評価点:21点/2002年/日本
監督:森田宏幸
ジブリの宮崎監督の手から離れた新人監督、森田宏幸の作品。
毎日に不満はないが満足できない少女ハルが、ある日猫を助ける。その助けた猫が、実は猫の王子様だったことから
ハルは猫の国に招待されることになった。
▼以下はネタバレあり▼
新人監督ということで、もとより完成度の高さは、全く求めずに観ようと試みた。
しかし。
新人監督らしからぬ「怯えた」映画で、「失敗」すらしていない映画になっていた。
全く「冒険」していなかった。
「私はジブリをこういう形で描いていく」という意志が、全く感じられなかった。
まずギブリーズ。
本編がはじまる前に見せる意図がまず理解できない。
内容的に付属物であるのに敢えて集中力をそぐようにもってくるのは、明らかにミスだ。
そして内容も、はっきり言ってどうでもいい。
このような、「楽屋落ち」という、自己満足的な映像を映画館で観てもらう必要があるのか。
本編への伏線にもなっていない。
製作者をモデルにしているらしいが、はっきり言ってそんなこと、どうでもいい。
内輪の話を見たいと思うのは、マニアだけだ。
全くの無駄。映像を試したいならCMでも打てばいい。
映画館で、しかも本編の前にみせる必要が、僕には全く感じられない。
そして集中力が十分にそがれた後に本編。
いかにも現代の女子高生を象徴したようなハルは、まだ許せる。
しかし猫の国に行くという設定が、既に「千と千尋」的発想で「不思議の国のアリス」的展開の陳腐なものであり、しかも、肝心の「猫の国」の世界観が全然描かれていない。
しきりに「自分の時間を生きられないやつの世界」という台詞を与えるが、一体どのあたりがそうなのか。
ハルが猫化していくということは、つまり「自分の時間を生きられない」状態になっていることを表すのだろうが、なぜそうなのか。
自分の時間を生きる、とはどういうことなのか。
まったくわからない。だから緊迫感もなにもない。
そして最後に現れる王子様とユキ。
「結婚します」と毅然と自己主張しているのにもかかわらず、やはり「自分の時間を生きられない」国の王子なのだろうか。
これが決定的に猫の世界観をぶち壊す要因になっている。
そもそも元猫以外の動物があの世界にいたのかどうかも不明だ。
もともと猫だったのなら「自分の世界」云々は必要ない。
だから猫になるかもしれない、という恐さもない。
そしてバロン。彼は必要だったのか。
猫の事務所の説明もないのに、彼が登場する必然性はどこにあるのか。
彼はそもそも何者なのか。
人物の深さが全くない。ただのヒーロー的な存在でしかない。
あえて姉妹作にする必要があったのか。
ここまで考えるとむしろ猫である必然性すら感じない。
犬でも蛙でもハムスターでも蚊でも、エイリアンでも良かったのではないか。
絵も音楽も大したことがない。
ジブリとして出す意味も意図もよくわからない。
これがジブリの方向性なら宮崎監督が構築したものは、全く生かされずに今後映画が作られるということだろう。
監督の森田はどこを試したかったのか。
金と基盤とブランドをつかって描きたかったのは何なのか。
「ジブリ風」の映画を作りたかっただけなのか(それにも失敗しているが)。
若いし、少しの失敗なら許される環境の中で、これほど小さく縮こまった作品を作って、一体何を学んだというのか。
〈失敗作にもなれない〉映画。
正直、ハリウッドの安い脚本家でももっとましな脚本を書くだろう。
それほどひどいということに、なぜ気づかずにここまで作り上げてしまうのか、理解に苦しむ。
「ポニョ」が現在公開中だが、結局宮崎駿一人に支えられているだけで、構造は何も変わっていない。
人を育てるのが下手すぎるぞ、宮崎さん!
冒険する気がないならもっと完成度の高いものを作れ!
哲学や理想を持たないのなら映画など作るな。
(2002/08/04執筆)
監督:森田宏幸
ジブリの宮崎監督の手から離れた新人監督、森田宏幸の作品。
毎日に不満はないが満足できない少女ハルが、ある日猫を助ける。その助けた猫が、実は猫の王子様だったことから
ハルは猫の国に招待されることになった。
▼以下はネタバレあり▼
新人監督ということで、もとより完成度の高さは、全く求めずに観ようと試みた。
しかし。
新人監督らしからぬ「怯えた」映画で、「失敗」すらしていない映画になっていた。
全く「冒険」していなかった。
「私はジブリをこういう形で描いていく」という意志が、全く感じられなかった。
まずギブリーズ。
本編がはじまる前に見せる意図がまず理解できない。
内容的に付属物であるのに敢えて集中力をそぐようにもってくるのは、明らかにミスだ。
そして内容も、はっきり言ってどうでもいい。
このような、「楽屋落ち」という、自己満足的な映像を映画館で観てもらう必要があるのか。
本編への伏線にもなっていない。
製作者をモデルにしているらしいが、はっきり言ってそんなこと、どうでもいい。
内輪の話を見たいと思うのは、マニアだけだ。
全くの無駄。映像を試したいならCMでも打てばいい。
映画館で、しかも本編の前にみせる必要が、僕には全く感じられない。
そして集中力が十分にそがれた後に本編。
いかにも現代の女子高生を象徴したようなハルは、まだ許せる。
しかし猫の国に行くという設定が、既に「千と千尋」的発想で「不思議の国のアリス」的展開の陳腐なものであり、しかも、肝心の「猫の国」の世界観が全然描かれていない。
しきりに「自分の時間を生きられないやつの世界」という台詞を与えるが、一体どのあたりがそうなのか。
ハルが猫化していくということは、つまり「自分の時間を生きられない」状態になっていることを表すのだろうが、なぜそうなのか。
自分の時間を生きる、とはどういうことなのか。
まったくわからない。だから緊迫感もなにもない。
そして最後に現れる王子様とユキ。
「結婚します」と毅然と自己主張しているのにもかかわらず、やはり「自分の時間を生きられない」国の王子なのだろうか。
これが決定的に猫の世界観をぶち壊す要因になっている。
そもそも元猫以外の動物があの世界にいたのかどうかも不明だ。
もともと猫だったのなら「自分の世界」云々は必要ない。
だから猫になるかもしれない、という恐さもない。
そしてバロン。彼は必要だったのか。
猫の事務所の説明もないのに、彼が登場する必然性はどこにあるのか。
彼はそもそも何者なのか。
人物の深さが全くない。ただのヒーロー的な存在でしかない。
あえて姉妹作にする必要があったのか。
ここまで考えるとむしろ猫である必然性すら感じない。
犬でも蛙でもハムスターでも蚊でも、エイリアンでも良かったのではないか。
絵も音楽も大したことがない。
ジブリとして出す意味も意図もよくわからない。
これがジブリの方向性なら宮崎監督が構築したものは、全く生かされずに今後映画が作られるということだろう。
監督の森田はどこを試したかったのか。
金と基盤とブランドをつかって描きたかったのは何なのか。
「ジブリ風」の映画を作りたかっただけなのか(それにも失敗しているが)。
若いし、少しの失敗なら許される環境の中で、これほど小さく縮こまった作品を作って、一体何を学んだというのか。
〈失敗作にもなれない〉映画。
正直、ハリウッドの安い脚本家でももっとましな脚本を書くだろう。
それほどひどいということに、なぜ気づかずにここまで作り上げてしまうのか、理解に苦しむ。
「ポニョ」が現在公開中だが、結局宮崎駿一人に支えられているだけで、構造は何も変わっていない。
人を育てるのが下手すぎるぞ、宮崎さん!
冒険する気がないならもっと完成度の高いものを作れ!
哲学や理想を持たないのなら映画など作るな。
(2002/08/04執筆)
「猫の恩返し」はそもそもある企業向けの20分程度の作品の企画だったそうです。それが諸事情により劇場公開まで話が大きくなってしまったそうです。
森田氏のブログからちょっと引用させていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/moriphy/e/3284302e23104b1bc54e577c7898d095
↑のコメント蘭から
>たしかに当時、なんでこれを?と疑問を感じる知人は多かったです。
>>なんでこんな代物を映画にしなくっちゃいけなんだろう、と。
>理由は、1)宮崎駿が決めたから
> 2)耳をすませばが根強い人気だったから
> 3)柊あおいさんのファンがジブリに結構多い
> 4)私が興味を持ったから
です。
> コナンの原作の「残された人々」や「ハウル」の原作をお読みになるといいですよ。宮崎さんが原作に選ぶ作品は「巧く出来ていなくても、他にはない魅力のあるアイディアが含まれているもの」だと思います。
> 猫の原作の脳天気な味はよかったけどな。楽しい企画ってなかなかないですよ
森田宏幸のブログ
http://blog.goo.ne.jp/moriphy
「猫の恩返し」の経緯に興味がおありでしたら、2006年10月の「スタッフの起承転結その4」から続く一連の記事が興味深いです。
管理人のmenfithです。
書き込みありがとうございます。
森田監督については僕は全く調べていません。
僕の基本スタンスは、提供された映画という表現を、単体として真剣に受け止める、ということです。
その意味で、基本的にどんな監督に関しての情報を集めることはしません。
(小説などの原作とかは別ですが)
上の批評も、そういった点は完全に盲点になっています。
その意味で、黒煎りゴマさんの情報はありがたいです。
ですが、僕はやはり「それなら作るなよ」と言いたくなります。
任された以上、そして、それを世に出す以上、表現者としての最低のマナー「納得したものを享受者に提供する」ということを守って欲しかったと思います。
僕たち観客はお金を払って映画館に行くわけですし、観客は映画の享受者として真剣に表現者の主張に耳を傾けるはずですし。
映画業界が表現するだけの単純な要素だけで成り立っているわけではないことを鑑みても、ひどい映画だったと思っています。
まあ、この批評を書いたのはもう6年前のことで、実際映画の内容はあまり覚えていないのですが……。
機会があれば、また見直したいと思っています。
頑固モノですみません。
ちなみに、僕はけっこうなジブリファンです。
このほかの作品も批評を書いています。
こちらにアップするのはだいぶ先になりそうな感じですが、よければホームページ版の「secret boots」をご覧ください。
まだ「ポニョ」は観に行っていませんが。
あと、ちょっとだけ。
>基本的にどんな監督に関しての情報を集めることはしません。
これと
>ですが、僕はやはり「それなら作るなよ」と言いたくなります。
これは評価の姿勢としては矛盾していると思うのです。
よく知りもしない人に対して「お前は映画を作るな」と言うべきなのかなと。ましてや「金と基盤とブランドをつかって描きたかったのは何なのか。」と人格攻撃するのは筋違いだと思うので。
あと「猫の恩返し」の興行収入は約64億円。2002年の邦画一位です。これで作るべきではないとするなら他の映画の立場が無いです。
言葉足らずでした。すみません。
「ですが、僕はやはり「それなら作るなよ」と言いたくなります。」
と書いたのは、黒煎りゴマさんの、監督の引用部分を受けてです。
「宮崎駿が言ったから」仕方なく映画化したというようなこと言うのなら、作るなよ、と言いたいわけです。
任された仕事である以上、また、その仕事を受けた以上、どのような事情があれ、それを責任をもって遂行するべきではないかと思うのです。
少なくとも、ブログなどという形式でいいわけじみたことは言って欲しくないと思います。
映画監督であるなら、映画の中で「よくやった」と観客に思わせることが重要だと思いますので。
もちろん、その評価には個人差があってもいいとは思います。
「人格攻撃するのは筋違いだと思う」というのはその通りかもしれません。
僕は監督だけがこの映画の責任をとるべきだとは思いません。
むしろ、この映画をジブリとして企画し、制作し世に出そうというそのスタンスじたいを批判したいわけです。
こちらも言葉足らずだったと思います。
最後に、興行収入についてですが、これについては僕は関係がないと思っています。
興行収入は映画に携わる企業にとって、重要な評価基準となることは理解しています。
ですが、個人の感想や評価が興行収入という売れたか売れていないかによって左右されることはあり得ません。
僕の感想に、売れたか売れていないかは加味しません。
僕はおもしろいか、おもしろくないか、ということだけで映画を判断します。
たとえば、売れまくっているジブリ映画ですが、僕は今敏の映画のほうが、遙かに好きです。
売れていないからと言ってそれを曲げることはできません。
売れていていい映画もありますし、売れていないから悪い映画もあります。
確かに一つの指針にはなるとおもいますが、それだけが価値判断の基準とはいえないと思っています。
もし、そうであるなら、興行収入のランキング表だけをサイトにアップします。
僕はそれでは納得できないので、このブログを立ち上げているわけです。
むしろ、興行収入で一位をとるだけの期待や代償の上に映画が成り立っているという責任を感じて欲しいくらいです。
僕の映画を観るスタンスについては、このブログにはあまり書いていません。
下のホームページの方をご参照ください。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~h-t57/coution.htm