麻生新政権の誕生に水を差すようだが、時計の針を少し戻して考えてみたいことがある。安倍晋三氏と福田康夫氏。2人はなぜ、政権を投げ出したか--である。
ともに根性がなかったといえばそれまでだ。ただし、日本は議院内閣制で、与党と内閣は連帯責任を負う仕組みになっている。で、思い起こしてみよう。2人ともほとんど誰にも相談せずに辞任表明したのだ。実はここに大きな問題がありはしないか。
安倍氏も福田氏も総裁選では自民党議員の大半がなだれを打って支持に回り、圧勝した。ところが、その後、誰が真剣に政権を支え、相談に乗り、守ろうとしたのか。
首相が一人で勝手に悩み、勝手に辞めてしまっても、その首相を選んだ人たちからは「責任を感じる」といった言葉は聞かれない。もう過去の話とばかりに、「さあ、次は誰が首相なら自分の選挙に有利か」と走り始めるのだ。
かつて首相を支える役割は派閥が担っていたのだろう。それに代わるシステムが今の自民党にはない。首相の座がいかに軽いものだったか。それを世界中に知らしめてしまった罪の重さをもっと深刻に受け止めるべきである。
今回、麻生太郎・新首相を選んだのも、理念や政策を吟味したわけではなく、何となく人気がありそうだからという議員がほとんどだろう。私にはこれこそが「自民党の劣化」だと思える。
確かに間もなく行われるはずの衆院選で負ければ短命に終わる政権かもしれない。だが、「首相に選ぶ責任」「選んだ責任」が、あまりに軽視されている気がする。(論説室)
毎日新聞 2008年9月25日 東京朝刊