Jazz & Bossa , 美術館巡り , 古都散策 and many more !

大好きなジャズ&ボッサ、そして美術館巡りと古都を散策などなど。

卑弥呼伝説の箸墓古墳と大神神社

2009-05-31 | ハイキング
5月30日は、「奈良を歩こう会」の月例ハイキングに参加して卑弥呼の墓では
ないかと騒がれている奈良県桜井市にある箸墓古墳とそして大神神社にお参り
をしました。

JR奈良 → 巻向駅下車 → 箸墓古墳 → 大神神社



箸墓古墳は、奈良県桜井市箸中に所在する箸中古墳群の中で一番規模が大きく
全長278m、高さ30mもあり、古墳の中でも最古級と考えられいます。
(同時期の古墳の最大規模が110mであることを考えると、桁違いの大きさであります)
3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳です。建造時期や大きさなどから卑弥呼の墓
ではないかとの説もあります。




邪馬台国自体が九州地方にあったとする学説もありますが、この古墳を、『魏志』倭人伝が
伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(=邪馬台国畿内説)考えもあります。
従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり、卑弥呼が死亡したとされる3世紀前半との
時期にずれがあるため、その可能性は少ないと考えられてきましたが、最近、年輪年代法
や炭素年代測定法による年代推定を反映して、古墳時代の開始年代を従来より早める説が
有力となっており、この箸墓古墳の築造年代は、研究者により多少の前後はあるものの、
卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説が一般的になっており、
箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性が高くなっています。




現在は、宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓
(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており、
研究者や一般の人が墳丘への自由な立ち入りを禁止されています。
宮内庁の管理下では「大市墓」と呼ばれていますが、一般的には「箸墓古墳」
という名称の方が有名。



次は大神神社(おおみわじんじゃ)。
奈良県桜井市にある神社で三輪明神、三輪神社とも呼ばれています。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀り、日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始
から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されています。
大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)など
の神として篤い信仰を集めています。





三輪は、そうめんの産地としても有名でこの神社の参道にあるそうめんのお食事処
で冷たく美味しいそうめんで昼食にしました。



この神社の境内には「笹ゆり」約2千本が植栽されています。
まだ時期が早くほんの数本しか咲いていませんでしたが、
うつむき加減の清楚な姿はたいへん綺麗でした。




そして今回はこの神社が主催している「文化講座・三輪山セミナー」を受講しました。
当日は、東京大学大学院教授、神野志 隆光 氏が「国作りと大物主大神」と題して
日本書紀と古事記から考察した歴史を講演されました。たくさんの人が受講しており、
なかなかに古代・神話から推測・検証した「むつかしいお話し」でした。

今年のGW Part2 たま駅長を尋ねて

2009-05-06 | ハイキング
5日のこどもの日は、朝早く起きて和歌山の貴志川線貴志駅の「たま駅長」

を尋ねました。

JR奈良駅から各停電車に乗り約3時間半かけてはるばる会いに行きました。

本当に子供にもどった様な日帰り旅行でした。

あいにくの雨でしたが、たま駅長を見ようと多くの観光客にまじって楽しい

一日でした。

たま駅長は最初寝ていましたが、一瞬うつろな目でこちらを見てくれ撮影が

できました。(前足を上げている1枚は売店にあったパネルを撮ったものです)

たま駅長で一躍有名になった貴志川線ですが、いちご狩り園もあり「いちご電車」

と「たま電車」を走らせています。外観もかわいいですが、室内はソファーや

シェード、通路に暖簾など色々と趣向を凝らしていて帰りの「たま電車」では

たくさんの人が車内を撮影していました。

















和歌山に来たのだからと駅に一番近い和歌山ラーメンの店「井出商店」に行きまし

たが、同じ事を考えている人のなんと多いこと。雨が降るのに行列が出来ていまし

た。諦めて次は大阪の今話題のグルメスポット新世界に行くことにしました。

思っていた昔の様なイメージはなく、多くの人が訪れておりとても明るい町に

なっていました。テレビ番組で取り上げられ芸能人が食べに来たりして今では

若い人や家族連れで休日はたいへん賑わっています。

食文化の大阪の町、とにかく安くておいしいお店が多いこと。

串かつを食べようとしましたが、こちらも行列が出来ていました。

少し待ち美味しい串かつをお腹いっぱい食べ、スマート・ボールなどで

楽しく遊びました。





なんと1ゲーム100円 ! きのこの山を獲得 !






お座りして前足をあげるかわいいワンちゃん。



人気者だね。写メールのモデルでモテモテ !

今年のGW Part1 春日大社の藤の花

2009-05-04 | ハイキング
さて、いよいよ今年もゴールデン・ウィークがやって来ました。

まずは奈良の春日大社に行きましたが、たいへん綺麗で清楚な藤

の花が見頃を迎えており、たくさん写真を撮りました。

少し曇り空でしたが連休とあって観光客が多く、なかなかいいアングルを

確保できませんでしたが、じっと待ってカメラに収めました。











そして東大寺の境内にある藤棚からも1枚



自転車でワンちゃんを連れ出している(背中のバックでおとなしくしている)めずらしいショットをGET !

桜満開の王子動物園

2009-04-12 | ハイキング
先月20日に近畿日本鉄道の奈良駅~阪神電気鉄道の三宮駅まで直通と

なったため、限定販売のお試しチケットを購入しておいたので、昨日は桜が

満開の神戸市立王子動物園に行ってきました。

ここは桜の名所としても有名で園内いたるところに桜が植わっており、ちょうど

満開になっていてたいへん綺麗でした。

この動物園はジャイアントパンダやコアラそして絶滅寸前らしいアムールトラ

などの希少動物を近くで見る事ができます。

子供の頃に戻ったようで懐かしくとても楽しい一日でした。















紅葉狩り 壷阪寺~高取城跡

2008-12-28 | ハイキング
11月23日に「奈良を歩こう会」の月例ハイキングで紅葉を求めて
壷阪寺~高取城跡を散策しました。
弁当を買い損ね空腹でのかなり険しい山道歩きはとても厳しいものでした。

「真言宗 壷阪山南法華寺(通称 : 壷阪寺)」
西暦七〇三年、元興寺の弁基上人がこの山で修行していたころ、
愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、像を刻んでまつって開いたと
言い伝えられており、養老元(七十七)年に元正天皇により八角円堂
が建てられ、南法華寺の正式寺号を賜ったとされています。

壷阪寺は浄瑠璃「壷坂霊験記」の眼病の効験で知られています。
盲目の沙弥が壷阪観音の信仰で開眼治癒したという話があり、
本尊の十一面千手観音は厚い信仰を集めています。

昭和三十九年より始まったインドでのハンセン病患者救済活動のご縁で
インドに対する社会奉仕の事業のお礼としてインド政府から贈られた
大観音石像は高さ20m、石像としては世界最大との事でそのほかにも
大涅槃石像、大釈迦如来石像等、巨大石像群が境内にあります。






「磨崖仏」
五百羅漢、両界曼荼羅、聖衆来迎図などたくさん掘られていました。



「高取城跡」
高取山(583.9m)山頂に築かれた典型的な山城の城跡で、
高取山山頂一帯に多くの石垣が残っています。

高取城は、越智氏よって南北朝時代に築かれその後、越智氏の詰めの
城として、越智氏の本城貝吹山城と常に連携を取っていた城です。

天正8年、織田信長の大和国一国一城令により一端廃城となりましたが、
天正12年には筒井順慶が、高取城を大和郡山城の詰の城として
復興を開始しました。

天正13年、筒井定次は伊賀上野へと移され、大和・和泉・紀伊三国は
豊臣秀長が所領することになり、高取城へ本多正俊が入りました。

秀長は、筒井順慶と同様に高取城を詰の城とし、居城大和郡山城の大改修
と共に、高取城も近世城郭へと改修。

本多氏は、大和大納言家断絶後、15,000石を領して大名となりまし
たが、寛永14年、本多利家に嗣子無く断絶。 
寛永17年に植村家政が25,000石で入封し、植村氏が明治まで
代々領したとの事です。

なお、高取城は、明治維新に廃城となって、建物が取り壊されました。

          


「猿石」
高取城二の門外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点に、飛鳥時代の
斉明朝(7世紀)制作と推定されている「猿石」があります。
この「猿石」は、高取城築城の際、石垣に転用するために明日香から
運ばれたとされており、明日香村桧隈にある吉備姫王(きびのひめみこ)
墓の域内にある石造物と同類のものと考えられ、猿に似た大きな顔をし
ています。郭内と城内の境目を示す「結界石」としたという説もあります。




下山すると、「たかとり城まつり」が開催されていました。
火縄銃の実演などを見る事ができました。
迫力あるすごい銃声音にびっくりしました。


葛城古道を散策

2008-11-09 | ハイキング
10月25日に「奈良を歩こう会」で月例のハイキングに出かけ
ました。奈良の近鉄電車、御所(ごせ)駅より櫛羅(くじら)という
交差点から始まる葛城古道を尋ねました。

葛城古道は奈良県御所市の大和葛城山と金剛山の麓にあり古事記
・日本書紀に登場する神話・古代史の舞台として知られています。

最初に訪れたのは、葛城古道の名所のひとつ、葛城一言主神社
(かつらぎ ひとことぬし じんじゃ)です。
この葛城一言主神社が全国にある一言主神社の総本宮です。

古事記や日本書紀ではご祭神の一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)
と雄略天皇とのエピソードは有名です。
司馬遼太郎氏も「街道をゆく」の中でこの一言主神社のことを取り上げ
ています。願い事を一言なら叶えて下さるとの言い伝えがあり、お参り
に訪れる方が絶えません。



ここにある樹齢1200年と言われる銀杏の大木には乳房のような木肌が
いくつもあることから、乳銀杏と呼ばれ「健康な子供を授かり、
お乳がよく出る」ご利益があると古くから子供の無事を願う親の信仰を
集めている御神木なのです。



次に一言主神社から九品寺(くほんじ)に向かって歩きました。葛城古道は
葛城山の山麓の高台を通る道なので、いくつかの場所で大和三山
を展望することができます。
 
大和三山というのは畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)、
天の香久山(あまのかぐやま)のことで万葉集など和歌によく登場します。

楢原休憩所で昼食してしばしの休憩をしました。そのすぐ先にひとつの
石碑がたっています。この周辺は第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)
の葛城高丘宮の跡と伝えられている場所です。





そして九品寺に到着しました。奈良時代に行基が開いたお寺です。
ご本尊は平安時代後期に作られた阿弥陀如来坐像で国の重要文化財
に指定されています。1558年に浄土宗に改宗し、現在に至っています。

「ここに着たら本堂の裏山にある千体仏をぜひ見ていって」とお参りに
来ていた年配のご婦人に薦められました。

約1700体もある石仏が祀られており、「千体仏」と呼ばれています。
この石仏は南北朝時代、この地を治めていた楢原氏が南朝側について戦を
した際に地元の人たちが味方の身代わりとして奉納したものです。

石仏と周りの木々の色のコントラストが美しく、特に彼岸花や紅葉の季節
にはたいへん綺麗だそうです。

九品寺には十徳園というたいへん綺麗に整備された庭園もありました。








天孫降臨神話の里、高天ヶ原に到着しました。ここは金剛山中腹にあり
橋本院付近の水田一帯の地で高天原伝承地なのですが、現在は石碑だけで、
駐車場にトイレがあるだけ。がっかりしました。
・・・全国に「天孫降臨の地、高天ヶ原」は数多くあるそうです。



さらにどんどん歩いていくと「高天彦神社」に着きました。
葛城氏の祖神を祭り、背後の美しい円錐形の山がご神体との事。



近くに、鶯宿梅、蜘蛛窟の史跡もありますが、一番気に入ったのが
「幸を呼ぶ福蛙」でした。なんともユーモラスでニコヤカな顔をしており
手で触って幸せになるようにお祈りしてくださいと書いてありました。
・・・「すべての災いを幸せにカエル」との事です。



そして最後にたどり着いたのが高鴨神社です。
この地方の豪族であった鴨氏の氏神社で、京都の賀茂上下社もここが
本家に当たるそうです。重文の本殿は桧皮葺きで室町時代に建造され
たものです。






今回は少し曇りのお天気でしたが、歩くにはいい気候でよかったです。
日頃の運動不足解消と名所旧跡を見て勉強しついでに綺麗な景色を撮影。
まだあります
・・・夜の飲み会とカラオケ・タイムでストレス発散 ? 楽しい1日でした。
幹事様今回もたいへんご苦労様でした。

奈良県 橿原 畝傍山周辺を散策

2008-09-15 | ハイキング
昨日は「奈良を歩こう会」のハイキングに参加し奈良県橿原市の
名所旧跡を訪ねました。



コースは次の通りです。
久米寺 → 橿原神宮 → 畝傍山 → 畝傍山口神社 
→ 橿原考古学研究所付属博物館 → 本薬師寺跡
→ 猿沢の池(「釆女祭」)

久米寺
橿原神宮の一の鳥居を南に入ってすぐのところにあります。
一般に「久米の仙人」の伝説にちなんだ寺として知られてますが、
元々ここは久米部の武人の住んだ地といわれ、推古天皇の時に
聖徳太子の弟だった来目皇子(くめのおうじ)の創建と伝えら
れる古寺です。
創建のきっかけは、推古天皇の眼病全快のお礼だったと言われ、
本尊の薬師如来は、眼病に効くと言われました。
境内には京都の仁和寺から移建された多宝塔(重要文化財)や
久米仙人像があります。








お昼は、橿原神宮周辺にある「ニューコト司」というお食事処で
うどんを食べました。私は「梅わかうどん」を賞味しました。
・・・梅干とワカメが入ったうどんでとても美味しかった。
うどんを出してくれたお店の女性がかなりの美人で、記念に店内と
あなたを写真に撮りたいと申入れましたが、断られました(笑い)
でもとても愛想のよい人でお店の名刺に名前を書いて挨拶してくれ
ました。次回橿原に来るときは必ず立ち寄りますよ。




橿原神宮
歴史は比較的新しく、明治時代に作られたものです。この神社の由来は、
日本書記に書かれている、神武天皇が大和の難敵を次々と征服し、畝傍山
のふもとに造営を思い立ったという史実に基づいています。
明治時代の国策と密接な関係があり、富国強兵の「神国日本」のシンボル的
な存在となっていました。礎石の一部は飛鳥時代の大官寺のものが使われて
おり、奈良の歴史を感じさせます。
橿原神宮は、全国22社ある官幣大社に指定され昭和天皇が紀元2600年奉祝
式典で参拝されるなど天皇とゆかりの深い神社で現在でも天皇の参拝意が
ある神社です。



神武天皇
初代天皇。もともと、皇帝孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に
降りられ九州の日向におられたが、天下の政治を行うため東に旅立たれました。
途中幾多の困難に遭われたが、ついに大和の国を中心とした国を平定され、
畝傍(うねび)の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられたと
伝えられています。


畝傍山
畝傍山は香久山、耳成山とともに大和三山の一つで、名前はよく知られて
いますが、標高はわずか199メートル。
しかし、登山・下山ともに昼食に飲んだビールのせいでたいへんツラカッタ。
でも頂上から見た景色はほぼ橿原市を見渡せたいへん綺麗でした。
東麓には神武天皇陵、南麓には橿原神宮があります。




本薬師寺跡
現在、西の京にある「薬師寺」の前身にあたる本薬師寺は、天武9(680)年、
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈念して、発願された寺であり、
文武2(698)年に伽藍はほぼ完成したと伝えられています。
養老2(718)年に平城京遍都に伴い平城京右京六条二坊に移転しますが、その
後も平安時代中頃まで、本薬師寺と呼ばれて存続していた寺であります。
このお寺跡地の周りは休耕田になっておりそこに多くのホテイアオイが栽培され
ていて、たくさんの見事な花を咲かせていました。






中秋の名月の14日、奈良市にある猿沢の池で「釆女祭」が行われていました。
「釆女祭」は、奈良時代に天皇の愛情が薄れたのを嘆き池に身を投じた釆女
の霊を慰めるために始まったとされる行事です。
雅楽の演奏が響く中、「ミス釆女」らを乗せた小船が池を廻りました。
暗くて見物客がたいへん多いので、うまく撮影できませんでしたが、
なかなかみやびな行事で見物出来て良かったです。


奈良春日奥山原生林をウォーキング

2008-07-27 | ハイキング
昨日は、「奈良を歩こう会」月例ウォークで
春日奥山原生林の遊歩道を歩きました。
このコースは「奈良を歩こう会」のいわば基本かつ定番コース
であり、四季折々に綺麗な景色を楽しむ事が出来る素晴らしい
コースであります。
途中、若草山頂上と鶯の滝、そして寂れて廃墟のようになって
いる興福寺別院歓喜天に立ち寄りました。
「鶯の滝」ではガクアジサイが咲いておりとても涼しくしばし
の休息をとりました。











         

あじさい園を尋ねて

2008-06-29 | ハイキング
昨日は「歩こう会」月例ウォークで「大阪府民の森 ぬかた園地」にある
あじさい園にハイキングしました。

近鉄生駒ケーブルに乗り生駒山上駅で下車し生駒山上遊園地から下った所
にありました。

たいへんたくさんの「アジサイ」が植えてあり多くの人が来ていました。
しかし、山の中なのかまだ全部咲いておらずもう一週間後ならもっと綺麗な
アジサイをみる事が出来るようです。

綺麗な花とひんやりした空気を満喫できました。午後から雨が降り出して
きましたが、ケーブルに乗らず生駒山を徒歩で下山したのです。
・・・・・「歩こう会」ですからね。

滑って転んだりとこれが結構キツかったです。
途中宝山寺にお参りもしました。
よく歩いたせいか今日はふくらはぎが張って筋肉痛になりました。


生駒山上ケーブルカーは、可愛い「ブル」と「ミケ」そして「リス」の車両があります。お子様に大人気ですよ。




けなげにたくましく生きる植物






アジサイの原生種は日本にあるらしいです。日本から中国に、そして
中国からヨーロッパに渡り品種改良されたものが現在よく見るアジサイ
ですよと「歩こう会」の博識あるメンバー(仏教やキリスト教についても
詳しい)の説明でした。

ブルースカイ、クレナイヤマ、シチダンカ、アナベル、ウズアジサイ、
ミセスクミコなどたくさんの品種があります。









梅の実を収穫 !

2008-06-07 | ハイキング
今日は、自宅から車で約20分くらいのところにある梅林に

行ってきました。

目的は梅酒を造るための梅の実を採るためなんです。

公共地にある梅林なので自由に持ち帰りでき、すべて無料。

園内を荒らさなければ自由に梅の実を採ることが出来るのです。

たいへん広い梅林にたくさん実がなっており、二つの袋にいっぱい

収穫しました。

梅酒の出来上がる来年が楽しみです !





松尾寺の薔薇

2008-05-24 | ハイキング
今日は、「奈良を歩こう会」で奈良の平城京跡と松尾寺を散策しました。
お天気がよくなく小雨でしたが、良い行楽でした。

撮影はしていないのですが、平城京跡の資料館を見学しボランティアの
人から当時の生活や都の状況をたいへん詳しく教えて頂きました。

次にランチを奈良市奈保町にある「Winning the Resort Cafe」でいただき
くつろぎました。とても美人のウエイトレスさんがいて、そして料理も
すごく美味しかったです。

「緑あふれる自然に囲まれ、癒し指数満点。アジアンリゾートを思わせるカフェ」
とキャッチコピー通りでしたよ。

そして、薔薇をたくさん栽培されている奈良県大和郡山市にある松尾寺に向いまし
た。

松尾寺は、718年(養老2年)天武天皇の皇子舎人親王が元正天皇の命を受けた
『日本書紀』編纂の完成と自身の42歳の厄除けを祈願して、法隆寺東院住持永業
禅師と共に創建したと伝えられています。

また、養老年間(717~24年)に鎮守として勧進された松尾大明神(清滝権
現、大山咋神、牛頭天王の3社神)を祀る松尾山神社が境内にあり、神仏習合の
古刹であります。

なんと云っても境内にある薔薇園がとても素晴らしかったですね。
来年もこの季節に訪れたい良いお寺です。


「奈良を歩こう会」 at the Winning the Resort Cafe



松尾寺

    









桜と大仏様とバサラ女性 ?

2008-04-12 | ハイキング
奈良の大仏様のいらっしゃる東大寺に行ってきました。

桜が満開状態でたいへん綺麗でした。

偶然(幸運 ?)にもカメラマン同行で東大寺内を撮影している着物(たぶんバサラ風

にくずしてファッションしている)姿の女性二人を見ましたので、撮影を了解して

いただき数枚カメラに収めました。

・・・・その二人が大仏殿の中に入っていくので、年配の参拝客は驚いていました。

奈良や京都では最近若い女性を中心に紬などの普段着感覚で着れる着物でお出かけ

しているのをよく見ます。とても美しいですね。日本の文化を守って世界にアピール

してくださいね。




              ご歓談中のとろ誠に失礼致します・・・・・






           何十年振りでしょうか。ご尊顔を拝し心が清められました。


信楽の狸さん

2008-01-12 | ハイキング
今日は、「歩こう会」に参加して滋賀県の信楽に行ってきました。

大きな窯元を見学しました。とにかく狸の置物だらけでした。

信楽焼の狸の置物は、昭和天皇が信楽町行幸の際、たくさんの狸たちに国旗を持た

せ沿道に並べて歓迎したことに昭和天皇が深く感銘され歌を詠んだ逸話によって、

全国に名が知られるようになったとの事です。

縁起物として喜ばれ、商売が繁盛するようにと店の軒先に置かれることが多いです

ね。今では狸の置物は、信楽焼の代表で、お土産として買い求める観光客が多い

です。実際町のいたるところで、陶芸品を販売しており店先には必ず狸の置物が

あります。現代風なもの、可愛いもの、ユーモラスなものと種類も豊富ですね。


「歩こう会」 in 信楽 !




うどんにまで狸 !














長谷寺

2007-12-15 | ハイキング
今日は長谷寺に行きました。
さすがに紅葉は終わっていましたが、午前中に到着した
こともあって観光客は少なく撮影を楽しめました。
長谷寺の境内よりも周辺を撮影したものに気に入った
写真がありました。