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P の本棚

自分が読んだ本や見た映画の記録として。
ストーリーの紹介や感想ではありません。
あしからず。。。(__)

池袋ウェストゲートパークⅩプライド 石田衣良

2012年06月27日 | 湯本香樹実
以下、そのままラストシーンより、引用。<(_ _)>

>最後に一言。
>あんたがどれほどきついところで生きてるのかは分からない。
>だが、おれは全力でいう。
>負けるな、明日は必ずやってくる。
>つぎのステージで、また会おう。

ということで、幕引きらしい。。。

ポプラの秋 湯本香樹美

2006年01月25日 | 湯本香樹実
「夏の庭」の湯本香樹実による、父を亡くした少女と一見愛想のない気難し屋の老婆のふれあいを描いた作品。
突然目の前から消えてしまった父親。死というものの概念がまだよくわからない少女は、恐れを抱きながら、自分の殻を閉じこもって日々を送っていた。そんな中、母の突然のひらめきで引っ越すことになったポプラ荘。しかしその古アパートの大家は、子供嫌いの老婆だった。
最初その老婆が恐くて仕方がなかった少女に老婆は、自分は「死んだ人に手紙を届けることになっている」と話し始める。亡き父への思いを綴った手紙を書き、老婆に預けはじめた少女の心は、少しずつ開かれていくのだった。
湯本さんのお話は、いつも読む者の心を暖かくしてくれる。父のことを日々忘れていっているのではないかと、母を責めた少女は、老婆が亡くなったときに、初めて母親がどんな思いでいたのかを知ることになる。
なかなか、感動の作品です。

夏の庭 ~湯本香樹実

2005年07月14日 | 湯本香樹実
木山、河辺、山下。3人の小学6年生が、生と死に向き合った、ほんのり切ないひと夏の物語。

今日は日帰り東京出張だった。そこで先ほど紹介した「誘拐」とこの「夏の庭」を往復で読んだ。

「夏の庭」は、新大阪の駅構内の本屋で、‘日本版スタンドバイミー’と紹介されていた。

読み進んでいくうちに、子供のころ、祖父や祖母と交わした会話やずーっとむかしに心の中に刻まれていた記憶が呼び起こされてきた。子供のころの私にとって、祖父や祖母は遠く離れたところに住むやさしい人たちであった。しかし一方で、どこか自分とはまったく違うどこか遠くにいる人という感覚があった。
父方の祖父は小学校3年生のときに亡くなったのだが、私は入院している祖父の見舞いに行くのが怖かった。幾本ものチューブを鼻や口に入れられている祖父の姿はまだ幼い私にとって、見てはいけないものを見てしまったように感じ、父親の影に隠れていた。祖父に顔を見せない私を祖父は寂しそうに眺めていたらしい。私に初めて時計というものを買ってくれたのはこの祖父だった。私が小学校に上がったときだったろうか…。近所の商店街の時計屋に私を連れて行き、そこで時計を見立ててくれた。買ってもらった時計を持って二人で家まで帰った。

その祖父の死んだ日、私は学校の帰り道、家に戻ることなく、そのまま友達と夕方暗くなるまで遊んでいた。家に着くと母親が私を叱り飛ばしながら、車に押し込んで、祖父母の家に向かった。奥の和室には、顔に白い布をかけられた祖父が横たわっていた。「死」というものがよく分からない私は、通夜に集まった周りの大人たちの表情を見ながら、「どういう自分を演じればいいのか」そんな風に考えていた。
そして翌日の葬儀のとき、棺の中に花を入れる父の目から零れ落ちる涙を見たとき、これが「死」なのだと感じた。そして、これほど寂しいものなのかということを思い知らされた。なぜ私は病院で祖父にもっと顔を見せなかったんだろう。どうして、寄り道なんかして、遊んでたんだろう。そんな後悔の塊が涙となって私の目からあふれ出た。

作品の最後に山下君がいう。
「もう夜中に一人でトイレに行けるんだ。だって、あの世に知り合いがいるんだ。それってすごく心強くないか?」
私も祖父が亡くなった後しばらく、私のそばに祖父がいるのではと感じていた。叔母たちが私に言ったのだ。「あなたはおじいちゃんの一番の宝だったから、空の上から、ずっと見守っててくれるよ」

誰かを見守る気持ち。今なら分かる。死しても残る気持ち。それが死の本質であり、生の(命の)証しなんだろう。人は人を思う。命尽きようとも…。