本日は晴天、実に良い天気。ヴァイオリンがよく響きそう。
今日はどこがいいかな。
屋上、正門前、それとも森の広場?
HRが終わってすぐに、鞄とヴァイオリンケースを手にする。
「香穂ちゃん、今日もヴァイオリン?」
近くの席の友達が、目敏く聞いてくる。
「うん、良い天気だしね」
「でも、日差し強そうだよ~。日焼け止め、ちゃんと塗らないと後悔するよ!」
う。それを言われると、ちょっと辛い。
夏休みが終わって、始まった2学期。
それなりに高校生らしく遊んだ夏休みだったけれど、ヴァイオリンは毎日欠かさず弾いていた。
休みの間、学校だったり、近くの公園だったり、臨海公園だったり、森林公園だったり、場所は色々だったけれど。
学校の練習室以外でも、そんな色んな屋外で弾いていたから、今年の私は結構日焼けしている。もちろん、ちゃんと日焼け対策はしてたけれど。
ほんとうに、音楽家が併設されている学校の普通科に通っている、ただそれだけの、普通の女の子だった私。
それがこの春、大きく変わってしまった。
音楽の妖精、ファータを見てしまったから。
少しもこれっぽっちも、触ったことも弾いたこともないヴァイオリンを渡されて、校内コンクールというある意味『戦場』に、私は放り出されてしまった。
渡されたのは、『誰でも弾きこなせる』『画期的な』魔法のヴァイオリン。
更にファータたちは、技術の足りない私に、色々なアイテムをくれた。つまりはドーピング。
私は、まるきりのど素人。ヴァイオリン初心者。だからハンデが必要。
――ほんとうに?
……冗談じゃない、それが最初の感想だった。
だって、ヴァイオリンは難しい。
ピアノだって、チェロだって、トランペットだって、フルートだって、クラリネットだって、みんなそう。
楽器を弾きこなすには、それなりの努力と、年月が必要なんだ。
そうしてはじめて、『演奏』は得られる。
ど素人だって、初心者だって、それくらいわかる。
そして、私以外のコンクール参加者は、それなりの努力と、年月を積み重ねてきた人たちなんだ。
それなのに、魔法のかかった、ドーピングした、ヴァイオリンを弾く私が同じステージで演奏する。
これほど、彼らに失礼なことはない。
だから嫌だと、そう言ったけれど。
……結局、コンクールに参加することになってしまって。
ならば、と私は腹を括った。
魔法のヴァイオリンを使うことも、ドーピングすることも、罪悪感はあるけれどコンクールで演奏するためにはそうするしかない。
だからその代わりに、一生懸命練習しよう。
魔法がかかっているけれど、ドーピングしているけれど、それでも私自身は賢明に練習したんだと言えるようにしよう。
セレクションは計4回、これを頑張って乗り切って、終わらせよう。
そう思ったけれど。
コンクールが終わっても、私はヴァイオリンを終わらせることはできなかった。
もう、音楽を手放すことはできない。
音楽を、ヴァイオリンを――私は、こんなにも好きになっていた。
HRが終わって人でごった返す廊下をぬけ、エントランスへ向かう。
今日は練習室の予約を取っていないから、必然的に練習は屋外で、ということになるのだけど。
どうしようかな。
一応屋内の練習場所には音楽室や講堂というテもあるのだけど、やっぱり日陰のある森の広場がいいかな。音楽室はオケ部がいるし。
エントランスを抜けて、外に出る。
うん、森の広場に行こう。
足を踏み出しかけて、止める。音楽科校舎、桜館を振り返った。
「日野? どーしたんだ、そんなところに突っ立って」
「うん、ちょっと……」
これから部活のクラスメイトが、不思議そうに通り過ぎていく。
構わずに私は桜館を――正確にはその桜館の一番上、屋上を睨む。
音が、する。
孤高で、研ぎ澄まされた、遥か高みを目指す音。
――行き先変更。
私は一直線、桜館を目指した。
桜館の階段を駆け上がって、屋上の扉の前で、深呼吸。息を整える。
ノブを手にかけ少しだけ、ほんの少しだけ、音を立てないように開ける。
それだけで圧倒的な音が流れ込んでくる。その音と、少し開けた隙間から、その音の発生源を探る。ここから見える範囲には、いない。
もう少しだけ開けてみる。いない。
慎重に屋上へ踏み出して、ドアを閉める。
上を仰ぐ。
音は上から響いている。そっと伺って、私は屋上の2階(という表現も変だけれど)で陰になっている場所を探して、座り込んだ。
ヴァイオリンの旋律が、大空に吸い込まれていく。
私の好きな音。
彼の、ヴァイオリンの音。
コンクールが終わっても、私はヴァイオリンを弾いている。
まだ、明確な目標とか、そういったものがあるわけじゃない。
将来はヴァイオリンで食べていけたらとか、付属の音大に行きたいとか、そういうのも全然考えていない。
今はただ、ヴァイオリンを弾いていたい。だから弾いている。
気に入った曲を練習している。
気楽だけど、でもさしたる目標のない練習は実はちょっとだけ、つらい。
だから彼が屋外で練習している音が聞こえたときは、なるべく聞きに来ることにしている。
彼のヴァイオリンは、私の憧れであり、理想であり、目標だから。
あんな風になりたい。彼のように、ヴァイオリンを弾きこなしたい。少しでも彼に近づきたい。
だからこうして、彼の音をこっそりと聞きに来る。
自分の目指すものを、確認するために。
切ないメロディ。
悲しみに身を切られるような、そんな「感傷的なワルツ」。
彼の好きだという曲。
そういえばコンクールの時に、「『感傷的なワルツ』位は弾けないと話にならない」と言われて、それでムキになって練習したんだっけ。
それで私の「感傷的なワルツ」を聞いた彼が、驚いた顔をしていたのを覚えている。
「君の解釈も悪くない」、そう言って、微かに笑ってくれたのも。
……久しぶりに「感傷的なワルツ」、弾こうかな。
彼の音の補給も済ませたし、森の広場で練習しよう。
私は立ち上がって、ドアに向かう。
ドアノブに手をかけたところで、ふいに、音がとぎれた。
――え?
思わず上を振り仰ぐ。
コツコツと足音がして、私の顔に影が差した。
「――――、日野?」
「月森、くん」
下をのぞき込んだ彼が私を見つけて軽く目を見張った。
「ええと。どうしたの?」
「その、人の気配を感じたような気がして――、君だったのか」
人の気配を感じたくらいで、彼が演奏を止めるなんて。
邪魔にならないように気をつけているつもりだったけど、悪いことしちゃったかな。
「ごめんね、邪魔しちゃったみたいで」
「いや、君が気にすることではない。――そういう君は? 練習しに来たのか」
だったらすまない、こちらこそ邪魔をしていたのだろうか。
私の手にしたヴァイオリンケースに視線をやって、知り合った頃に比べて大分棘の減った口調で、彼は言う。
「ううん、その、天気が良いから、来たくなっちゃって。
そしたら月森くんがいたので、演奏聞かせて貰ってました」
「――そうか」
「それで、月森くんの『感傷的なワルツ』聞いてたら、私も弾きたくなっちゃって。
森の広場で弾こうかな~、と思って、行こうとしたところに」
月森くんが。
一応、嘘は言ってない。言ってない部分も、多々あるけど。
私を見下ろした月森くんは、何かを考えるように視線を彷徨わせた。
「……弾くのか? 『感傷的なワルツ』」
「うん、そのつもり。あ、でも月森くんの邪魔はしないから、安心してね!」
「――いや」
うん?
否定の言葉に、首をかしげる。
「良かったら、ここで弾いていくといい」
「え。で、でも……」
邪魔はしたくないのが、本音なんだけど。
「いいんだ。――それに、久しぶりに君の『感傷的なワルツ』が聴きたい」
私はあまりにも間抜けな顔をしていたらしい。
月森くんが思わずといった風に吹き出した声を聴いて、我に返る。
「確かに、君の技術はまだまだだし、君の解釈と俺の解釈は違うが。
――だが、君の『感傷的なワルツ』は、悪くない。弾くというなら、俺は聴きたい」
……………。
憧れのヴァイオリニストにそこまで言われて、弾かないなんてどうして言える?
「――つ、月森くんが、いいなら」
精一杯、弾くまで。
ふ、と微かに微笑んだ彼の笑みに顔が熱くなるのを感じながら、私は階段を上った。
未森の書く日野ちゃんは、
負けず嫌いのようです(笑)
この月森とは、1でのEDを迎えてません。
日野ちゃんの方は完全に月森が好きで、
月森の方は結構意識してる、みたいな感じ?
月森←日野@金色のコルダ(1と2の間)