![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e0/40a1332df98ec7b1edbf265f2eefc0e5.jpg)
みなさんこんにちわ
今日は振替休日中のワタシです
今更ですがお盆休みに行った函館のことを
碧血碑(へっけつひ)何度も新撰組ツアーなどしながら函館へ行っているのにいまだ側へ行った事がなかったので
今回は行って見ることにしました
車をとめる所を探していたらカーナビに函館八幡宮へ案内されてしまいます???
で、結局は青少年研修センターの駐車場にちょっととめさせて頂いて
この辺り函館山の麓なので上り坂でです(-_-;)
日ごろの運動不足と連日の猛暑とジメジメにすっかり体力消耗のワタシで少し登ると
ゼイゼイな感じで泣けて来ました ──(ノ)゜Д゜(ヽ)──
途中には紫陽花が満開
北海道の紫陽花は8月が旬です
この日も暑かったので山はアブが凄かった
やっとこ碧血碑(へっけつひ)へ到達
もう、ここまで来ると汗が・・・
ちょっと身体動かさなきゃって ||ヽ(-´ω`-。)反省
碧血碑の 『 碧血 』 とは 中国の故事で 『 義に殉じた武人の血は3年経つと碧色になる 』 と、いうものらしいです
ここは明治8年に榎本武揚、大鳥圭介などが建立しました
戊辰戦争や函館戦争で亡くなった800人余の旧幕府軍の方の慰霊塔です
山中にあることもあいまって辺りはなかなかの雰囲気を醸し出しています
こちらは壁血碑の裏側です
明治8年5月と、書いてありますね
この5月というのは旧暦の5月らしいです
現在の暦で6月だそうです
で、この辺りをウロウロしていると40代後半~50代前半の男女5~6人がやって来ました
どうも皆さん同級生風で口々に
懐かしいね~とか、子供の頃ここはとっても不気味だったよね~とか 夜になるとロウソクに火が灯って御線香の臭いがした
とか、盛り上っていました
すぐ近くには柳川熊吉翁之寿碑(やながわくまきちおうのじゅひ)があります
熊吉さんは函館戦争のあと旧幕府軍の遺体が放置されたままだったのを実行寺の住職や
有志の方々と収容して埋葬した方です
北海道のヤクザの元祖だそうです
壁血碑が建立された後は壁血碑の管理をしていたそうです
それにしても戦争で亡くなった方がアチラコチラに放置されている状況・・・
それはそれは恐ろしく尋常ではない状況だったでしょうね
罪になるからかみんな見て見ぬふり
なんだか恐ろしい状況ですね
ここは一度は行ってみたいと思っている場所です。
戦いの良し悪しは別として昔の人は高い志を持って懸命に生きられたのでしょうね。
平和ボケに慣れている私にとっては背筋を伸ばされる思いです。
北海道、紫陽花は8月に咲くのですね?
ワタシは何度も函館へ行っているのですがココは行った事がなかったのです
しかも新撰組ツアーと名うって行っているにもかかわらず
う~ん 戦いの良し悪し
もしかして旧幕府軍がが勝っていれば…
今の日本はどうだったのでしょうかね
当時の函館は戦場で沢山の遺体が埋葬すら許可されずに
放置されていたようです
で、地元の方は子供の頃は結構 霊をお見かけしたそうです
ワタシもタダならぬ空気を感じるスポットがありました
ハイ。北海道の紫陽花の見頃は8月です
実際はそれより前から咲きはじめますが見頃は8月です