2年前の子(ね)歳には、旧小机領子歳観音めぐりに挑戦して、なんとか期日以内に三十三か所を巡礼することができたものの、ブログにアップ出来ずじまいだった。そうこうしている内に、今年は寅歳。寅歳には、武蔵国から相模国、つまり、横浜北部、大和、町田に所在する25の薬師如来を祀る霊場の、12年に一度の秘仏公開が行われる。子歳観音のときには、上の写真のような雅楽と舞が披露されるなど、思いもよらないイベントに出 . . . 本文を読む
地名は、三保町(横浜市緑区)。もとは榎下村が8か村に分かれたうちの、久保村といった。久保村には3つの谷戸があり、お互いに争いが絶えなかった故、昭和14年横浜市に合併される際、中区に久保町があったことから、「三」谷戸の融和を願って、久「保」村の一字と合わせて三保町と名付けたという。高野山真言宗。開創は、慶長19(1614)年とされる。1番札所という割には、赤い幟が見つけられず、少々ウロウロ。JR横浜 . . . 本文を読む
地名は、台村町(横浜市緑区)。もとは三保町と同じ、榎下村が8か村に分かれたうちの、臺村といった。明治の町村合併で、新治村大字臺となり、昭和14年横浜市に合併される際、神奈川区に臺町があったことから「臺村町」となる。ちなみに「臺」は「台」の旧漢字だ。曹洞宗。開創は、小机城主四代目笠原弥次兵衛とし、天正元年以前に黄檗宗の寺として縁起書に記されているという。後北条氏の頃、家臣の笠原氏が城主を務め、小机領 . . . 本文を読む
地名は、上山(横浜市緑区)。住居表示前は、上山町だった。古くは、隣の白山(白山町)と併せて猿山村といった。地名の由来は伝わっていないが、猿が多く棲んでいたことによって名付けたという説を否定できないとしている。小田原北条衆役帳には上杉三郎景虎の知行と記録されていたといい、文化文政の頃、二分して、上猿山村となった。明治の町村合併で、新治村大字上猿山となり、昭和14年横浜市に合併される際、猿は「去る」に . . . 本文を読む
地名は、中山町(横浜市緑区)。曹洞宗。本尊は、釈迦牟尼佛。薬師如来を守本尊とする。開創は、後鳥羽天皇の御代(1183-1198)とされ、鎌倉浪人・兵衛尉相原左近(源頼朝家臣)が頼朝の弔いと相原家の菩提寺として建立したと言い伝えられる。天皇警護の組織として、左右の近衛府、衛門府、兵衛府があり、兵衛尉は兵衛府の尉という官位をいい、左近は左近衛府を意味する。現在の寺の位置から東へ100mほどのところに、 . . . 本文を読む
地名は、田奈町(横浜市青葉区)。古くは、恩田村の一部だったところ。明治の町村合併で、長津田村、恩田村、奈良村が合併して、それぞれ一字を採り「田奈村」となったが、昭和14年横浜市に合併された際、長津田町、恩田町、奈良町と再び分かれた。東急田園都市線の開通とともに、沿線が宅地開発され、田奈駅最寄りの土地区画整理事業地だったことから、地元要望により旧村名が町名となった。高野山真言宗。開創は、慶安2(13 . . . 本文を読む
地名は、恩田町(横浜市青葉区)。曹洞宗。本尊は、釈迦牟尼佛。開創は、慶安元年(1648)に、長津田の大林寺5世大和尚が開山した。平成4年に再建された本堂は、境内ともども新しい。大きな本堂の壁がただ白くては寂しいからと、寄進された雲に乗った二十五菩薩が浮かんでいて、京都・宇治の平等院を思わせる。古くから観音堂があって、十一面観音菩薩が信仰されていたが、今はお堂もなく、本堂に安置されており、来年の卯年 . . . 本文を読む