散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

デジタル画像_1998(平成10)年前期

2007年01月03日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

大久野島毒ガス資料館

山陽新幹線「三原駅」から呉線に乗り換え、
「忠海駅」で降り、フェリーで渡ります。


休暇村大久野島という宿泊施設があり、
数えきれないほどのウサギがいます。


同じ広島県、山陽線「西条駅」は、東広島市。


当時の駅前は、こんな感じで、


小さな店舗がひしめきあっていました。


西條は酒処。
亀齢、白牡丹、福美人、賀茂鶴、加茂泉、西條鶴など、
酒造メーカーが立ち並んでいます。


呉桟橋ターミナル


呉港から高速船で四国へ向かいます。


大和ミュージアムなどができて、
呉の町も景観が変わっていることでしょう。


和歌にも詠まれた音戸の瀬戸までは、
遊覧船のようでした。


通過すると、愛媛県松山港に向けて一気に加速。


松山駅前には、こんな電話ボックスがありました。


道後温泉へ行くと、
空中に浮いているかのような家が建っていました。


予讃線を「内子駅」で下車。
江戸、明治・大正、昭和と、
時代ごとに形成されたかのような街並みが印象的です。
「内子座」が有名なまちです。


予讃線は、内子を通る山まわりと、海まわりがあり、
再び合流する駅が「伊予大洲駅」です。


NHK朝の連続ドラマで、
はじめて女性の一代記を描いた「おはなはん」の出身地。
街並みは、明治そのもの。


八幡浜駅まで行くと、九州への渡船があります。


宇和島ふ頭からフェリーに乗り込むと、
右舷に延々と続く、佐田岬半島が見えます。


先端の佐田岬を過ぎると、すぐに大分県・佐伯です。
ここの街並みも新旧の建物の町割りがはっきりしています。


奈良時代、弓削道教、和気清麻呂が登場する、
宇佐八幡宮神託事件で知られる宇佐神宮。
それにしても、道教に皇位継承させるご神託が、
何故、宇佐八幡宮だったのか、それが歴史のいたずらなのかもしれません。


博多の中州は賑やかでした。


西鉄で「柳川駅」へ。


北原白秋が育った柳川は、水郷のまち。
水路を遊覧できます。
うなぎのせいろ蒸しが有名で、美味しかったなぁ。


***
沖縄は、那覇ショッピングセンター。


米軍の演習場から集めた薬きょうで作ったお土産を売っていました。


***
名古屋は、日本のヘソ。
東海道新幹線では、必ず停車するところなのですが、
なかなか立ち寄ることはありません。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康
戦国時代の英傑を輩出した土地柄です。
街を歩くといろいろなものが見えてきます。

大須演芸場

大須には中村へ移転する前の遊郭がありました。

関東大震災後、中村遊郭は日本一の繁華街といわれました。
「桃園」という風俗店


その向かいには「ホルモン薬局」


横浜の「永真遊郭」には「十全病院」があったように、
「中村遊郭」の隣接地「遊里ヶ池」に、
「第一赤十字病院」が建設されました。


羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が浅井氏攻めの功で拝領した、
滋賀県・長浜の大手門通り商店街。


京都・鴨川


北陸線「福井駅」。
県庁近くのヨーロッパ軒・ソースカツ丼が有名です。


あわら温泉を通り、吉崎御坊へ。
吉崎御坊は、浄土真宗本願寺中興の祖といわれる、
蓮如が布教の拠点にしたところです。


布教方法のひとつに「嫁威肉附面(よめおどしにくづきめん)」の説話があります。
そのためかどうか、話はひとつなのに対して、面は各寺院にあるようです・
詳しくは、ウィキペディア「嫁威谷」を参照(ここをクリック)。


金沢・茶屋町


戦国時代、武家の支配からの解放をめざして、
浄土真宗本願寺門徒宗による一向一揆が各所で蜂起します。
越中一向一揆の本拠地となったのが井波御坊。
富山県礪波市井波。
寺院仏閣や仏壇などに精緻な彫刻の製作でも有名なところです。


***
新潟県魚沼市(当時、守門村)の玉川酒造場。
いろんな日本酒が利き酒できるので、結構、酔いました。


***
ゴールデンウィークの始まるころ、
青森県弘前城で夜桜見物。
桜も見事なら、人出も尋常ではありません。


滅多に見ることができない「見世物小屋」が、
いくつも建っていました。
球形の鉄柵の中をグルグルまわるオートバイサーカスや、
もちろん、蛇女やプロレスもありました。


***
大岡川の桜・花見にシーカヤックで掘割川をスイスイ。
石川町駅


みなとみらいの眺めもこんな感じでした。


***
大相撲観戦に両国国技館へ。
回向院に立ち寄り、力士塚や鼠小僧の墓を参拝。
墓石を削ると御利益があるとテレビ中継していましたが、
削り用の前立ち石が、今では10cmほどになっていました。


***
初詣、北鎌倉円覚寺・茶店からの眺め。


***
北方領土の日、なぜか伊豆下田に。


写真の保管・整理が雑多で、
現状と見比べるために、
グーグルマップのストリートビューで確認してみると、
20年近くを経ても、
ほとんど変わっていない光景がある一方、
まったく見当もつかないほどに発展しているところもありました。

特に、神社仏閣は、歴史があるだけに時間が止まっているかのようです。

2017.03.19UP


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