことはないが、金曜日だと早退させるしかない。どうしたもんか.....