「たぶん神はいない。悩むのはやめて人生を楽しもう」。ロンドン名物、2階建ての赤いバスの一部車両に最近、そう大書されたステッカーが張られた。ピンク色の文章が人目を引く。
英国のコメディー作家、アリアン・シェリンさんが考案し、募金をして出したキャンペーン広告だ。協力したのは無神論者の動物行動学者、リチャード・ドーキンス氏。
オバマ米大統領の就任演説を聞いて、そのバス広告を思い出した。演説の中で、「無宗教者」が米国の諸宗教信徒と同列に置かれたからだ。
世界の裂け目は国家間よりも、むしろ、宗教社会と、非宗教社会・無神論者の間に横たわっているような気がする。オバマ演説の隠し味は「聖」と「俗」の問題に触れた点だと思う。
「イランが目標だ。イスラム教の宗教国家づくりに成功したから」。イスラエルでユダヤ教の宗教指導者に話を聞いた時、耳を疑った。宗教への熱情は国家間の敵対関係を超越するのだ。
一方、ドイツの哲学者、ニーチェが19世紀に「神は死んだ」と宣言した欧州ではキリスト教離れが進む。カトリックの総本山バチカン(ローマ法王庁)がインターネットの活用に熱心なのは若者を中心とする信徒数減少への焦りの表れでもある。
宗教の精神をもてあそぶ過激派はテロに走り、自ら運命を切り開く「超人」の必要性を説くニーチェの思想はヒトラーのナチスに政治利用された。災禍を招くのは、人間のゆがんだ使命感と、尊大な万能感だ。
人類が謙虚さを取り戻した時、価値観の相克を乗り越える力強さを発揮できる。オバマ時代の幕開けに、そう信じたい。(ブリュッセル支局)
毎日新聞 2009年1月26日 東京朝刊
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