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紅葉狩り 壷阪寺~高取城跡

2008-12-28 | ハイキング
11月23日に「奈良を歩こう会」の月例ハイキングで紅葉を求めて
壷阪寺~高取城跡を散策しました。
弁当を買い損ね空腹でのかなり険しい山道歩きはとても厳しいものでした。

「真言宗 壷阪山南法華寺(通称 : 壷阪寺)」
西暦七〇三年、元興寺の弁基上人がこの山で修行していたころ、
愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、像を刻んでまつって開いたと
言い伝えられており、養老元(七十七)年に元正天皇により八角円堂
が建てられ、南法華寺の正式寺号を賜ったとされています。

壷阪寺は浄瑠璃「壷坂霊験記」の眼病の効験で知られています。
盲目の沙弥が壷阪観音の信仰で開眼治癒したという話があり、
本尊の十一面千手観音は厚い信仰を集めています。

昭和三十九年より始まったインドでのハンセン病患者救済活動のご縁で
インドに対する社会奉仕の事業のお礼としてインド政府から贈られた
大観音石像は高さ20m、石像としては世界最大との事でそのほかにも
大涅槃石像、大釈迦如来石像等、巨大石像群が境内にあります。






「磨崖仏」
五百羅漢、両界曼荼羅、聖衆来迎図などたくさん掘られていました。



「高取城跡」
高取山(583.9m)山頂に築かれた典型的な山城の城跡で、
高取山山頂一帯に多くの石垣が残っています。

高取城は、越智氏よって南北朝時代に築かれその後、越智氏の詰めの
城として、越智氏の本城貝吹山城と常に連携を取っていた城です。

天正8年、織田信長の大和国一国一城令により一端廃城となりましたが、
天正12年には筒井順慶が、高取城を大和郡山城の詰の城として
復興を開始しました。

天正13年、筒井定次は伊賀上野へと移され、大和・和泉・紀伊三国は
豊臣秀長が所領することになり、高取城へ本多正俊が入りました。

秀長は、筒井順慶と同様に高取城を詰の城とし、居城大和郡山城の大改修
と共に、高取城も近世城郭へと改修。

本多氏は、大和大納言家断絶後、15,000石を領して大名となりまし
たが、寛永14年、本多利家に嗣子無く断絶。 
寛永17年に植村家政が25,000石で入封し、植村氏が明治まで
代々領したとの事です。

なお、高取城は、明治維新に廃城となって、建物が取り壊されました。

          


「猿石」
高取城二の門外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点に、飛鳥時代の
斉明朝(7世紀)制作と推定されている「猿石」があります。
この「猿石」は、高取城築城の際、石垣に転用するために明日香から
運ばれたとされており、明日香村桧隈にある吉備姫王(きびのひめみこ)
墓の域内にある石造物と同類のものと考えられ、猿に似た大きな顔をし
ています。郭内と城内の境目を示す「結界石」としたという説もあります。




下山すると、「たかとり城まつり」が開催されていました。
火縄銃の実演などを見る事ができました。
迫力あるすごい銃声音にびっくりしました。



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1 コメント

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参考にしています (歩きメデス)
2008-12-29 13:21:30
私も時々ハイキングに出かけますので、いつも参考にさせてもらっています。
ハイライトの紹介や写真もきれいなので、有難いです。
またどこかへ出かけられた際は、是非紹介してください。
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