生きてきたという思い込み
少なくともいままでは
だから生きられることが
あたりまえのように横着だった
今では
生かされているという思いが
感謝の心を熱くする
息をする・たべる・ねむる
しゃべる・手足をうごかす
ものをもつ・文字がかける・きがえる
これら みんな ふたたび
できるようになったこと
そのよろこびは だれにも負けない
自信がないとき
なにもできないほど臆病なのに
自信がつくと
いろんなことが当たり前の世界
すべてにおいて横着になる
初心に戻れば
もっともっと感謝できることなのに
もっともっとしあわせを感じるはずなのに
自分という目線でこの世界を見てるのと、
いのちの世界からこの世界を見るのとは、
全然180度違うことに気づかされます。
その時初めて、様々なことによって、今、いのちを頂いてるということに驚ける。
それでも、日常生活ではやっぱり、横着な心はあるけど、気づかない時とはちょっと違うかも。
何十億の人が居る中で、本当に出遇える人は何人でしょう・・・。未歩さんと同じように心から良かったという出逢いがしたいですね。
でも、未歩さんに限ってそのようなことを思われなくても、既にしっかりとなさっておられるように感じますが・・・
私ごとながら、「初心忘るべからず」という言葉は肝に銘じていないと、横着になったり、横柄になったりしますから、気をつけるようにしま~す♪
私はこの「初心忘るべからず」という言葉は、しっかりと肝に銘じなければならないと思っておりますm(__)m
とかく人間なれて来てしまうと、横柄になったり、着が緩んでしまうことがありますからねっ(^^ゞ
なくなってみて初めて・・・と言うか
命の危険があったとき・・・しみじみ思いますね。
痛ましい事件・事故を聴くたびに反省します。
私もこうして元気にさせていただくと、
神さまに「もう、何もいりません」と
言ったのに、欲が出てきます。
そんな時、初心を忘れたらいけないと思い出します。
その繰り返しで、いいのでしょうね。
「受けた恩は石に刻め」の
親の生き方は引き継ぎたいです。
前のブログで教えてもらった
ソクラテスの「無知の知」の言葉のように
謙虚でありたいですね。
ホームページで調べたら、
ソクラテスは「ただ単に生きることではなくて、
”善く生きる”ことである」と
おっしゃっていました。
心に刻みました。
そういう生き方がしたいですね。