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P の本棚

自分が読んだ本や見た映画の記録として。
ストーリーの紹介や感想ではありません。
あしからず。。。(__)

ナイフ 重松清

2005年11月10日 | 重松清
学校でのいじめは子どもたちにとって、暇つぶしのゲーム…
よくテレビの討論会でも、「どうやったらいじめがなくなるのか」などとやっているが、重松作品ではいじめをなくそうとは思っていないことが分かる。
いじめがある中で、どうやって生きていくのか…。

子どもを持つ親たちも、いじめた側やいじめられた側の経験を持っている。親であると同時に、自らもいじめの経験者なのだ。よく、昔はあんなに陰湿ではなかったというが、多分本質はそんなに変わってはいない。

この「ナイフ」の短編集には、
「ワニとハブとひょうたん池で」「ナイフ」「キャッチボール日和」「エビスくん」「ビタースィート・ホーム」の、5作品があるが、どれもいじめのシーンが出てくる。女の集団しかと、昔ながらの不良集団による弱いものいじめ、いじめられる子どもと親のすれ違い、大人による大人へのいじめ・・・。それらの中で、もがき苦しむ子どもたちや親たちは必死に生きることへの執着を見せるのだ。

きっと、最後は「生への執着」なのかもしれない。懐に「ナイフ」を忍ばせた父親がつかの間に得た「生きるということ」の覚悟のように…。

いじめる側も実は心のどこかで自分の心の弱さを恐れている。そう言いたいのだろう。

世紀末の隣人 重松清

2005年10月26日 | 重松清
ここに登場するのは、世紀末に数々の事件を起こした人たちだ。
世紀末だからなのか、かけらの日常から零れ落ちた事件は、われわれの世界が抱える問題を、日常のもとにさらす。
重松清さんが、小説書きとして事件や人を追って、小説のようにかきあげたノンフィクションは、妙なリアリティと幻想的なシーンが交じり合ったストーリーとなっている。

リビング 重松清

2005年10月23日 | 重松清
デザイナーの妻と雑誌の副編集長の夫…、洗練されたセンスのリビングで繰り広げられる悩みや葛藤たち。
一つ一つの短編が微妙につながっていたり、いなかったり…。しかしそこには等身大の本音で生きてる人たちがたしかにいる。

ミナナミナナヤミ・・・

半パン・デイズ 重松清

2005年09月27日 | 重松清
重松ワールドが続いています。
すっかり、重松ワールドにはまってしまいました。
さて、この「半パン・デイズ」は、半パンをはいていた時代、要は小学生時代のお話。とは言え、時代は石油ショックで、トイレットペーパーが店頭から姿を消した時期だから、けっこう昔の物語だ。主人公の少年のアイドルが「天地真理」。
そんな昔の子どもの話なのだが、読んでいて「そうそう。そんなことあった」の連続なのだ。きっと、時代が変わっても変わらないものがあるんだと思う。
巻末に寄せられている中場利一さんの解説が、これまたおもしろかった。

熱球 重松清

2005年09月22日 | 重松清
38歳になっても、「熱球」の心を忘れないこと…
重松作品が続いてますが、この作品は彼が同窓会をした時に、高校球児だった同級生に高校野球をテーマに小説を書くことを約束させられて書いた作品だそうだ。
物語は…、
主人公は出版社の編集者の仕事を社のリストラの中でやめてしまった38歳の男で、小学5年生の娘と一緒に、昔逃げるように飛び出した田舎に戻って、年老いた父親と3人で暮らし始める。妻は、大学教授で、アメリカに留学中。とりあえず、翌年の夏までの帰郷と言いながら、進むべき道を見失った主人公は、田舎で高校時代一緒に一緒に「熱球」を追いかけていたチームメイトやマネージャーと再会し、人生の中で「熱球」を追いかけつづける心を取り戻していく…というもの。
「逃げるな」
「逃げてもいいんだ」
人生では、こういった場面に幾度か出会う。勝つことだけを信じて戦うとき。負けを受け入れて、一時休止するとき。あとがきにもある「スポーツはいかに負けるか」というものなのだ、と言う考え方は、「負け方の美学」なのだろう。要は心の中で負けていない負け。
人生は、そんなかっこいい場面ばかりじゃない。けちょんけちょんにやられてしまう時。どうしようもないほどへこんでしまった時。そんなときは、開き直るしかない。
「ええやん、死んでしまうわけやないし」
そうすると、段々と心の中で「こなくそう…」闘志が段々湧いてくる、そんな感じかなあ。

見張り塔からずっと 重松清

2005年09月16日 | 重松清
切ない物語3話。
カラス
扉を開けて
陽だまりの猫

人は一人では生きていけない。だから、自分の周りにいる人たちの中で、自分の居場所を必死になって探している。時には、人を傷つけてでも、その位置を確保しようとする。
いじめの原因って、根本はそこにあるんじゃないだろうか…。
重松作品は、いじめを結構真正面から取り上げている。つかみ所のない、要因をたくさんの物語の中から、導き出そうとしている。
人にとっての居場所は、人と人の間にしかないんだろうか…。
それは、幸せという言葉の定義にも通じるのかもしれない。

今日は、夕方から福井に出張。福井のホテルでパソコンを開いている…。
仕事で遠方に来ると、自分の生活の場から遠く離れたところにも、たくさんの人の生活があるんだなあということを、本当にしみじみ感じる。

定年ゴジラ 重松清

2005年09月14日 | 重松清
東京郊外のニュータウン…、一人の男が定年を迎え、長い年月ローンを払って手に入れたマイホームで、第2の人生をスタートする…はずだった。

私はニュータウンに住んでるわけではない。でも、この話、結構身につまされるシーンがけっこう多かった。
たとえば、第2章、ふうまんで山崎さんが回顧するシーン。
「定年前の数年間もそうだった。現場の第1戦で働く若手の冷ややかな視線にさらされてきた。考え方が古いんですよ、時代が違うんですよ、もうあんたたちの仕事は通用しないんです……まなざしに乗って、声のない言葉が聞こえていた。」

私の会社でも役員や局長などのクラスに上っていく人はごくわずか。それ以外は途中で、子会社に出向したり他部署に異動になったりして、いわゆる外に出される。
その人たちに対する社内の空気はきっと激変しているはずだ。きっと、山崎さんや野村さんが味わった寂しさは、たくさんの人が味わったせつなさと一緒だろう。
自分の姿勢も振り返ってみると、反省しなければいけないこともあるだろう。しかし立場が変われば、私もその寂しさを味わうことが来るのだろう。時代の流れの中、世代が変わっていくという事は、そういうことなのかもしれない。
この作品では、人生について、家について、家族について、夫婦について…、考えるきっかけになるものだと思う。10年後の自分は想像できても、30年後の自分は、なかなか考えられない。しかし、気づいた時、自分はそこにいるんだろう。そして、ゴジラのように、叫び声をあげるんだろうか?

きよしこ 重松清

2005年09月09日 | 重松清
もうすっかり、きよしこだぁ…。
重松清の世界が今すごく心地よい。とくにこの「きよしこ」は重松ワールドの真骨頂だ。私は読んでいるうちに、物語の主人公である「少年」は、重松さん自身だと勝手に思い込んでしまうほどだった。
「少年」「ゲルマ」「大野くん」「加藤くん」みんなが一人称のように描かれているから、こころがすーっと物語の中へ吸い込まれていく。
でも、ちょっとシャイなんだろうか。ワッチはどうしても3人称までなんだな。
一緒にいて心地よい人ではあっても、違う世界で生きている人は超えられなかった。
私が重松ワールドに惹かれるのはなんだろう。きっと、同じテーマを持っているからだろうなあと思う。
人は人を幸せにすることは出来ない。どんなに愛していても、どんなにそばにいても…。
人が幸せになるためには、自分自身の力でなんとかするしかない。他人の力で幸せになることなんて出来ないんだ。
だから自分が愛する人のために出来ることは、その人が幸せだと感じるときに、そばにいることだけ。ただ信じることだけ。
そんな思いが、この「きよしこ」には、あふれている…。

日曜日の夕刊 重松清

2005年09月09日 | 重松清
「日曜日の夕刊」 日常の合間にふっと隠れていそうなふとした「おとぎ話」たち。
重松清は、人にとって、『当たり前のことが、当たり前である幸せ』を説きたいんだろうと思う。いつのどんな作品も、私たちのすぐ横に転がっていそうな話だし、そして自分に当てはめてみても、「そうそう…」と頷きたくなるような話ばかりだ。
短編の集まりは、それぞれの人の人生の集まりであると同時に、私たちの日常の集まりでもある。毎日のちょっとした感動が詰まった「おとぎ話」である。

ビタミンF 重松清

2005年09月01日 | 重松清
体にはビタミンが必要だ。そして心には、ビタミンF…。
というわけで、「流星ワゴン」の重松清さんの「ビタミンF」。

レビューでは、
このビタミンは心に効きます。疲れた時にどうぞ。「家族小説」の最高峰。直木賞受賞作!
38歳、いつの間にか「昔」や「若い頃」といった言葉に抵抗感がなくなった。40歳、中学一年生の息子としっくりいかない。妻の入院中、どう過ごせばいいのやら。36歳、「離婚してもいいけど」、妻が最近そう呟いた……。一時の輝きを失い、人生の“中途半端”な時期に差し掛かった人たちに贈るエール。「また、がんばってみるか」、心の内で、こっそり呟きたくなる短編七編。直木賞受賞作。

とあった。おっと、私も36歳だった。ハートウォーミングな短編が、仕事の合間の電車の車中で読むのにピッタリで、1日半で読んでしまった・・・。
いきなり始まる仮面ライダーのカラオケからTV番組のタイトルなど、この世代の心をしっかり掴む細かい設定(笑)。いつもながら、ほんとにお見事。
実は重松作品はこのビタミンFの前に「疾走」を読んだのだが、ブログに書きたいと思えなかった…。分かるんやけど、好きじゃない世界だったから。

重松さんは、人と人のつながりが好きなんだろうなあ。


流星ワゴン

2005年06月17日 | 重松清
幸せだったはずの自分が、家族がいつの間にかバラバラになって…
38歳の主人公は会社をリストラされ、毎週末、末期のがんで余命いくばくも無い父の見舞いに訪れて、車代といって5万円を受け取る生活を送っていた。中学受験に失敗した息子は、家庭内暴力と引きこもりで家の中は荒れ放題。妻は毎夜のように外泊を繰り返し、浮気をしているようだ。一体何が間違いだったんだろう?そんな思いを持ちながらもどうすることも出来ない。
そんなある日、酒に酔い電車の無くなった駅前のベンチで、ぼろぼろになった自分を振り返り、「このまま死んでしまうのかなあ」
そこに1台のオデッセイが止まった。中には人のよい橋本さんと元気で少し生意気な子ども健太君が乗っていた。「遅かったね。早く乗って」健太君にせかされると、不思議と自然と車に乗り込む自分がいた・・・。

この作品はあとがきで重松氏が書いているように父と子の話である。というよりは、父の話なのだろう。どんな父親だってその父親の子どもであり、子どもからは見えない父の姿というものが自分が父親になって初めて見えてくる。そんな受け継がれていく想いを綴った作品です。