ab Cuore 

帰国した時ノンポリだった私が見たのは≒無政府状態の日本。
ショック、怒り、希望をこのブログに書きました。

5/20  中村浩子 And then 第11話 こっち先に読んで!

2024-05-24 11:21:52 | あほ


5/20  中村浩子 And then 第11話


それは初老の老夫婦の生活のはずだったけれど

2人の生活はままごとのようだった。

2人の新居は忙しい雄二のために都心にあった。


雄二についての新発見は彼は浩子より2歳年下だったことだ。

一か月下でも嫌と友達に公言していた浩子だったけれど

雄二の年のことなど考えたこともなかった。


雄二はめんどりのように浩子の世話をした。

昔ならうるさいナと思っただろうその世話やきに

浩子は安心して身をゆだねていた。


時は人を丸くするのよね。

これが筆者の年をとることで好きなことです。


雄二が家にいるときは何もかも一緒にやった。

と言うか、雄二がなにかもやろうとした。


雄二は浩子のことをよく

マイ ベイビー、モン ベベ、 僕の赤ちゃんと呼んだ。


入浴を面倒がる浩子をバスタブに入れ、

ほーら、入ってみれば気持ちいいでしょう?

と浩子が飽きないように、疲れないように手早く洗ってやった。


当時 浩子の両親は健在?だった。

健在に?をつけたのは2人とも老人用の有料の施設にいたからだ。

浩子は一人っ子で両親は浩子の負担にならないように浩子の他に子供が

生まれないとわかったときからそう決めていた。


2人はまだ浩子の両親に会いに行っていなかった。


雄二は身寄りがいなかった。

施設の前に捨てられていて施設で育った。

彼の産着の中には名前を書いた手紙が入っていて

どこかの女性が一人で産んだ子で自分は育てられないからと

封筒に数万円とお守りを入れ捨てたのだった。

でも雄二はごく幼いときから頭の良さが際立っていて

山本家の養子に向かいいれられた。

雄二が7歳になろうというころ、何と山本家に子供が、しかも男子が生まれたのだった。

さらにその2年後に次男が生まれた

それでも両親は雄二を愛してくれた。

ただ、雄二を山本家の後継者にしたくなかった両親は本当のことを話す

機会を待っていた。

雄二は何も知らないふうに振舞っていたけど

すでに7歳のとき、何か異変が起こっていたことを察知していた。

だから雄二は弟を大事にして、可愛がった。

そうすることで、両親に愛されたかった。

雄二は高校のころから学校の休暇の時はアルバイトに励んだ。


雄二の将来のために雄二の両親は彼の教育を完璧にしてくれたし

雄二が希望したアメリカへの1年の留学費用もなんなく出してくれた。

雄二が大学一年のとき、好きになった女子学生と同棲した時すら

相手の女性に会ったり、アパートを見つけてくれたり家賃を払ってくれたり

本当の親ですら難しいことを全部やってくれた。


当時本当には雄二はまだ養子であったことや、施設に捨てられたことも

知らなかった。

雄二の両親は彼を愛していたからなかなか言い出せなかった。

雄二の弟たちも事実を知らなかった。

それが突然わかったのは、雄二の祖母の決定だった。

祖母の夫は数年前に亡くなり、何もかも祖母の判断/決定ということになった。

ある日、祖母は家族会議というものを収集した。

雄二が26-7のころだった。


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