つぶやき①

みなさん、
2年間応援をありがとうございました。

娘へ・・・20歳の誕生日おめでとう

2005年05月30日 | 未来のあなたへ

< 号 外 >


今まで、家族のことには殆ど触れずにきましたが、
このブログの目的が「人生の足跡」なので、
プライベートですが、書かせてもらいます。

大病をしましたが、運良くふたりの子どもの親になれました。
ありがたいことだと思っています。

病気になった時、息子・・・高2、娘・・・中2でした。
その当時のことを思い出すと、なみだが溢れてきます。

本当に子どもたちには、心配をかけました。
学校に行っていても、授業どころじゃなかったと思います。
生存確率も僅かで、生きるか死ぬかの瀬戸際で
ただ、多くの管と器械につながれ眠っていただけでしたから。

親に心配をかけたことはあったとしても、
私が親のことを心配するようなことは、何もなかった・・・・。
それなのに、私は子どもに心配のかけどおしでした。

------------------------------------------------------

        

      20歳のお誕生日 おめでとう!

昨日メールで何時に生まれたの?って聞いてきてくれましたね。
夜の8時って覚えていたけれど、詳しくは母子手帳で確認しました。
 
 5月30日 20時43分 体重:2880グラム  身長:48cm

離れて暮らしているけれど、いろんなことを経験し
ステキな20代にしてください。

いつも健康とシアワセを願っています。
大変なことも多いけれど、身体をだいじにね。
困ったことがあったら、いつでも言ってくるんだよ。

今日もステキな日でありますように。


      2005年5月30日  母より 

        


松下幸之助さんの言葉


---------------------------------------------------------


今日5月30日は、私のお腹の傷が完全にふさがった日なんです。

普通、開腹手術をすると、傷口を縫ってふさぐのですが、
私のお腹は、胆管に石が詰まり、膵液が逆流し、泥水状態。
そこで開腹したまま、お腹の中をキレイにする必要があり、
開いたままでした。自然治癒で傷口がふさがるように、
私のお腹も手術の日から、212日ぶりに、自然と
ふさがったわけです。

この日も忘れることが出来ない、私の人生の記念日なんです。
主治医の先生が「今日の日を忘れないように、書いておいてあげようか」
と言ってくださったのですが、娘の誕生日と同じですから、
忘れるはずはありません。


こうやって書いてくると、私の年齢も想像できますね。
今年、50歳になります。
「お若いですねぇ~。48歳ぐらいと思った」という方は
コメント入れてください。
コメントがなくても、勿論お付き合いは変わりません。
ご安心を。(もうひとりのワタシのつぶやき:そんなこと言っていいの?)

冗談はさておき、また明日 


-------------------------------------------------------
 
2005.11.24

お母さんの誕生日前日の夜、あなたが帰ってきて
もうビックリ。
どうやら知らなかったのは私一人だったようです。
お父さんもお兄ちゃんも役者です。
とんとんと肩をたたかれ振り返ったら、
あなたの姿が・・・。もう感激でした。

忙しいのにお母さんの誕生日のために帰ってきてくれて
何ものにも代えがたいプレゼントでした。

苦労させたけれど、大人になったなあと涙が出るほど
嬉しかった。

お母さんの身体が不自由だから・・・と言うことで
あなたを縛ることは絶対嫌だったから、あなたがしたいことを
懸命にやって欲しい。自分で決めたことなら、たいへんでも
がんばれるからね。

そしてもうひとつ。体験するしか成長がないと言うこと。
お金は残してあげられない。
だから私のいまのがんばりを無形文化財で残したい。
将来、辛く悲しいことがあったとき、
思い出して乗り越えて行って欲しい。

お母さんに出来るのは、
あなたの健康と幸せを祈りながら、応援すること。

11月25日誕生花ほか

松下幸之助さんの言葉


-------------------------------------------------

2006.1.7

今日はあなたの成人式。おめでとう。
あなたの晴れ姿を見て感激でした。
運が悪ければ、中学生のあなたしか知らずにピリオドでした。

そして6年前の今日、2000年1月7日は、
お母さんが薬から目覚めたときでした。
1999年11月1日に手術してから、68日目でした。

とっても驚くことがありました。
速達郵便が届いたのです。
その送り主は、私の命の恩人の先生からでした。
中身は私の病気「重症性壊死性急性膵炎」の論文です。
個人情報に触れないよう、個人が特定できない形で、

救命しうることの困難な重症急性膵炎で
○○さんが治療をがんばって受けて助かってくれたことは
今後同じような状況の患者さんにとって意義があります。
○○さんのケースを論文にしました。(中略)
○○さんの努力が今後同じような患者さんにとって生かされると
いいなあと思っています。12/29 ××××

手紙の日付が昨年です。今日目覚めた日に到着するように
送ってくれたんですね。
私の正式なブログ開始は5/26、この先生の誕生日であり、
人工呼吸器が外され、声が出せた記念日なのです。
今日という日を先生も覚えてくださっていたこと、深謝です。

この先生は5月末に転勤が決まっていて、できることすべてを
やっていってくれました。
現在35歳、目覚めたときは若干29歳・・・
とっても愛のある情熱あふれる先生でした。
私は本当にラッキーガールです。

そのようなわけで「1月7日」は、
ますます忘れられない記念日になりました。
1月7日・・・「7」はラッキーセブン、和は「8」無限大です。
このふたつを合わせると、「無限大のいい運命」が待っていると
言うことですね。

1月7日誕生花ほか

松下幸之助さんの言葉