色々溜まっている映画の感想を♪♪
先月末に見た、映画『ソロモンの偽証 後篇・裁判』です。
因みに、『ソロモンの偽証 前篇・事件』を見た時の感想はコチラ↓↓↓
【2015.3.16 映画『ソロモンの偽証 前篇・事件』】
■『ソロモンの偽証 後篇・裁判』
記録的な大雪となったクリスマスの夜に起こった、一人の中学生の転落死。
自殺と思われていたその死は、彼が、学校の屋上から突き落とされる現場を見たという告発状によって、様々な波紋を呼び起こしました。
連鎖する生徒の死。
関係者の家の火事。
不穏な出来事が続く中、ヒロインの涼子は、「私達の手で裁判をやって、真相を突き止めたい」と言い出します。
こうして始まった、生徒達の手による学校裁判。
被告人は、転落死した少年・卓也を屋上から突き落としたとされる不良少年の大出。
真相を突き止めようとする涼子達が、次々と直面する真実や謎。
果たして、少年の死は、自殺なのか他殺なのか・・・?
前篇同様、全体的にとても重苦しい空気の流れる作品でした。
中学生と言う、とても若い命が失われ、それを機に、また別の中学生の命も失われる。
そして、その関係者と思われる人物の家族も命を落とす。
・・・この映画に流れる重苦しい空気は、こうして失われていった命の重さであり、その失われて行った命に対する残された人たちの想いでもあるのかもしれないなぁと思いました。
原作では、沢山の生徒が登場し、その一人一人の抱えている悩みや、その悩み故に起こってしまう事件等、色々なエピソードが描かれて、それが、また、この物語のメインテーマとも絡み合う訳ですが。
どうしても、映画化にあたっては、その辺りは、サックリ削ぎ落としてしまってて。
登場人物も、原作での複数のキャラクターを一人にまとめてしまったりしていましたよね。
で。
前篇では、あまり気にならなかったのですが、後篇では、それが気になってしまって・・・。
原作との違いにちょっぴり不満が残ってしまった・・・というのは否めませんでした。
たくさんの生徒の、たくさんの想いがあったからこそ、導き出された結末なんだろうに・・・映画では
、一部の生徒の想いだけで動いていたような感じで。
また、裁判の準備過程も。
原作では、生徒達が一つ一つコツコツと調べて行って。
そうして、少しずつ分かって来る真相が凄く怖かったり、謎めいていて、ドキドキしたのですが。
映画では、なんだか、大人達が真相をアッサリ教えてくれるという感じで。
その辺りの原作の面白さも無かったかなぁって。
とはいえ、映画で原作の全ては描き出せませんし、コンパクトにせざるを得なかったのも分かります。
なので、映画は映画として面白く出来ていたと思うのです。
ただ、私の個人的印象としては、この裁判のきっかけとなった、自殺した柏木君。
彼の印象が違ったなぁ。
私が本を読んだイメージでは、柏木君は、真剣に生と死、生きるという事の意味について深く考えて、考えて、苦しんで、足搔いていたと思うのです。
もしかしたら、本当は生きていたかったのかもしれない。
でも、生きる意味が分からないまま、生きていくのは嫌だった。
だから、誰かに必死で、生きる意味や価値を教えてほしいと足搔いていたのじゃないかなぁって。
それ故に、不良グループの子達に、「人を殺したことある?」って妙に絡んだり、また、神崎君の過去について執拗に絡んだりしたのじゃないかなぁって。
彼は、単なる死にたがりではなくて、それらの行為は、もしかしたら、生きたいこと(生きる意味を知りたい)への裏返しなのではなかったのかなぁとか。神崎君へのあの「ゲーム」が柏木君が、必死に送っていた「SOS」ではなかったのかなぁとか、そんな風に思ったのですよね。
でも、映画だと、あまりそういうのが強く感じられなかって・・・。
見方によっては、ちょっと柏木君が、変にませた嫌な子にも捉えられかねないように感じてしまいました。
そこがちょっと不満と言えば、不満かな??
これ、私だけかな?
あ、そうそう。
裁判のシーンですが。
被告人である不良少年の大出君を、神崎君がやりこめるシーン。
大出君の入学時からの悪行を、全部、あげつらっていくシーンなんだけど。
あそこは、原作・映画共に、見ててスッキリした。
なぜ、彼が、その被告人席に座っているのか?
どう考えても自殺としか思えない事件の、殺人犯のように皆から思われているのか?
それは、入学時以来、彼が行ってきた悪行故。
彼が他人に対して酷いことをした数だけ、彼は皆から恨まれ、厭われ・・・そして、今、その被告人席に居る。
確かに、大出君にも、暴力を振るう父親が居たりと、気の毒な部分はありました。
一見すると、無責任な噂によって、やってもいない殺人の濡れ衣を着せられる大出君は、被害者のようでもあります、いや根被害者です。
でも、そうなったには、そうなったなりの理由がある。
因果応報。
他人を傷付けたら、いつかは、自分にも何かが回って来る。
私はそう思うので、裁判で大出君がやり込められるシーンは、ちょっとスッとしました。
小説では、大出君をよく補導していた少年課の刑事さんは、大出君に同情的な印象を受けましたが・・・。
私は、正直、彼みたいなタイプの人間は嫌いなので。
あまり同情は出来ませんでしたし。
確かに、彼も、父親の理不尽な暴力にさらされていて、そこは気の毒だと思います。
でも、だからといって、他人をいじめて良い理由には絶対ならない。
そう思うのは、私も、子供の頃にいじめられた経験があるからかな?とも思うけど、でもでも、私と同じ気持ちの人も多いのではないかなぁと思うのです。
その事実を本人に突き付け、知らしめる。
怖いシーンではありますが、あのシーンは好きですね。
とはいえ、やっぱり、私的な裁判は、私刑にも繋がりかねない危険性を、少しそのシーンで感じましたが。
中学生が学校裁判をする・・・。
この前代未聞な行為、賛成か反対かと問われれば、大人の私は「反対」というでしょう。
理由は、先にも述べたように、私的な裁判は私刑にも繋がりかねないから。
だけど。
もし自分が中学生だったら?と思うと、答えは変わってきます。
大人は「貴方たちの為なんだ」と言って、真実を隠す。何も教えて貰えない。
学校と言う狭い価値観の世界に閉じ込められたまま。
確かに、自分達の手で真実を知りたいと思うのも当然かもしれないなぁと思いました。
自分も中学生だった頃がある訳だから分かりますが、中学生って、大人が思っている以上に、もう子供ではないのですよね。
色んなことを考えてて、大人に対しても、ちょっと冷めた目で見て居る部分がある。
でも、大人は、自分達の都合の良いようにしか子供を見て居ない。子ども扱いする。
その「差」に悩んでいる年頃でもあるのですよね。
だからこそ、この生徒たちの手による学校裁判は、彼らにとってとても大切な物だったのだと感じました。
小説、映画共に、色々と考えさせられる作品だったと思います。
生と死についてもですが、人間一人一人が抱えている色々な事情についても考えちゃいました。
一見、傍からは見えなくても、口に出さないだけで、誰もが何か重い物を背負って生きていることが多いのですよね。だからこそ、他人に対しての思いやりも忘れちゃいけないし、他人の痛みが分かる、想像して思いやることが出来る人間にならなくてはいけない、そんな風にも感じました。
先月末に見た、映画『ソロモンの偽証 後篇・裁判』です。
因みに、『ソロモンの偽証 前篇・事件』を見た時の感想はコチラ↓↓↓
【2015.3.16 映画『ソロモンの偽証 前篇・事件』】
■『ソロモンの偽証 後篇・裁判』
記録的な大雪となったクリスマスの夜に起こった、一人の中学生の転落死。
自殺と思われていたその死は、彼が、学校の屋上から突き落とされる現場を見たという告発状によって、様々な波紋を呼び起こしました。
連鎖する生徒の死。
関係者の家の火事。
不穏な出来事が続く中、ヒロインの涼子は、「私達の手で裁判をやって、真相を突き止めたい」と言い出します。
こうして始まった、生徒達の手による学校裁判。
被告人は、転落死した少年・卓也を屋上から突き落としたとされる不良少年の大出。
真相を突き止めようとする涼子達が、次々と直面する真実や謎。
果たして、少年の死は、自殺なのか他殺なのか・・・?
前篇同様、全体的にとても重苦しい空気の流れる作品でした。
中学生と言う、とても若い命が失われ、それを機に、また別の中学生の命も失われる。
そして、その関係者と思われる人物の家族も命を落とす。
・・・この映画に流れる重苦しい空気は、こうして失われていった命の重さであり、その失われて行った命に対する残された人たちの想いでもあるのかもしれないなぁと思いました。
原作では、沢山の生徒が登場し、その一人一人の抱えている悩みや、その悩み故に起こってしまう事件等、色々なエピソードが描かれて、それが、また、この物語のメインテーマとも絡み合う訳ですが。
どうしても、映画化にあたっては、その辺りは、サックリ削ぎ落としてしまってて。
登場人物も、原作での複数のキャラクターを一人にまとめてしまったりしていましたよね。
で。
前篇では、あまり気にならなかったのですが、後篇では、それが気になってしまって・・・。
原作との違いにちょっぴり不満が残ってしまった・・・というのは否めませんでした。
たくさんの生徒の、たくさんの想いがあったからこそ、導き出された結末なんだろうに・・・映画では
、一部の生徒の想いだけで動いていたような感じで。
また、裁判の準備過程も。
原作では、生徒達が一つ一つコツコツと調べて行って。
そうして、少しずつ分かって来る真相が凄く怖かったり、謎めいていて、ドキドキしたのですが。
映画では、なんだか、大人達が真相をアッサリ教えてくれるという感じで。
その辺りの原作の面白さも無かったかなぁって。
とはいえ、映画で原作の全ては描き出せませんし、コンパクトにせざるを得なかったのも分かります。
なので、映画は映画として面白く出来ていたと思うのです。
ただ、私の個人的印象としては、この裁判のきっかけとなった、自殺した柏木君。
彼の印象が違ったなぁ。
私が本を読んだイメージでは、柏木君は、真剣に生と死、生きるという事の意味について深く考えて、考えて、苦しんで、足搔いていたと思うのです。
もしかしたら、本当は生きていたかったのかもしれない。
でも、生きる意味が分からないまま、生きていくのは嫌だった。
だから、誰かに必死で、生きる意味や価値を教えてほしいと足搔いていたのじゃないかなぁって。
それ故に、不良グループの子達に、「人を殺したことある?」って妙に絡んだり、また、神崎君の過去について執拗に絡んだりしたのじゃないかなぁって。
彼は、単なる死にたがりではなくて、それらの行為は、もしかしたら、生きたいこと(生きる意味を知りたい)への裏返しなのではなかったのかなぁとか。神崎君へのあの「ゲーム」が柏木君が、必死に送っていた「SOS」ではなかったのかなぁとか、そんな風に思ったのですよね。
でも、映画だと、あまりそういうのが強く感じられなかって・・・。
見方によっては、ちょっと柏木君が、変にませた嫌な子にも捉えられかねないように感じてしまいました。
そこがちょっと不満と言えば、不満かな??
これ、私だけかな?
あ、そうそう。
裁判のシーンですが。
被告人である不良少年の大出君を、神崎君がやりこめるシーン。
大出君の入学時からの悪行を、全部、あげつらっていくシーンなんだけど。
あそこは、原作・映画共に、見ててスッキリした。
なぜ、彼が、その被告人席に座っているのか?
どう考えても自殺としか思えない事件の、殺人犯のように皆から思われているのか?
それは、入学時以来、彼が行ってきた悪行故。
彼が他人に対して酷いことをした数だけ、彼は皆から恨まれ、厭われ・・・そして、今、その被告人席に居る。
確かに、大出君にも、暴力を振るう父親が居たりと、気の毒な部分はありました。
一見すると、無責任な噂によって、やってもいない殺人の濡れ衣を着せられる大出君は、被害者のようでもあります、いや根被害者です。
でも、そうなったには、そうなったなりの理由がある。
因果応報。
他人を傷付けたら、いつかは、自分にも何かが回って来る。
私はそう思うので、裁判で大出君がやり込められるシーンは、ちょっとスッとしました。
小説では、大出君をよく補導していた少年課の刑事さんは、大出君に同情的な印象を受けましたが・・・。
私は、正直、彼みたいなタイプの人間は嫌いなので。
あまり同情は出来ませんでしたし。
確かに、彼も、父親の理不尽な暴力にさらされていて、そこは気の毒だと思います。
でも、だからといって、他人をいじめて良い理由には絶対ならない。
そう思うのは、私も、子供の頃にいじめられた経験があるからかな?とも思うけど、でもでも、私と同じ気持ちの人も多いのではないかなぁと思うのです。
その事実を本人に突き付け、知らしめる。
怖いシーンではありますが、あのシーンは好きですね。
とはいえ、やっぱり、私的な裁判は、私刑にも繋がりかねない危険性を、少しそのシーンで感じましたが。
中学生が学校裁判をする・・・。
この前代未聞な行為、賛成か反対かと問われれば、大人の私は「反対」というでしょう。
理由は、先にも述べたように、私的な裁判は私刑にも繋がりかねないから。
だけど。
もし自分が中学生だったら?と思うと、答えは変わってきます。
大人は「貴方たちの為なんだ」と言って、真実を隠す。何も教えて貰えない。
学校と言う狭い価値観の世界に閉じ込められたまま。
確かに、自分達の手で真実を知りたいと思うのも当然かもしれないなぁと思いました。
自分も中学生だった頃がある訳だから分かりますが、中学生って、大人が思っている以上に、もう子供ではないのですよね。
色んなことを考えてて、大人に対しても、ちょっと冷めた目で見て居る部分がある。
でも、大人は、自分達の都合の良いようにしか子供を見て居ない。子ども扱いする。
その「差」に悩んでいる年頃でもあるのですよね。
だからこそ、この生徒たちの手による学校裁判は、彼らにとってとても大切な物だったのだと感じました。
小説、映画共に、色々と考えさせられる作品だったと思います。
生と死についてもですが、人間一人一人が抱えている色々な事情についても考えちゃいました。
一見、傍からは見えなくても、口に出さないだけで、誰もが何か重い物を背負って生きていることが多いのですよね。だからこそ、他人に対しての思いやりも忘れちゃいけないし、他人の痛みが分かる、想像して思いやることが出来る人間にならなくてはいけない、そんな風にも感じました。