米テキサス州中央部のアビリーン市の約80キロ南にコールマンという町がある。夏の暑い午後、そこのある家族がゲームを楽しんでいると、一人が言った。「そうだ、みんなでアビリーンに夕食を食べに行こう」。
「それはいい」。みんなはそう言って車で出かけた。だが道中は暑く、ほこりっぽい。夕食もひどかった。疲れ果てて家に帰ると、誰もが口々に言った。「みんなが行きたいようだったから行ったけれど、私は本当は家にいたかったんだ」。
この「アビリーンのパラドックス(逆説)」として知られる小話は集団思考の危うさを示すたとえだ。「やめよう」の一言が出ず、周囲に流されて愚行に走るのは日本人だけでもない。我の強そうなテキサス人も集団の空気で身を誤るらしい。
ならばテキサス出身のブッシュ大統領は、9・11同時テロ後の熱病のような空気の中で決意したイラク戦争開戦を5年後の今どう振り返っているだろう。「大量破壊兵器発見」も「中東民主化構想」も「アビリーンでの楽しい夕食」と同じような夢想と分かった現在のことである。
大統領らはフセイン独裁打倒を成果と強調するが、それに代わったのはテロの温床となったイラク社会と、米国が嫌うイランやシリアと近しいマリキ政権だ。一国の秩序をアメ細工のように自在に変えようとした思い上がりの結果がこれだ。
はなからこの成り行きを予想するのが難事ではなかったのもアビリーンへのドライブと同様だ。しかしこと戦争における指導者たちの浅慮は、容赦なく市民や兵士の生命をのみ込んでいく。その重く悲しい現実をなお目の当たりにせねばならぬ中で迎える開戦5年の節目だ。
毎日新聞 2008年3月19日 0時02分
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