つぶやき①

みなさん、
2年間応援をありがとうございました。

「しあわせのものさし」

2005年11月11日 | 思いのままに(2005年)


私にとっての しあわせって
お金があるとか 無いとか
健康であるとか 病気であるとか
歩けるとか 歩けないとか
そんな物差しじゃ はかれない

人生の中で
どれだけ ありがたさに気付き
感謝できるかということに
比例する
ありがたいという気持ちは
不満を思うこころに
ふたをする

無理に押し殺すのではなく
ごくごく自然に
そう春がくれば
桜の花が咲くように 


       



  春まで、みなさんもお元気で。ありがとうございました。








---------------------
覚書 

2005.05.19
2005.11.11


「一枚のハガキ」

2005年11月01日 | 思いのままに(2005年)


車いすだから
すぐにあなたとは会えない
けれども
この一枚のはがきが
あなたのもとへ
私の思いを届けてくれるから
一歩一歩ゆっくりでかまわない

耳が聴こえないから
あなたに電話することはできない
けれども
この一枚のはがきが
わたしの声になってくれるから
あなたの声援が聴こえる

私にできるのは
あなたのご健康と
お幸せを祈ること




harumiさん、ご無沙汰しています。
絵手紙は来年、住所録を完備し、お送りしますね。
それまで、ブログをご覧ください。ゴメンナサイ。







------------------
覚書 

2005.05.19
2005.07.01
2005.11.01

トランプゲーム

2005年10月13日 | 思いのままに(2005年)


パソコンのトランプゲームに
すっかりハマってしまった。




1から13までのトランプを移動させ、クリアーさせるのだが、
1200点以上を目指し、何度も挑戦した。
トランプの移動回数を100以下に抑えなければ達成できない。
途中、たった1枚のカードが無くてにっちもさっちも行かず、
悔しかった。

こんなことは、人生でもよくあること。
そうだ、そうだ。
私がこの1枚のトランプになればいい。
そうしたら ひょっとして
展開は変わってくるかもしれない。




今年のお正月に「ハマッテシマッタ」パソコンの
トランプゲームです。かなりやりました。


みなさんもハマッタゲーム、ありませんか?






----------------------
覚書 

2005. 5.19
2005.10.13






運命・・・大事ないのちに感謝

2005年08月31日 | 思いのままに(2005年)


刻々と5年の歳月は流れ
現状をすべて受け入れることで
ようやく過去の思いを断ちきった

運命だった・・・そう思うことで
救われる思いはないだろうか

このラッキーな運命を
生かすも殺すも じぶん次第
「生きられることを感謝せよ」の
言葉を残し 彼は消え去った   



今年の10月で病後丸6年です。
いのちが助かっていなかったら44歳の誕生日を迎えないまま、
43歳で旅立っていたわけで、何事にも代えがたい幸せを
思います。

今年50歳になります。
若いころは「また年とったぁ」と言っておりましたが、
歳を重ねられる幸せを感じています。
また、その歳になってみないと理解できないことも多々あり、
歳を重ねることのすばらしさに感謝しています。


生き方がカッコイイおばさんを目指します。
どうぞヨロシクです。



朝トイレに行き、ふとカレンダーを見たら、
「なにはともあれ 生かされている みつを」 の文字が目にはいりました。

トイレにみつをさんの日めくりカレンダーを・・・と、
お叱りを受けるかもしれませんが、
誰にも邪魔されず落ち着け、毎日何度もお世話になる場所で、
家族の目に自然と触れる・・・みつをさん、どうかご容赦を。



「感謝の心」

2005年08月29日 | 思いのままに(2005年)

「不自由は不幸ではない」


あの頃はくじけるわけにいかず
「苦こそが人生の師」だと
自分を叱咤激励するために
書いた詩がある

それじゃあ苦労があるうちは
シアワセが感じられないことになる

ありがたいなあという
感謝の心があれば
たとえ苦しい状況にあろうとも
シアワセだと気付けるんですね

「不自由は不幸ではない」と
言い切ったヘレンケラーに
一歩ちかづけた
ありがたい ありがたい 




「現状に感謝」


病気に勝とうと思わず
自分に負けないという気持ちを
もち続けたい

前進することを望むより
現状維持をいつも感謝できる
自分でありたい


前進あるのみとばかり、力が入っていたのですが、
現状、つまりプラスでもマイナスでもない「ゼロ」の
存在に感謝するようになったら、気がラクになりました。
当たり前と思っていることが、当たり前じゃなくなったら
困ることばかりですものね。
ありがたい、ありがたい、そう思えることがシアワセです。




生きてきた
という思い込み
少なくともいままでは
だから生きられることが
あたりまえのように横着だった
今では

生かされている
という思いが
感謝の心を熱くする
 




「ココロを磨く」

2005年08月05日 | 思いのままに(2005年)

「美人薄命」という
ことわざがありますが
いのちが助かった私は
神さまの人を見る目を
証明したことになるのでしょうか

「ソウダ ソウダ そのトオリ」

手が不自由だから
お化粧もやめた
そのかわり
内面の美しさを求め
ココロを磨く
ココロは磨いた分しか
光りませんから
「中身で勝負」の
応援団の励ましがありがたい


-----------------------
覚書 

2005.4.30
2005.8.05




後悔のない人生って?

2005年07月28日 | 思いのままに(2005年)

「後悔のない人生」ってことばを
よく使うけれど
「後悔」のない人なんて
いるのでしょうか
「後悔」と言う体験があってこそ
豊かな生き方ができるのでは
ないのでしょうか
「後悔」を体験し二度と同じ過ちを
しないと頑張るのじゃないのでしょうか

当たり前に思ってきたことに
感謝の気持ちで再スタートがきれる
絶好のチャンスなのではないでしょうか

生きていると言うのは思い込みで
生かされていたことを
「後悔」から学んだのは
私ひとりでしょうか 


------------------
覚書 

2005.5.19
2005.7.28



「体力と気力」

2005年07月11日 | 思いのままに(2005年)


「無理はいけないよ
   健康がいちばんだからね」
そういつも周りにいっているくせに
自分のこととなると
まるっと駄目 なんとも情けない

無理をしていると言う自覚がない
あとで疲れが取れないのは何で?
じっくり考えたあげく
無理をしたかなとようやく気づく

そしてそのとき初めて
体力と気力が50:50でないと知る
そうかも そうかもしれない

「雑巾は絞らんでええ
   その代わりアタマを絞れ」
リハビリの先生の声が聴こえてきた



自分のこととなると、鏡がないと自分の顔が見えないように
全くがんばりすぎていることに、そのときは気づかないんですね。

体力と気力が50:50(ヒフティ・ヒフティ)の時はバランスが
取れていて一番いい結果が出ますね。
しかし、体力と気力のバランスが崩れると、無理をしている・・・
ということになります。
今の私は体力と気力の割合、3:7 若しくは 2:8 かも?


こうなってくると、「アタマを絞る」必要があります。
重い石を動かす・・・「てこの原理」のようなもの、
私だけの「裏ワザ」を研究するしかないですね。


「一枚のはがき」

2005年07月01日 | 思いのままに(2005年)


車いすだから
すぐにあなたとは会えない
けれども
この一枚のはがきが
あなたのもとへ
私の思いを届けてくれるから
一歩一歩ゆっくりでかまわない

耳が聴こえないから
あなたに電話することはできない
けれども
この一枚のはがきが
わたしの声になってくれるから
あなたの声援が聴こえる

私にできるのは
あなたのご健康と
お幸せを祈ること


------------------
覚書 

2005.5.19
2005.7.01

「 発 明 」

2005年06月27日 | 思いのままに(2005年)

「発 明」

何かをなくし 何かを得る
得たものは なくしたものより
はるかに大きい
なくした者にしか味わえない
醍醐味かもしれない

何の不自由も無ければ
発明は生まれないように
人生の知恵の多くは
知識からではなく体験によって
生み出されるわけだから




最近、こんな風に思えてきました。
体験は「宝もの」だなあって・・・。
ダカラ、警察沙汰になるようなことや破廉恥なこと、
人様に迷惑になること以外だったら、
なんでも体験すべきだと思ったりもします。


重いものを動かすのに、「てこの原理」を使うように、
不可能を可能に変える「裏ワザ」探しに夢中です。
思いもかけず、グッドアイデアが思い浮かぶと、
とても嬉しくなって、「天才じゃなかろうか」・・・などと、
自己満足したりしています。(爆)