メン・ピン・タンゴ ツモっ!

南米のパリ、アルゼンチンはブエノス・アイレスで起こる
お洒落(?)な出来事を毒談と偏見で綴るブログ

タンゴ は マチスタ(男性優位主義)?

2009年05月01日 12時45分58秒 | アルゼンチンタンゴ
最近なんかで読んだんだが、その話のタイトルがこんな感じだった。
「マチスタ」「マチスモ」 = 男性優位主義、男尊女卑、マッチョ

スペイン語だったんであんまり細かいとこまでは分からなかったが、いくつかのエピソードと筆者である彼女自身の話が書いてあった。
(かなりテキトーに約してます)






その中のひとつに06年にファビアンとナターチャがサロン部門で優勝した時のエピソードがあった。


トラディショナルなミロンガでは

「フラニート(男性名)とそのパートナーが踊ります」

などと紹介するのはよくあったことである。



100年近く前からある伝統的ミロンガ、スンデルランドでのこと。

優勝したファビアン&ナターチャを司会者がこう紹介した。

「本日は、世界大会チャンピオンのファビアン・ペラルタと
            そのパートナーが踊ります!」



ナターチャはチャンピオン扱いじゃないわけね。。。
しかも名前すら呼ばれない。。。







もうひとつのエピソードは、、、


彼女はアドルノ等が好きらしく、自分でリズムを刻んだり、ときどきイニシアティヴを取ったりする。

それを見てウルキサ・スタイルの大御所マエストロが相手の男性に、

「女性にリードされるようになっては君はマヌケ者だ。
            そしてそれはもうタンゴではない」



とよく言うらしい。
それを聞いて彼女は激怒するそうだ。








しかし、


タンゴのシステムを考えてみる。

タンゴを踊るにはリーダーとフォロアーの役割分担が必要で2人ともリードすると大変なことになる。。。

っつーか、踊りにならねぇだろっ!


というようなことが書かれてあって、(長いのでかなり省略)


フィジカル的にも背の低い人が自分より高い人をリードするのはむずかしい。


うんぬん、、、なことから、

「リードパートが男性、フォローパートが女性というようになっている。
    リードするのが男性だからやっぱり タンゴはマチスモ。」



みたいに書いてあったと思う。


彼女自身もリードの勉強をしてるけど難しくてぜんぜん出来んらしい。








アメリカではリードする人を「リーダー」、フォローする人を「フォロアー」と呼ぶ。

しかしアルゼンチンでは今だに「男性、女性」、もしくは「男性のパート、女性のパート」


男性でフォローを学ぶ人はまだ少ないが、女性でリードを学ぶ人はかなり増えた。
母国に帰って教える女性の先生もいるし、アルゼンチン人でもリードしたいと考える女性が増えた。


現在はアルゼンチン人でも男性同士で活躍するダンサーや女性同士でデモをする人たちも出てきている。

ラ・マルシャルやタンゴ・クイールのようにユニセックス(ゲイ)・ミロンガもある。





それから、リードすることを最近は「proponer(プロポネール)」と言う若い先生が増えた。
これは英語で「propose(プロポーズ)」《提案する》の意味。

昔は「marcar」「guiar」「manejar」などを使っていたが今は、

「リーダーが次のアクションを《提案》して、フォロアーがそれに同意する」

という考え方になっているということだ。










しかし、、、、   (ここはオレの考え)








スンデルランドやいくつかのトラディショナルなミロンガはじぃさん達がオーガナイズしている。
司会者などもそうだ。


じぃさん達の時代のアルゼンチンは、今よりもっともっと「マチスム」(男性優位主義的な社会)だったのだ。


そのじぃさん達が踊っていたタンゴはもちろん「マチスモ」で、

「男が出す合図を覚えろ、察知しろ。
 チカラでリードしたらチカラで受けろ。
  主役はオレだ!
  女はフォローしていればいい。」


的なものがあっても当然の話ではなかろうか?
(もちろん本人の性格にもよる)






つまり、前記したような「モデルノ」「今風」


「女性に優しく、
 男女平等、
 音楽が大事」



などという考え方、踊り方は某マエストロが言うように

「タンゴではない」

のかも知れない。










彼女は最後に「タンゴ・ヌエボ」(オレがいうところの「モデルノ」)について書いている。


若い人たちと踊っていると、 「タンゴ・ヌエボ」は、
「タンゴ・トラディショナル」「タンゴ・サロン」 
(もしくは「ただのタンゴ」、「ヌエボ」はタンゴじゃないと思ってる人たち)
に比べてずっと「マチスタ」(男性優位主義)は少なくていい。

ちゃんとリード&フォローが出来ている人の間では、本当の「対話」の時間が存在するし、
もっと融和的で、角がなく、大雑把でもない。


そして、みんな知っているようにパレハは2人とも同じように有名になる。

たとえば、

エウヘニア・パリーシャ、
モイラ・カステシャーノ、
マリエラ・サメットバン、
マリアナ・モンテス、       

彼女達は

チチョ、
ガストン・トレリ、
パブロ・インサ、
セバスチャン・アルセ

と同じくらいに有名だ。






                   







筆者の名前は書いてなかったので誰かは分からないがおそらく年配の女性ではないだろう。



彼女は現代の社会で育っている。

だからじぃさん達の考え方が受け入れにくいのだと思う。



うん十年前、全盛期だったアルゼンチンで生きてきたじぃさん達の時代は

「オレに付いて来いっ!!」
「付いて行きますどこまでも、、、」

的、大正、昭和的な時代だったのだ。



そういう時代を生きた人のタンゴはそういう踊りになる。
性格は踊りに出るものだ。(その人の人生が出るという人もいる)

だがそれが「普通」の時代だったのだから当然のことだろう。




もしそういうじぃさん達の昭和的な踊りが「アルゼンチン・タンゴ」だとするなら、


今風の、「タンゴ・モデルノ」「タンゴ・ヌエボ」 はたしかに、
                         「タンゴではない」 のかもしれない。