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エドガー・ドガ 【My Favorite Artist Vol.7】

2013-10-28 | 絵画

自ら「現代生活の古典画家」と称したフランスの印象派
画家、エドガー・ドガ(1834-1917)について、調べた事を
日記にしました。

1834年、パリの銀行家の長男として生まれる。
「ドガ」(de Gas)という貴族風の苗字を持つが、ドガ家は
フランス革命後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、ドガ
が生まれた頃にはさほど裕福ではなかったらしい。
最初、法律を学ぶが21歳から画家に転向。

                   「画家の肖像(木炭ばさみを持つドガ)」1854-55年作品。オルセー美術館 (パリ) 所蔵

                 

1855年、名門エコール・デ・ボサール(官立美術学校)に
入学し、新古典主義の巨匠アングルの弟子で線描の
信奉者ルイ・ラモットに師事した。デッサンの大切さを説か
れ、終生デッサンを続けた。

1856年から三年間、イタリアにいる叔母ラウラの家に
滞在、この時ルネサンス芸術や北方ルネサンス様式に
触れ、巨匠たちの作品から古典的な画面構成や技法を
学び、模写・研究をおこなった。帰国後は重厚な歴史画
や肖像画を描いていた。

                                  ベレッリ家の肖像1856-1860年 オルセー美術館(パリ)所蔵

1865年以降は競馬、踊り子、音楽家、洗濯作業する女性、
カフェの情景、入浴する女性など、いわゆる「近代生活」
をテーマにして、鋭い線描と鮮やかな色彩で描くように
なった。この頃、マネと知り合っている。

                       競馬場の馬車(プロヴァンスの競馬場) 1869年頃 ボストン美術館所蔵

1874年に銀行家の父が死去し、長男であったドガは莫大
な借金をかかえ、返済のために家や財産などを売却して
いる。

1874年以降に開かれた全8回の印象派展のうち、7回
出品しているが、他の印象派の画家たちとは明らかに
異なり、戸外の光のもとで制作するよりも、屋内で人物
を描くことを好んだ。純粋な風景画は決して多くない。
ドガの興味は、人物や馬が見せる瞬間の動きにあり、
それをカンヴァスに再現するために、デッサンを繰り返し、
また浮世絵から学んだクローズ・アップやスナップショット
などの手法を積極的に絵画に応用した。

          手袋をした歌手(カフェの歌手) 1878年頃 マサチューセッツ、ケンブリッジ、フォッグ美術館所蔵

                 

30代半ばに普仏戦争に従軍した頃から目を悪くし、その
ためもあって1886年の第8回印象派展を最後にほとんど
作品を一般に公開していない。目の衰えがひどくなると
油絵を放棄してパステルに専念し、蝋や粘土による彫刻
の制作を始めている。晩年は視力の衰えもあり、踊り子、
馬などを題材とした彫刻作品も残している。それらはドガ
の死後にアトリエから発見されている。70歳になる頃には
ほとんど目が見えなくなり、最晩年の十数年間は制作も
思うようにならなかったという。
1917年、ドガは83歳でひっそりと息を引き取った。

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線描を重視し、大胆で奇抜な構図や対象の瞬間を鋭く
捉える優れた観察眼で、初期には歴史画や肖像画、
発展期から円熟期には競馬、舞台、踊り子など都会的
なモティーフや、日常生活に見られる光景などを描いて
います。特にバレエの踊り子と入浴する女性を題材に
した作品が多く、彼女らの一瞬見せる何気ない動作を
永遠化する素描力は秀逸です。

・・・バレエ作品が多いのは?

パリの銀行家の息子として生まれたエドガー・ドガは、上流
階級の社交としてオペラ座の定期会員となり、バレエの稽古
場や楽屋に自由に出入りして、踊り子・バレリーナたちの練習
風景をつぶさに観察し自らの絵画作品としました。
当時のフランスには、まだクラシック・バレエやモダン・バレエ
が紹介されておらず、ロマンチック・バレエの時代で、ドガの
作品のバレエ風景はすべてロマンチック・バレエの風景と
なっています。
ドガがバレエ作品に熱意を向けていたことは後世のオペラ
座でも評価されており、ドガの彫刻「14歳の小さな踊り子」
をモティーフとしたバレエ作品を2003年に初演しています。

                            ダンス教室(バレエの教室) 1875年頃  オルセー美術館(パリ)所蔵

         

                  踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子) 1878年頃 オルセー美術館(パリ)所蔵

   

※ドガの有名な絵画を動画にアップしました。


小磯良平画伯 【My Favorite Artist Vol.6】

2013-10-20 | 絵画

神戸市出身の小磯良平画伯(1903-1988)は、日本の近代洋画界を代表する画家

としてあまりにも有名。肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られています。

以前に小磯良平画伯の絵画『斉唱』などの実物を観覧した時の感動が忘れられず、

小磯良平画伯の事を調べ記録しておくために日記にしました。

 

【小磯良平画伯の経歴】

明治36年7月25日、神戸市に生まれる。

当時の神戸は、外国貿易の窓口となっていた旧外国人居留地を中心に発展しており、

小磯は洋館が立ち並ぶ街で自然に「西洋的な空気」を吸って幼年期を送りました。                               

クリスチャンの家庭で育ち、鉛筆と紙を与えておけば黙々と絵を描いて飽きることが                              

なかったと言われています。

 

兵庫県立第二神戸中学校(現 兵庫高校)に進学し、生涯の親友となった竹中郁と出会                           

います。のちに神戸を代表するモダニスト詩人となる竹中の影響もあり小磯の心の眼は                          

ヨーロッパに向けて開かれました。大正10年、倉敷へ一緒に出かけ大原コレクションを

公開した「現代フランス名画家作品展覧会」に感動を覚え、画家への志しを強めます。

 

大正11年、東京美術学校(現東京芸術大学)の西洋画科に入学し、大正14年の                        

第6回帝国美術院美術展覧会(帝展)に出品した『兄妹』で初入選を果たし、翌年には                            

『T嬢の像』が特選に輝きます。当時、美術学校では出品を禁じていましたが23歳の画学生                      

が描いたとは思えない完成度の高さを誇るこの作品で画壇に鮮烈なデビューを果たしたのです。

 

                               『T嬢の像』 

                      

 

昭和2年、規定課題の『自画像』と竹中郁をモデルにした『彼の休息』の2作品で98点という最高

得点をとり首席で卒業。

 

                                『自画像』

         

 

                                『彼の休息』

              

 

卒業の翌年、小磯は念願であったフランス留学に出発し、一足先に到着していた竹中と                    

ともに2年間ヨーロッパを遊学します。絵画技法の習得よりも、各地の美術館をめぐり、アングル、                

コロー、クールベ、マネ、ドガなどの巨匠達の作品を鑑賞することに熱心でした。

ルーブル美術館のパオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』に衝撃を受け、群像表現を極めることを        

生涯のテーマと決めたのもこの頃だと言われています。

留学中には劇場で踊り子たちの舞う姿を楽しみ、クラシックの音楽に耳を傾けたようです。

 

                     パオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』

 

昭和13年から1年間、陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を製作。         

昭和16年に群像画の傑作『娘子関を征く』と『斉唱』を相次いで発表。小磯は群像を書くため           

精力的に戦争画に取り組んだが、戦後は画集に収録しなかった。戦意高揚のために戦争画を          

書いてしまったことに心が痛むと晩年に語っています。

 

                              『娘子関を征く』

             

 

                                  『斉唱』                   

                            

 

戦後も精力的に絵筆を振るい始めます。優れた素描力を十分に生かしながら、「欧州絵画の           

古典的な技法を日本の洋画に根付かせる」ための研究を根気強く続け、独自の画境を開く            

ことになります。東京芸術大学教授などを務めて後進の指導にあたり、定年退官後も迎賓館           

大広間の壁画『絵画』『音楽』を制作するなど長きにわたり日本の洋画界に大きく貢献しました。

平成4年に創設された「小磯良平大賞展」は国内最高賞金の公募展として知られています。

 

     平成4年11月に神戸市立小磯記念美術館が、緑豊かな六甲アイランド公園内に開館されました。

    

 

小磯良平画伯は親しみやすい女性像を中心としながら、西洋絵画の伝統の中に、市民的でモダンな         

感覚と気品あふれる画風を完成した画家でした。

 

※小磯良平画伯の作品を鑑賞できる動画を作成しました。

 


Jazz も巧い Maria Muldaur 【My Favorite Artist Vol.5】

2013-10-12 | Jazz Vocal

足を怪我し、3連休は自宅でゆっくり静養しようと思い、今日はレコードとCDを午前中から

ずっと聴いていました。

大好きなジャズやボサ・ノバを聴いていましたが、若い頃から大好きなマリア・マルタ゜ー

のアルバムも3枚ほど続けて聴きました。

60年代後半に登場し70年代に「Midnight at the Oasis 」で大ブレイクしたシンガーで

オールド・タイミーな曲、カントリー、ブルース、ゴスペルやジャズなどもたいへん巧く

表現できるグレートなヴォーカリストです。

Maria Muldaur -Midnight at the Oasis


日本では単にロック歌手、海外では、ウッドストック・サウンドというジャンルで分類される事も

ありますが、マリア・マルダーの才能はそんな狭いものではありません。

私は、大学生の頃にロスアンゼルスのライブハウスで彼女のステージを見ました。

なんと、5m位の真近で見れ、美ししい彼女が歌う姿にすっかり魅了されてしまった

のを昨日のように鮮明に覚えています。

来日公演にも、もちろん駆けつけました。当時は彼女のレコードが発売されるとすぐに購入し、

日本で発売されないレコードは輸入盤専門店に頼んで入手したほどです。

現在も彼女のCDを収集しており、ほぼコンプリートに揃えています。

でも、やはり若い頃の録音がいいと思うのは、夢中になった当時の事が忘れられないせい

かもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は特に彼女が歌う「Lover Man」をとても気に入っています。

※動画を作成しました。

"Lover Man" Maria Muldaur


彼女がジャズに取組んだ作品としては、Sweet And Slow が有名です。CDで再発売されています。

Seldon Powell(ts)、Kenny Barron(p)、Michael Moore(b)、Ben Riley(dm)

などジャズ界の錚々たるアーティストが参加しています。

洋楽をお好きな人にぜひ聴いてほしいアーティストです。


お寺と美術館巡り “新薬師寺~般若寺~松柏美術館”

2013-10-07 | 古寺散策

昨日は、奈良のお寺と美術館を巡りました。 

昼食に大好きな手打ち蕎麦を食べてから、まずは新薬師寺を訪ねました。  

天平19年(西暦747年)に光明皇后が聖武天皇の病気平癒祈願の為に創建されたお寺です。

新薬師寺という名前は『新しい薬師寺』ではなく、『霊験新たかな薬師如来さまを祀ったお寺』

という意味で、西ノ京の薬師寺とは無関係なのです。

創建当初は七堂伽藍の建ち並ぶ大寺院だったそうですが今は素朴な感じの小さなお寺です。

しかし、このお寺には本堂をはじめ13もの国宝があります。

ご本尊の薬師如来は、大きく目を開いており、ちょっとふっくらしていて印象に残ります。

薬師如来坐像と如来様を取り囲むように安置されている塑像の十二神将は有名です。

私は、このお寺には3回も拝観していますが、何度観ても十二神将の迫力を感じます。

 

 
※動画を作成しました。

 

次は、初めて訪ねる般若寺です。

途中で東大寺の転害門も観る事ができました。

 

般若寺は東大寺の北側に位置し、境内は10種類約10万本のコスモスが咲き乱れ、コスモス寺

と云う名前で有名です。 もともと飛鳥時代に開かれたお寺ですが、奈良と京都を結ぶ要路にあった

為、幾度の戦乱に巻き込まれました。その都度繰り返し再建されるという歴史をたどります。             

楼門の奥正面に立つ十三重石塔は、高さ約14.2m もあり、このお寺の象徴となっています。

石仏を彩って咲くコスモスや彼岸花などが美しく花の寺としても有名です。

昭和 39年に十三重石塔の大修理の際に発見された阿弥陀如来(秘仏)も公開されていました。

コスモスに囲まれたあどけない表情の石仏が多く心がなごみました。  

 

※動画をアップしました。

 

最後は、松柏美術館で上村松園の《特別展》女性たちの物語

~松園のモデルとなった才女たち~ を観覧しました。

併設展示で、松園の息子と孫である、松篁と淳之の花鳥画作品も展示されていました。 

 

「展示内容」

60年以上の画業において女性美を追究し、独自の美人画を描いた上村松園。

松園が好んで描いた題材に、物語や歴史上に伝わる才女たちの姿があります。

大和撫子の気概を貫き自害した遊女亀遊や、無実の罪を晴らし身の潔白を証明

した小野小町、源頼朝の面前で義経を想いながら舞を舞った静御前の毅然とした

姿は、男性社会の中で苦悩する松園に大きな力を与えました。

そして、それらから、「遊女亀遊」「草紙洗小町」「静」などの傑作を生み出しました。

また大正期には「娘深雪」「花がたみ」「焔」と、恋する女性の内面を追究するうち

狂気や怨念に満ちた凄艶な世界へと足を踏み入れ、スランプに陥りますが、「焔」

完成から4年の時を経て発表された「楊貴妃」は格調高い情趣に包まれ、スランプを            

脱し新たな出発点なった作品です。・・・・と美術館の案内にありました。

 

松柏美術館は、常設展がなく毎回展示が違います。私は今回で3回目でしたが、今回も

貴重な下絵をたくさん観る事ができました。

私は、絵画も実物を観ないと感動しません。松園の絵は単なる美人画ではなく、女性の          

感情を絵に込めている気迫を感じました。

 

                   「花がたみ」 大正4年 松伯美術館蔵

             

 

                    「焔(ほのお)」 大正7年  松伯美術館蔵

                 

 

                     「楊貴妃」 大正11年 松伯美術館蔵

 

                    「男舞之図」 昭和13年頃 名都美術館蔵

 

※上村松園の美人画を集めて動画を作りました。