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靖国再考

2006年01月15日 19時38分51秒 | 

自民総裁選、今後の選挙に勝てるかが大きな要素=小泉首相 (ロイター) - goo ニュース

 先日見た「男たちの大和」のような戦争映画あるいはドラマを見ると、やはりどうしても靖国神社のことを考えてしまう。

 個人的には靖国神社に参拝したいと思う。小泉首相は、靖国参拝は「心の問題」であるとし、先の戦争でなくなった人たちに、尊い命の犠牲の上にこれまでの日本の発展があることへの感謝と、あの悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いを捧げる。このことに私は何の異存もない。こういうことに少しの理解も示さない隣国の意見など聞く必要はないのである。

 こう考えると靖国問題は外交問題ではない。では、内政の問題であるとして、どう考えなければならないか。小泉首相の言動から察するに、外交的にのみならず、内政的にも、「心の問題」であるとして、とやかく言われたくないと考えているように思われるが、それでいいのだろうか。

 それは違う。小泉首相は自分の信念を「参拝」という形で対外的に表出しているのであり、もはや「心の問題」にとどまらない。「心の問題」というなら、たとえば東条英機を崇拝しているとしても、心の内部にとどめている限り、それは全くの自由である。小泉首相が東条英機を崇拝しているとは思わないが。

 問題なのは、小泉首相がどういう信念を持っているか、ということではない。小泉首相が内閣総理大臣という地位にあって、「靖国神社」という一宗教施設に過ぎないところに参拝することが憲法上許されるのか、ということである。

 結論から言うと、以前から考えている通り、内閣総理大臣が靖国神社に参拝することは憲法20条3項に違反し、許されない。目的効果基準に照らしても、総理大臣の主観がどうであれ、参拝行為を客観的、外形的に評価すれば、宗教的意義を有するものと言わざるをえない。靖国神社が他の宗教団体とは異なるという印象を国民に与え、それは靖国神社および神道への援助、助長である。よって、国と宗教の過度のかかわりあいが認められる。

 昨年10月、大阪高裁判決の傍論の中で、裁判官が「靖国参拝は違憲」と述べたが、これに対して、「これは傍論なんだから無視すればいい」「国側は上告もできず、反論の機会も奪われ不公平だ」云々の意見が出た。たしかに、傍論には法的拘束力はない。だが、公務員その他は、憲法99条で憲法尊重擁護の義務が規定されている。

 裁判があろうがなかろうが、憲法と自分の行動をあわせ考え、その関係におけるハードルをどうクリアするのか。つまり、小泉首相は自分の行動が、なぜ政教分離には反しないといえるのかを明らかにしなければならない。イラクに自衛隊を派遣する際には憲法前文を持ち出し、その正当性を主張したが、都合のいいときだけ、自分の言いように解釈して憲法を持ち出すことが許されるのだろうか。

 「心の問題」であるというのなら、靖国神社でなくとも、静かに御霊に手を合わせる、それで十分ではないか。であるから、A級戦犯を分祀するとか、形だけの国立追悼施設を作るなんてことは考えなくてよいのである。靖国神社は今のまま存続し、それに政治が関わらなければ済む話である。

 ※ちなみに、今朝のサンデープロジェクトに民主党の前原代表が出演していた。迫力がないとか、統率力がないとか言われているが、今朝の田原氏とのやりとりをみていると、しっかり自分の立場を明らかにしていて聞いていて心地よいものも感じた。この人の下で、一致団結とまでは言わなくても、政権を現実的に担える集団であると国民にアピールできれば、自民党なんて簡単に打破できるのではないかと、思えた。

 その発言の中で、靖国には参拝しないと述べていた。他に興味深かった点、集団的自衛権を含む憲法改正の問題、女系天皇は認めても良いとの述べていたが、その皇位継承の問題、この2つはまた後日、考えをまとめたい。