散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

武相寅歳薬師1番・舊城寺

2010年05月01日 | ☆横浜じゃん

地名は、三保町(横浜市緑区)。もとは榎下村が8か村に分かれたうちの、久保村といった。久保村には3つの谷戸があり、お互いに争いが絶えなかった故、昭和14年横浜市に合併される際、中区に久保町があったことから、「三」谷戸の融和を願って、久「保」村の一字と合わせて三保町と名付けたという。
高野山真言宗。開創は、慶長19(1614)年とされる。
1番札所という割には、赤い幟が見つけられず、少々ウロウロ。
JR横浜線の中山駅から十日市場方面に大きな道路を歩いていくと、三保団地入口という表示の交差点があるので、そこを左に入ると幟が見える。


小さな看板に「旧城寺」とあるのは、舊がそれこそ旧漢字で読めない人が多いので、常用漢字で表示してあるのだそうだ。
ほとんどの参拝者が「舊城寺」は、何と読むのか訊いてくるそうなので、戦前戦中に教育を受けた人の参拝が少なくなったことを示している。
この細い道を辿ると、薬師堂が見えてくる。
マイカーで来る人は、さすがにカーナビを使っているせいか、正面の門から入ってくるところをみると、今のカーナビも捨てた“もん”じゃない。


山門の由来碑によれば「神奈川通にあった海見山長延寺が明治26年に建てたもので、関東大震災・横浜大空襲の災禍を免れた。昭和41年に長延寺が三保町に遷山するにあたり、弘法大師生誕千二百年の記念として、移築復元し落成させた」とある。
また、寺の名は「室町時代に上杉憲清が築城した榎下城が、天正年間に廃城となり、その後、久保村の長・佐藤小左衛門が隠居宅としていたものを、遺言により寺としたことにより号する」に至った。


寺の本尊は、大日如来。
薬師堂に祀られている薬師如来と十二神将は、もと薬師谷戸にあったお堂が享保年間に移されたもので、寺よりも古い600年前のものと伝えられている。
薬師様に眼が無いことから「無眼薬師」と称され、眼の不自由な人に眼を与えて済渡する仏として信仰されてきた。
それにしても、真っ黒なお姿なので、眼の無いことには気づかなかった。


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