私が鬱病になり、対人恐怖症になり、昼夜逆転に近い生活になり働けなくなってからもう15年くらいになる。その間、母親の介護生活に突入したこともあるけれど、今となってはもはや毎日タイムカードを押して出勤退社する、いわゆる“お勤め”をすることは不可能だと思われる。
私が自分はアリではなくキリギリスだと悟ったのは、セツ・モード・セミナーに入学した22歳くらいの時だった。
しばらく前に新聞におもしろい記事が出ていたので切り取っておいた。それは「働かないアリになろう」という小文で、それによるとアリは皆同じようにえさを運んでいるように見えるけれど、実はその中の一割から二割は何もしていないのだという。しかもその二割を取り除いても、また二割が働かなくなる。これはどういうことなのだろう。解釈はいろいろあるが、環境の変化に対応する力、つまり種を維持するために必要な幅であるという見方に、私は共感する。単一の遺伝子では繁栄しないということだ。さらにインターネットで検索すると、おもしろい新聞記事を見つけた。
働かないアリはえさ集めの効率は悪いが、うろうろする分、新しいえさに出会うチャンスは大きいというシュミレーションがあるらしい。怠け者のほうがいいと言うつもりはないが、ちょっとほっとする話ではないか。という内容だった。
私はアリたちが働いている脇で、ロックンロールしているキリギリスなのは間違いないけれど、
視点を変えれば働かないアリだとも言える。
私が自分はアリではなくキリギリスだと悟ったのは、セツ・モード・セミナーに入学した22歳くらいの時だった。
しばらく前に新聞におもしろい記事が出ていたので切り取っておいた。それは「働かないアリになろう」という小文で、それによるとアリは皆同じようにえさを運んでいるように見えるけれど、実はその中の一割から二割は何もしていないのだという。しかもその二割を取り除いても、また二割が働かなくなる。これはどういうことなのだろう。解釈はいろいろあるが、環境の変化に対応する力、つまり種を維持するために必要な幅であるという見方に、私は共感する。単一の遺伝子では繁栄しないということだ。さらにインターネットで検索すると、おもしろい新聞記事を見つけた。
働かないアリはえさ集めの効率は悪いが、うろうろする分、新しいえさに出会うチャンスは大きいというシュミレーションがあるらしい。怠け者のほうがいいと言うつもりはないが、ちょっとほっとする話ではないか。という内容だった。
私はアリたちが働いている脇で、ロックンロールしているキリギリスなのは間違いないけれど、
視点を変えれば働かないアリだとも言える。