月と花と緑と私

泣いても笑っても同じ一日。

実家の事…娘としての思い

2009-02-03 09:12:31 | 私…オバさんの本音
私の実家(農家)には 父が一人で暮らしています。



母は、4年前に くも膜下で 62歳で亡くなりました。


突然 でした。    身内が言うのも 変ですが 友達も多く、


お笑い好きで、コロッケ、綾小路きみまろ、ワハハ本舗(!)の公演を見に行ったり


下ネタ も もちろん(笑) 大好きで  


人としても 母としても ステキな人でした。 




まだまだ 色んな事を 教えて貰ったり…甘えたかった。




私が嫁に行ってから、パートさんとして 、婚家にずっと 仕事に来てくれてました。


私の舅姑に気を遣いながら 農作業をしてくれました。


今 思えば もっと 感謝の言葉を 言って置くんだった。




母が亡くなって 妹達と 遺品の整理を していた時


私が小学2年と5年生の 当時の担任との連絡ノートが出てきました。


甘えん坊で、ワガママで、運動が苦手な 小さな子供の私に 

悩んで 先生に相談をしている母が そこに居ました。



母も、私と同じ様な事で 悩んでいたなんて… 可笑しくもあり

そして 寂しくもあり     …少し涙ぐんでしまいました。



ノートの中には、母が 新しくオープンした(当時)町営温水プールで

母の 人生初の水泳に挑戦したり、 趣味の 新聞投稿(家庭欄)で貰った 原稿料で

学校に 本を寄付したり、 親子文集を 他のPTAに呼びかけたり、

今の私より若くて 農作業に 育児にと 頑張っている「31歳」の母が居ました。



「いつか自分史を書いて見たい」と言っていた母。

節目 節目に文章を書いては 新聞に投稿していた母。


もし、 生きていたら、私が始めた「ブログ」もの凄く うらやましがられたかも。

「私も やりた~い 」ってね。



私は、母に心配ばかり掛けて居たように思います。



就職してやれやれと思ったら、連日の夜遊び。 挙げ句 出来ちゃった婚 


オマケに パートとして、こき使われて 


それでも「お願い!忙しいから来て!」と頼むと 「いいよ。いいよ。」と来てくれました。





母が倒れ 病院で父と妹達とで 幾晩か過ごしました。




不思議な事に 意識の無い母の周りで 「あんな事あったね。こんな事あったね」と

ポツン ポツンと話しをしていると、 少しずつ下がってきている 


機械の数値(血圧、脈拍)が ふっと 上がるのです。


まるで、「私も 聞いているよ。」と 言わんばかりに…



最後は 本当に 静かに 静かに 息を引き取りました。



  




そうそう!!遺品の中に 母が 結婚前に 父からもらったラブレターも ありました。


それも 2通も! こっそり(?)姉妹で読みました。


「お見合い」だと聞いていたのですが、ラブラブな内容で


「母さん、幸せだったんだね」 と 安心しました(笑)


父に「こんなの出てきたよ」と見せると 大あわてで どこかに

しまい込んでしまいました。





実は 私も「1通」 旦那から 結婚する前に おねだりして書いて貰った


ラブレターが あるのよ~ ふふふふふのふ



大事にしておこう~っと