気の向くままに!

思いついたことを気の向くままに記載します。限定した話題はありません。

生と死

2009-01-11 14:18:19 | Weblog
生と死は医療現場で本人自身が選択できるのであろうか。それに医師は従わなければならないのか。いつも問われる問題である。この治療を選択しない権利を医師は容認できるか。この治療を行わねば確実にしが訪れるなどの場合医師はそれを容認できるのか。私は医師を攻めるつもりはない。このような問題は医療現場の医師が常にぶつかる問題であり、医療を受ける本人、その家族がぶつかる問題である。現代医学ではの脳死であっても生きながらえることができる。これを生きると取るかあるいは死と取るかの論議はあった。現代では死と判断されることとなった。このような医学の発達にあっても常に生と死をまじかで判断し向き合わねばならないのが医師である。それは多くの患者やその家族の願いと共に判断を迫られるのが医師である。ただ仕事として割り切って行う以外にないのであろう。医師の苦闘の中にこそ医療の前進があるのではないかとも感じる。生命をみとり次には更なる生命の延長を考えながら仕事することが医師として医療技術の前進をもたらす。こう考えたい。少なくとも家族をなくした者の気持ちである。医師は常にベストを尽くす。ベストを尽くすのは医師だけではない。全ての仕事において別とを尽くしているのである。患者が死を選択したことは彼自身生き方であると容認できるか。そのような生き方を許せるかが医師はじめ社会が問われて居る問題である。何時までも解決できない思い問題なのかもしれない。

食料に対する考え方を変えてみれば意外と農業も利益出る産業化も

2009-01-11 12:42:44 | Weblog
今日の新聞で賞味期限の見直しが記載されていました。それでふと思ったのですが、野菜などはかなり産地で捨てられるものもあると聞きます。昨年初めて家庭菜園に挑戦して分かったことですが、胡瓜はすべてまっすぐではありません。専門家が栽培するのですからかなりまっすぐな物ができるのでしょう。まっすぐでないものも販売するあるいはまっすぐでないものを一般的なものとして流通させる。これで捨てられるものも減るのではないでしょうか。手間も掛からずにコストが下がる。それが農家の収入になり健全な農業経営を行える一つの考え方ではないでしょうか。食糧自給率などの新聞紙上をにぎわしています。農家のロスが少ない経営が行われれば他の作物も作れる余裕が生まれる農業経営を考えられる。自給率なども上がるかもしれません。賞味期限の見直しと同様に食料に対する考え方を見直すのは如何でしょう。

消費を進んで行う時代ではないですか。

2009-01-11 08:57:20 | Weblog
毎日、毎日報道関係は経済対策を報じています。途方もない事ですが夢を語ります。国民の預金が1500兆円あると聞いています。多少の差はあるにしても大変な額です。仮にこの1/3が消費に回れば経済効果は途方もなく莫大な影響を与えます。金は国家が存続してその価値を持ちます。財政赤字で苦しんでいる我が国が再生破たんを起こせば1500兆円は無になります。それよりも消費に回して経済の活性化を促すことで更なる収入が出てくるように思います。これだけの消費が可能であれば経済効果はどれだけになるのでしょう。残りのいくらかで株を買ったりその他の金融商品を購入すれば個人的にも消費に回した金額以上の利益を無のではないでしょうか。詳細は専門家に任せることとして、今経済を救えるのは個人の預金を消費に回す以外にないのではと感じます。財政赤字の政府におねだりしてもらちがあききません。蓄えて居てもダメな時代であることは事実です。目減りし下手をすれば0になる可能性がある時代です。大いに消費し国民の手で経済を活性化させる時期ではないでしょうか。この考え方は少し途方もないものかも知れません。不安のある社会にあって金がなくなればと考えがちです。先にも述べましたが財政破たんすれば預金も破たんします。それを避ける工夫が必要ではないでしょうか。