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大好きなジャズ&ボッサ、そして美術館巡りと古都を散策などなど。

奇跡のクラーク・コレクション (兵庫県立美術館で観覧)

2013-08-17 | 絵画

クラーク美術館は、1955年に開館した米国マサチューセッツ州ウィリアムズタウンにある美術館です。

イタリア・ルネサンスのオールドマスターの作品から、近代に至るまでのヨーロッパ絵画、 また陶器や

銀器などの工芸美術品も時代と地域を越えた幅広い作品を所蔵しています。

絵画では30点以上に及ぶオーギュスト・ルノワール作品をコレクトしている事でも有名です。

カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、クロード・モネなどの印象派絵画も驚くべき質の高さを誇ります。

                            

                                       クラーク夫妻(スターリング&フランシーヌ)

           

 

                     クラーク美術館(Sterling and Francine Clark Art Institute)

      

 

 

現在、建築家・安藤忠雄の監修で施設の増改築工事が行われており、これに伴い2011年にコレクションの

世界巡回展開催が決定し幸運なことに今年、日本にも開催される事になりました。 

 

関西では、兵庫県立美術館でこの展覧会が開催されており8月15日に観覧してきました。

 

 

 

クラーク美術館が所蔵する名品の内、ルノワール作品22点、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ・・・。

これまで目にしたことのない奇跡のフランス絵画73点を観れてたいへん感動しました。                                                                            

しかも59点もの作品が日本初公開でした。 

 

※展覧会の内容 

①戸外に出た絵描き達 バルビゾン派・外光派

1830年から1870年頃にかけて、フランスで起こった絵画の一派。                                                                    

画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になり緑豊かな

田園風景や農民の素朴な姿を題材にして描いています。

従来の方法に従い作品はアトリエで仕上げていましたが、それらは

戸外で風景を忠実に捉えたスケッチから始まったのでした。

自然光や事物の動きをたくみにみに描写した色彩や筆触は、後の

印象派の到来を予告しているようです。

フランスのバルビゾン村やその周辺に滞在や居住し、自然主義的な

風景画や農民などを写実的に描いています。1830年派とも呼ばれています。

コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー

の7人が中心的存在で、「バルビゾンの七星」と云われています。                                                                      

広義にはバルビゾンを訪れたことのあるあらゆる画家を含めてそのように                                                        

呼ばれています。 

 

展示してあった作品から

              カミーユ・コロー《ルイーズ・アルデュアン》1831年 油彩・パネル

     

 

            テオドール・ルソー ランド地方の農園1844-1867年頃 油彩・パネル

 

         

              コンスタン・トロワイヨン《ガチョウ番》1850-1855年頃 油彩・パネル

    

 

        ヨーハン・バルトルト・ヨンキントフリゲート艦1852-1853年頃 油彩・カンヴァス

 

  

                             カミーユ・コロー《水辺の道》1865-70年頃 油彩・カンヴァス

  

    

           ジャン=フランソワ・ミレー《羊飼いの少女、バルビゾンの平原》 1862年以前 油彩・パネル 

                 

 

               オノレ・ドーミエ《版画収集家たち》 1860年-1863年頃 油彩・パネル 

 

②光を捉える印象派 

カンヴァスと絵の具を戸外に持ち出し、目に見える風景を写しとっていきました。木々や波、建物に

見える光の反映を、色の細分化と筆触を重ねることで描き留めようと試みました。                                                             

遠くルネサンス以来の線的な遠近法や色彩のグラデーションによる三次元的な空間の再現をも覆し、                                                       

革命的とも言える清新な画面の数々を生みだすことになりました。

「印象派」という言葉は、画家クロード・モネが1874年に制作した作品「印象・日の出」に由来しています。                                                

その後、同世代の画家たちの描くみずみずしい風景画や人物画全般に対して用いられるようになりました。

ルノワール、モネ、ピサロ、シスレー、モリゾ、ドガ、セザンヌなど、1840年前後に生まれた一群の若い画家                                                  

たちは、長い間、当時の美術家の登竜門とされた「サロン(官展)」への入選を目指して挑戦と失敗を繰り返                                                   

していました。次第にサロンのあまりの保守性に嫌気がさした彼らは、1874年4月、「画家、彫刻家、版画家                                              

などによる“共同出資会社”」と名付けたグループを結成し、その第1回展をパリのカピュシーヌ大通りにあった                                            

写真家ナダールのスタジオで開きます。これがのちに「印象派展」と呼ばれるようになる展覧会の記念すべき                                              

第1回展で、以後1886年に至るまで計8回催されました。

最初はひどく嘲笑された彼らの作品は、1880年前後を境に、新しい時代の美を求める新興市民層を軸に多くの                                           

愛好家を得るようになり、やがてはとりわけアメリカ合衆国の企業家などを中心として、世界中にコレクターを見出                                         

すようになっていきました。

 

展示してあった作品から

             カミーユ・ピサロ《ポントワーズ付近のオワーズ川》 1873年 油彩・カンヴァス

   

 

                  クロード・モネ《小川のガチョウ》 1874年 油彩・カンヴァス

     

 

           アルフレッド・シスレービ付近のセーヌ川堤1880年-1881年頃 油彩・カンヴァス

     

 

           アルフレッド・シスレー籠のリンゴとブドウ1880年-1881年頃 油彩・カンヴァス

      

 

                   クロード・モネエトルタの断崖1885年 油彩・カンヴァス

     

 

          クロード・モネレイデン付近、サッセンハイムのチューリップ畑1886年 油彩・カンヴァス

 

③日常へのまなざし

バルビゾン派、印象派、アカデミスムの画家らと互いに影響を与えあいながらも、                                                                 

独自の作風を追求していきました。                                                                                            

日常にあふれる風景や事物に、注意深くまなざしを注いでいます。

 

展示してあった作品から

 

                  エドガー・ドガ《自画像》 1857年-1858年 油彩・カンヴァスで裏打ちされた紙

                 

 

                    エドガー・ドガ《稽古場の踊り子たち》 1880年頃 油彩・カンヴァス

      

 

                エドゥアール・マネ《花瓶のモス・ローズ》 1882年 油彩・カンヴァス 

              

 

                 アルフレッド・ステヴァンス《公爵夫人(青いドレス)》 1866年頃 油彩・パネル

                     

 

④アカデミスム 伝統を受け継ぎ、技を磨く

政府主導で進められてきた芸術家育成プログラムの中で技術を磨き、伝統的な手法に                                               

のっとって制作を行いました。                                                                                               

安定した構図、高い写実性や自然に即した色遣いを忠実に守っています。

 

                    ジャン=レオン・ジェローム 《奴隷市場》 1866年 油彩・カンヴァス

                      

 

              メアリー・カサット《闘牛士にパナルを差し出す女》 1873年 油彩・カンヴァス

                    

 

            ジョヴァンニ・ボルティーニの道を渡る 1873年-1875年頃 油彩・カンヴァス

      

 

               アルフレッド・ステヴァンス《思い出と後悔》 1874年頃 油彩・カンヴァス

           

            

                 ジェームズ・ディソ《菊》 1874年-1876年頃 油彩・カンヴァス

               

 

                ジャン=レオン・ジェローム《蛇使い》 1879年頃 油彩・カンヴァス

 

               ウィリアム=アドルフ・ブグロー《座る裸婦》 1884年 油彩・カンヴァス    

       

 

             アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 待つ 1888年頃 油彩・カンヴァス

    

 

⑤22点あるピエール=オーギュスト・ルノワールの作品から

 

                《若い娘の肖像(無邪気な少女)》 1874年頃 油彩・カンヴァス

     

 

          《モネ婦人の肖像(読書するクロード・モネ婦人) 1874年 油彩・カンヴァス

          

   

                                        《フルネーズ親父 1875年 油彩・カンヴァス

     

   

                   《かぎ針編みをする少女》 1875年 油彩・カンヴァス

    

 

                     《自画像》 1875年頃 油彩・カンヴァス

     

 

                 《テレーズ・ベラール》 1879年 油彩・カンヴァス

            

  

                    《うちわを持つ少女》 1879年頃 油彩・カンヴァス

    

この絵画を私は、2010年に大阪・中之島にある国立国際美術館で観覧した事があり、再び観覧出来て感激しました。

 

               《劇場の桟敷席(音楽会にて)》 1880年 油彩・カンヴァス 

着飾った二人の若い女性が劇場の桟敷席で演奏が始まるのを待っています。                                                                  

ルノワールの作品を扱った画商ポール・デュラン=リュエルによれば、この作品は                                                                  

文部省芸術担当次官エドモン・テュルケの娘たちの肖像画として注文されたもの。                                                                    

しかし依頼主が作品の出来栄えに不満で、受け取りを拒絶したらしいです。                                                                    

興味深いことに、当初、女性たちの後ろにはひとりの男性が描かれていましたが、                                                                     

その後それを塗り込めてしまったとの事。実際の作品を見ると、消されてしまったその                                        

男性像の痕跡を未だに見出すことができます。

       

 

                   《シャクヤク》 1880年頃 油彩・カンヴァス

 

                       《眠る少女》1880年 油彩・カンヴァス

              

 

                       《タマネギ》 1881年 油彩・カンヴァス

      

 

                    《ヴェネツィア、総督府》 1881年 油彩・カンヴァス

 

                     《ナポリの入江、夕刻》 1881年 油彩・カンヴァス

 

                           《頭部の習作(ベラール家の子どもたち)》 1882年 油彩・カンヴァス

    

   

           《縫い物をするマリー=テレーズ・デュラン=リュエル》 1882年 油彩・カンヴァス

       

 

                     《金髪の浴女》 1881年 油彩・カンヴァス 

ルノワールの画業の転換点となる重要作品。1881年から翌年にかけてルノワールとのちに                                                        

妻となるアリーヌはイタリアを旅しました。この作品は、ルノワールが古代やルネサンス期の                                                    

画家たちの作品を身近に見ていた頃に描かれています。ルノワールはナポリ湾に浮かぶ舟の上で                                                       

アリーヌを描いたと言明していますが、しかし実際の作品を観察すると、モデルは室内で                                                                              

ポーズしているかのようです。                                                                              

アリーヌはナポリ旅行の時には痩せていたと語っており、特定の人物というよりは、                                                         

ルネサンス絵画を意識しつつ、理想化された女性像を描いたように思われます。

      

 

                   《手紙1895年-1900年頃 油彩・カンヴァス 

         

 

           《鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)》1882年 油彩・カンヴァス 

19世紀末のフランスでは近代化、都市化がすすみ、中東や北アフリカの風俗がある種の                                                             

憧れとともに画題として流行していました。ルノワールもアルジェリアに複数回旅行して理想化                                                            

された異国趣味を描きました。《鳥と少女》もそうした時代に描かれた作品で、可愛らしい少女                                                           

が異国の民族衣装を着て微笑んでいる。ルノワールはアルジェリア旅行の回想として                                                             

「アルジェリアの衣装を着」た「フルーリー嬢」と書き残していますが、ルノワールが旅行したとき                                     

にはフルーリーという名の総督はいなかったため、実際のモデルは不明であると云われています。                                                                    

いずれにせよ、青を基調とした爽やかな空間は光に満ち、少女の明るい瞳は我々の視線だけで                                    

なく魂まで寄せつけてしまいそうです。

      

大好きな印象派の絵画、とりわけルノワールの作品が22点も鑑賞出来、感動した有意義な一日でした。 

 

※You Tube にもアップしました。

 


滋賀 蓮の群生地と箱館山ユリ園を観光

2013-08-15 | 旅行

8月14日、滋賀県にある蓮の群生地と箱館山のユリ園を観光しました。

途中福井県の若狭まで足を伸ばし、アワビ料理も楽しみました。

 

滋賀県草津市烏丸半島には約13 ha にも及ぶ日本最大級の蓮の群生地があります。

今年は猛暑が影響して当日は残念ながらその最盛期を過ぎており蓮の花が少なくなっていました。

でも、広大な蓮の群生はともてスケールが大きく幸いお天気も良かったのでいい観光になりました。                                    

来年は7月20日頃の見頃に訪れようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

この蓮の群生地に隣接して草津市公営の水生植物公園「みずの森」があります。

 

          

 

 

 

 

お昼ご飯は福井県に行き、若狭湾でとれた新鮮なアワビ尽くしの料理で大満足。

 

 

なんとアワビを一人前に5個も使った料理でした。 

アワビの踊り焼き

アワビのお刺身

アワビの天ぷら

アワビのサラダ

アワビの珍味

アワビもずく

アワビの茶碗蒸し

アワビの酒盗和え

アワビ汁

アワビのちらし寿司

 

 

お腹いっぱいになりました。

 

昼食後は、観光客でにぎわう大型市場の「日本海さかな街」で新鮮な魚介類の

買い物をしました。値切らなくてもお店の人が、1,500円を1,000円

でいいよと大安売り。この市場の中の海鮮丼のお店には行列が出来ていました。

 

 

 

 

「日本海さかな街」を出発して滋賀に戻り、今度は湖西にある箱館山にむかい

ました。スキー場なのでロープウェイで山頂まで約8分で行けます。

 

約250万輪のユリの楽園があります。しかし、又しても。。トホホ

今年は猛暑で見頃が過ぎていました。

 

 

 

森を眺めながら涼を体感できる「森のゆり道」は日蔭なので涼しく綺麗に咲いて

いるユリをたくさん見れたので、満足しました。

 

 

 

 

 

 

 

小さなお子様も楽しく遊べる遊具や犬が遊べるワンちゃん広場もあり冬のスキー

シーズンだけではなく夏も観光に来てもらおうとしているのです。

 

 

 

まあ、今回は来年のための下見の日帰り観光になりました。

 

お土産で買った若狭ビール・・・2010年春季全国酒類コンクールで1位を受賞しています。


久々のダンスパーティ

2013-08-07 | ダンス

ダンス教室で知り合った人から、ダンスパーティに来ませんか、

一緒に踊りましょうよと何度もお誘いがあり、断わりきれなく

なり昨夜、パーティに参加しました。

 

好きなダンスだけ踊ったらいいのよと。

「はい、そうですか」と遠慮なく、殆どジルバばかり一緒に踊って

もらいました(笑)

ワルツとブルースは一曲づつだけ踊りました。

 

久々に踊るジルバは、すごく楽しかった。

ジルバを踊る時に流れているのは、私が大好きなスウィンギーな

ジャズや軽快なオールディズ・ナンバーで、とてもワクワクしました。

 

この日はサルサなども踊れるので、若い30歳代くらいの人も多く

いました。

 

仕事帰りの夜に、クーラーが効いた涼しいダンスホールで

存分に踊って日頃の疲れを吹き飛ばしました。 

 

私は3年ほど前に社交ダンスのレッスンに通いましたが、うまく

踊れないのでやめてしまいました。 

でも、ジルバだけはなんとか踊れるようになったので

レッスンに通ってよかったと思っています。

 

むつかしかったのは、スロー(スロー・フォックス・トロット)。

これを日本人にも踊れるようにと考えられたのがブルースで、

これならなんとか下手なりに踊れます。 

ジャイブ、タンゴ、サンバなどもむつかしいです。

 

やめた理由は他にもありました。私は元々、社交ダンスではなく

アメリカンスタイルのスウィングダンスを踊りたかったのですが、

これは教えてくれるところがなかなかないのです。

 

最近は、若い人を中心にサルサやアルゼンチン・タンゴが大人気で、

それに伴い従来の社交ダンスのレッスンではない新しいスタイルの

ダンス・スクールが増えてきました。

ダンスの世界チャンピオンに二回もなったカナダ人が経営している

大阪にあるダンス・スクールでは、私が踊りたいスウィングダンスも

教えているのですが、レッスン料が月5万円も必要で無料の

一日体験だけ行っただけ(笑)

 

・・・日本のジルバの映像を紹介します。

 

これは、典型的な社交ダンスのジルバです。男性の姿勢がすごくいいですね。

頭部がブレず、背筋もピンとしています。足の運びもキビキビして。。

アメリカン・スウィングダンスのジルバとは異なってます。 

 

スウィングダンスのルーティンには、チャールストンやリンディホップ、ジルバ、ブギウギなどがあります。

1930年代頃から踊られているダンスです。

  

では、スウィング・ダンスの動画を。

ものすごくたくさんあるので選ぶのに苦労しました。 

 

まずは、レッスン・ビデオから。ステップを学べます。

ジルバのベーシック(日本のジルバと違っています)

 

リンディ・ホップのベーシック

 

 

これは、ダンス・パーテイみたいですね。

 

 

最後にすごいのを !

ノルウェイで行われた スウィングダンスのチャンピオン・シップ コンテストの映像。  

ヨーロッパでも盛んなようです。

20分あります。

 

アメリカでは東西でスタイルがやや違うようです。

イーストコースト、ウエストコーストと区別しています。

 

スウィングダンス踊りたいけど、やはりむつかしい !

 


モニカ・ゼタールンド 【My Favorite Artist Vol.1】

2013-08-04 | Jazz Vocal

これから時々、ジャズや絵画などの大好きなアーティストに
ついて、自分の記録として書いていこうと思っています。
まずはジャズをお好きな人なら、よくご存知のスウェーデン
の女優でありジャズシンガーでもあったモニカ・ゼタールンド
について書いてみました。

彼女の父親はアコーディオン奏者で、しかも熱心なジャズ
ファンでした。
幼い頃から、父が所有していたビリー・ホリデイやエラ・フィ
ッツジェラルドなどのレコードを聞きこみ、それらの歌詞を
記憶していったと本人が云っています。

ジャズヴォーカリストとしてのキャリアは華々しく、
ルイ・アームストロング、ナット・コール、ビル・エヴァンス、
スタン・ゲッツ、そしてクインシー・ジョーンズといった錚々
たるメンバーと仕事を共にしています。

ジャズだけではなく、彼女はスウェーデンのコメディ・デュ
オ、ハッセ・オ・ターゲとも仕事をするようになりました。
このコメディ・デュオは1960~70年代にスウェーデンで最
も成功したコメディアンで、彼らとの共演により、彼女は役
者のキャリアも積みました。

又、彼女はナイトクラブ等でのレヴューショーや映画など
に数多く出演しています。出演した作品の中には、彼女が
主題歌も手掛けた映画などもあります。

このように数多くの映画や舞台に出演していますし、
レコード吹込みもたくさんあります。

しかし、この人の晩年はとても可哀相で、ひどい脊柱側
彎症を患い車椅子の生活を余儀なくされました。
そして、2005年5月12日、ストックホルムにある自宅アパ
ートがベッドでの喫煙が原因とされる不幸きわまりない
火災により彼女は67歳でこの世を去りました。

私が、モニカ・ゼタールンドの声に接したのは、
ビル・エヴァンスと共演したレコード・アルバム
「Walz For Debby」を聴いたのが最初でした。

【映像】
この映像は、モニカとビル・エヴァンス・トリオがTV出演
の際に行ったリハーサル映像だと云われています。

Monica Zetterlund with Bill Evans Trio "Waltz for Debby"
Monica Zetterlund(vo) , Bill Evans(p) , Eddie Gomez(b) ,
Alex Riel(ds) Recorded in Copenhagen Oct. 1966



このレコード・アルバムは、全世界で何度となく復刻されて
います。又、ジャケット・デザインを替えて本国でも再発
されています。

「Walz For Debby」という曲はビル・エヴァンスが、当時
2歳で幼かった兄の娘デビイに捧げた曲です。
このアルバムでは、モニカが作詞しスウェーデン語で歌っ
ており「Monicas vals(モニカのワルツ)」と曲名を替えて
います。

私は、このLPレコードをスウェーデン・フィリプスのオリジ
ナル盤(ファースト・プレス) と、同じくスウェーデン・フィリ
プスで再発されジャケット・デザインを替えたセカンド盤も
入手しております。CDもファースト・プレス盤では未収録で
あった曲を追加したものも入手しています。

このオリジナル盤はついては、状態の良いものを入手する
まで何枚か購入しております。
現在手元にあるものは、10 年ほど前でしたが状態がすごく
いいです。

オリジナル・レコードとCDと聴き比べましたが、音質は
雲泥の差があります。
オリジナル・レコードは重厚で暖かみのある音色そして、
非常に繊細な微音まで再生してくれます。
CDでは、聴こえなかったモニカの息づかい、エヴァンス
の静かなピアノの音まで見事に再現します。 

 

「Walz For Debby」Sweden Philips 08222PL
オリジナル・レコード(ファースト・プレス盤)です。

 

          スウェーデン・フィリプスで再発されジャケット・デザインを替えたセカンド盤

        

 

         

               このレコードは、ビル・エヴァンス トリオとのライブ盤です。

 その他のアルバムでも「Walz For Debby」を吹き込んでいるレコードがあり、それらも入手しています。

    
 

モニカの貴重な写真を貼り付けました。

かなりの北欧美人です。

 

     

             

               左に写っているのは、ジョン・コルトレーンです。    

    

 

 

                       ルイ・アームストロングと

         

 

 

以下は、所有しているレコードの一部です。

      

 

  

 

 


水の都・郡上八幡を訪ねて

2013-08-01 | 旅行

昨日は、岐阜の小京都と言われている郡上八幡を散策しました。 

まず、大滝鍾乳洞を見学、そして郡上八幡市街に、最後は長良川鉄道に乗車して長良川の絶景を楽しみました。

 

大滝鍾乳洞

石灰岩層に生じた断層が地下水によって溶解し拡大されて生成された鍾乳洞です。

公開されているのは約700mの鑑賞コースで、赤色や透明度の高い鍾乳石などの洞内生成物を見ることができます。

鍾乳石が1cm伸びるのに必要な時間は約100年といわれています。豊富な水量に恵まれており、今も鍾乳石が成長しています。

いくつもの滝によって連なる通路の一番奥の大滝は、高さが約30mもあります。

洞窟内でこんなに大きな滝を間近で見れるとは思いませんでした。暗くて撮影出来なかったのが残念。

鍾乳洞の中がとても、涼し(と云うより寒いくらい)かったのが良かったです。 

大滝鍾乳洞に行くのには、レトロな木製トロッコ・ケーブルに乗ります。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     大滝の岩に彫られている不動明王

 

郡上八幡市街 

郡上八幡城には行かなかったのですが、市街を散策しました。

 

                               宗祇水  

飲み水、野菜など冷やす水、洗濯の水などに分かれています。冷たくてミネラルがいっぱいの美味しい水が湧いています。          

            

市内の至るところで川が流れており、とても冷たい水なのでアマゴやイワナなどの渓流の魚も市内の川に泳いでいるので、びっくりしました。

                        

                               いがわ小径

鯉がたくさん泳いでいました。アマゴやニジマスもいました。

 

古い町並みをたいへん大事に保存しています。

 

 

            八幡町役場(現在は観光案内所として使用されています)

 

 

 

 

 

 

          

 

さんぷる工房は、郡上の町屋づくりの中で食品サンプルの製作体験が出来ます。

食品サンプルの生みの親・岩崎滝三さんは、郡上八幡の出身で郡上八幡は食品サンプルの生産量が日本一。
食品サンプルの製造は、郡上の重要な地場産業となっています。

本物みたい。

 

こちらは違うお店で食品サンプルのお土産屋さん。              

         巨大なお寿司をディスプレイしていました。思わず店内に入ってしまいました。

 

郡上八幡は、清流と名水の城下町、そして郡上おどりのふるさとです。 日本で一番長い期間、盆踊りをしているのでも有名。                                                               夏の夜、32夜踊るそうです。重要無形民俗文化財に指定されています。 

名所を全部廻り切れなかったのが残念です。 

 

長良川鉄道

私は、「郡上八幡駅」から乗車して「みなみ子宝温泉駅」までの区間に乗って車窓から見える綺麗な景色を楽しみました。

 

 

 

 

運転手さんが、運転しながら絶景ポイントを速度を落として走行して説明してくれるのには驚きました。

列車走行中、ずっとアナウンスしてくれました。

 

地元の人も、利用しているローカル線ですので料金は普通運賃です。                                                     

長良川沿いを一両又は二両で走る観光列車としても有名です。

ゴムボートで川下りしているグループも見かけました。

昨日は、前日の大雨ですごく水量が増していて川の流れの速いところもありました。

 

日帰りだったので、少々疲れました。でも、もう一度訪ねたいです。

 

※You Tube にも写真をアップしました。