幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

泣き弥勒の涙

2010-12-19 23:00:00 | 心の時代

このブログに泣き弥勒の話が何度か出てきている。
私自身が悲しいとき、ふと泣き弥勒を思い出すと
書いてきた。
人の残酷さを見せつけられたときや
自分のことばかりしか考えず、
他の人が傷ついても気がつきもしない心。
それどころか、悪いのは相手の人のせいに
してしまおうとさえ思う心。

この世を幸せにしたいと思う仏さまの思いは
そういうことをみて悲しんでおられるのでは
ないでだろうか。
実物の泣き弥勒はその表情が泣いているように
見えるということだったと思うが、
弥勒菩薩像が自分が辛くて、悲しくて
泣いているだろうか。
泣き弥勒の表情をを見ていると世の中を思い、
嗚咽に近いほどに辛い、悲しいそんな風に感じる。

力があるものが正しいならば、人は力のあるものに
従っていれば正しく生きているというのだろうか。
自らの心の中に矛盾を感じながらどうなのだろうか。

ひとつ、組織の中で生きるということがあると思う。
組織の中で生きるときに矛盾を抱えながら、
自らの心の王国を守りながら時を過ごさなくては
ならないこともあると思う。

「正しさ」は過去の宗教の中で言われた「十戒」と
いうものだけではない。
仏教でいう「八正道」だけではない。
罪を犯すということの他、
また、世の中で生活していれば確かに間違いに
気がつかないことはあるかもしれない。

「正しさ」を宗教として考えると
神仏の思いに合っていないことと言えると思う。
過去、宗教で「十戒」が説かれた、「八正道」を
説かれた、どちらも大切なことだと思う。
しかし、それだけではない、そう感じている人は
今、多くいるのではないだろうか。

自らもまた一人ひとりが、
日々、「正しさ」について振り返りながら、
生きていくことはもちろん大切なことだと思うが。





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