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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

歩きこぼし(160日目)

2022年02月19日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月19日 (土)  2/9℃  
歩きこぼしを歩く

(160日目)
江戸・歴史街道歩き旅で鹿児島・鶴丸城址、薩摩藩から徳川家康が眠る日光東照宮までの歩いた道のりを検証していたら、歩きこぼしがあることを発見😭 追加して160日目を歩く。

以下の写真は今日の京都・東寺から


初めて街道歩きをした2年前の1月、東海道五十三次は京都の三條大橋からだった そこまでは出発地の大阪・箕面から高麗橋へ そこから京街道4次を歩き着いていた
(後の東海道57次)





その年 今度は山陽・西国街道を起点地の京都・東寺の羅城門から出発し九州へ歩きだした

一昨年、1日目この東寺から歩きだした西国街道だが、九州まで果たして歩けるか不安だったことを思い出す 





発見した歩きこぼしはこの京都・三條大橋と東寺・羅城門の間が抜けているのだ😂





今まで2回バスに乗りその区間を後日に歩いたが、1回目は東海道の鈴鹿峠越えで朝からの豪雨と霧のため宿舎から鈴鹿峠山麓まで地域のコミュニティーバスに乗せてもらったが後日にしっかりと歩いた





もう一回は同じ東海道の箱根峠越えで突然の雨と風、次いでドカ雪で山道がわからなくなり遭難を覚悟した時、奇跡的に箱根峠の宿舎に着いたが、翌日の山下りは積もった雪で危険だからと宿の主人に言われ、箱根湯本まで開通したバスに乗ったが、この間も雪が解けた3日後にしっかり歩き終えた







こうして自分の足で途切れることなく日本列島を歩いてきたことを思い、わずかな区間であっても歩きこぼしはごまかせない



悪友らからは時たま、誰も見てない一人歩き旅なのでバスに乗ったりしてるんだろう🤣 とからかわれるが、この歩き旅はいつも自分との戦い もう1人の自分が空からしっかりと管理し見届けているから誤魔化すことなど考えた事は無い






と言うことで前置きが長くなったが、これも記録しておかないとすぐに忘れるからね😂

京都・東寺駅前に着き東寺へ向かう


まだ2年前のことだが、よく鹿児島から日光まで歩いたものだと自分のダックスの短い足や膝腰肩身体とさらに薄くなったハゲ頭にも触り撫でながら ありがとう と感謝した😂🤣



ここまで今日の京都・東寺の境内から

東寺を散策後、目的地の京都・三條大橋へ向かう
途中 梅小路公園を通り梅林をみる ここには京都鉄道博物館や京都水族館、野外ステージなどある広い公園だ













 
龍谷大学・大宮キャンパス前を通る


興正寺前を通る






京都は古い町並みとモダンな街が混在する




東本願寺前を通る









 
女性の厄除けの神様とか




五条大橋に着く










川端通りをすすむ


鴨川には鳥たちが憩う




鴨川の水べり刻む青春賦 












三条大橋に到着






街道筋で多くみられる高札場跡




池田屋事件の時の刀傷とされている




三条大橋の袂にある東海道中膝栗毛の弥次・喜多コンビの像
旧東海道五十三次の西の起点地だ


2年前の1月、ここから東海道五十三次の歩き旅に出発した あれから先日の鹿児島・鶴丸城址から日光東照宮までこれで途切れることなく 2.954㎞を歩いたことになり我ながら驚く 

参勤交代などで江戸から地元へ帰藩する大名行列や旅人もここで一休みし、大坂を避けて山崎街道、西国街道、山陽道を経て帰る


(160日目)
歩き残し区間は13.71km   18.308歩だった
 
これを加えたここまでの累計歩数は
2.954km 406.3万歩 となった

日本列島縦断の江戸街道歩き旅は終着地、北海道の松前藩までまだ68%の途中だが、この喜寿の放浪青春旅を楽しみたい



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