わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

なくて良かった=中村秀明

2008-05-02 | Weblog

 ついに、小学生の5人に1人が携帯電話を持つ時代になったようだ。

 バンダイが今週、小学生の子を持つ保護者1800人を対象にしたアンケート結果を発表した。それによると、全学年の平均保有率は21・9%。学年が上がるごとに高まり、6年生女子は43%に達した。理由としては「防犯のために」が多い。

 もし、自分の10代のころに携帯があったら、と考えてみる。

 手紙のやり取りが途絶えてなんとなく疎遠になったり、待ち合わせのすれ違いがもとで別れたり、そんな微妙な人間関係や恋愛関係とはおそらく無縁なのだろう。便利だし、何かと確実だ。

 その一方で、相手の口調、背後から聞こえる声や音、メールの微妙な表現、返信が届くまでの時間に一喜一憂するに違いない。多感な時期をそうやって振り回されるかと思うと、ため息も出る。

 昨年亡くなった哲学者の池田晶子さんは言う。「友だちとしゃべったり、メールでの文字も、しゃべり散らし、書き散らしで、たちまち忘れてしまうよね。(略)そういう言葉は、言葉のようで、実は本当の言葉ではないんだ。本当の言葉というのは、人間を、そこに立ち止まらせ、耳をすまさせ、考え込ませるものなんだ」。4年前、毎日新聞紙上で若い人に読書の楽しさを呼びかけた文章だ。

 「本当の言葉」がそこにはないのに、携帯を手放せない現代の10代はつらい。悩みの種は、自分のころより数倍多いはずだ。携帯がなくて良かった、そう思いながら、子どもたちのことが心配になる。(編集局)




毎日新聞 2008年4月25日 東京朝刊


コメントを投稿