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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

DUNE砂の惑星 PART2

2024-03-22 09:03:02 | 映画(た)
評価点:65点/2024年/アメリカ/166分

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

一本の映画として鑑賞できるかどうか。

自国を滅ぼされたポール(ティモシー・シャラメ)は、チャニ(ゼンデイヤ)らフレメンの一員になるべく、行動を共にする。
帝国はスパイスの採掘をより強固なものにしようと侵攻を続けていた。
フリメンらは、帝国に反抗するため、採掘機を破壊するテロ活動を開始する。

有名SF小説の映画化第二弾。
アカデミー賞の賞レースには前年に公開された作品が列挙されているので、この作品は選外になっている。
先のアカデミー賞では「ゴジラ-1.0」や「オッペンハイマー」が話題になったので、どうしてもこの作品は話題性に欠ける。

そして、前作もそれほど日本で売れたわけではないので、余計に知らない人が多いのかもしれない。
IMAXでの鑑賞を目指したので、そうなるとさらに上映に制限があり、大阪までも見るのが難しかった。
3時間ちかくの長尺に加えて、字幕も吹き替えもあるため、商業的にはどうしても苦戦を強いられることになる。

内容もやはり、初心者お断り、知らないなら見に来なくてもいい、というような内容で、「スターウォーズ」よりももっと知名度が低いこの作品に対する一般の評価は高くない。
(より丁寧に言えば、高くなるはずがない。かなりマニアックな作品である、といえるだろう。)

大河ドラマのような敷居の高さがある。
一見さんお断り、前作鑑賞必須なので、そのあたりはきちんとわきまえて映画館に行きたい。
平日だったが、かなりお客さんの入りは多く、また外国人の方もいつもより多かった。
IMAXということもあって選択肢が他の上映回がなかったからだろう。

▼以下はネタバレあり▼

どうせ見ているうちに話を思い出すだろう、と思って見に行ったのが間違いだったのか。
それとも、寒の戻りと花粉症のせいなのか。
とにかく話に乗れずに166分が過ぎていった。
だからこの批評は「おまえの勉強不足」という批判にさらされることだろう。
それもまた鑑賞経験なので、記録として残しておこう。

正直、各レビューサイトで絶賛されているが、この映画が本当にその星の数だけの評価を多くの人に受けられるとは到底思えない。
もちろん、好きな人が高い評価をすることに、全く異存はないが、それが「映画としての評価」と言えるかどうかは議論があって良いと感じる。
そういう完成度だと思う。

私は原作を読んでいないし、この鑑賞を受けて、もう一度前作から見直すつもりもない。
「PART3」が出るとすれば、見直すかもしれないが。
よって私は、この映画に対して強い思い入れもないし、周りに布教活動するつもりもない。
そういうライトな観客としてレビューする。

結論から言えば、私は楽しめなかったし、もう一度鑑賞し直したいと思えるほど揺さぶられもしなかった。
一つに、話が見えてこなかった、というのがある。
私のような、思い入れのない観客にとって、感情移入できる登場人物がいなかった。
主人公のポールは、未来が見えるようになるとチャニを裏切って、皇女をめとると宣言する。
彼の見えた未来が、どのようなものだったのかわからない。
最終的にはチャニのための選択なのかもしれない。
けれども、そこは次回までの持ち越しになってしまった。

長い物語の中で、確かに最後の選択は衝撃的だが、彼の本心がよくわからないまま終わってしまい、突き放されてしまった印象を受ける。
チャニや、その他の人物もやはり説明的描写が少なすぎて、「こういうことは分かっていて当然ですよね」という流れで進んでしまう。
そうはいっても、展開は遅く、冗長な印象は拭えない。

いや、それ以上に戦争のスペクタクルが弱い。
前作であれだけ徹底的にやられた帝国との戦争が、先制の核攻撃と、フレメンたちの格闘で政権を奪い返すというのがピンとこない。
中盤で、大観衆に見守られたデュエルを見せられ、圧倒的な国力を印象づけたわりに、あっさり奪還してしまう。
この世界観では常識なのだ、といわれればその通りだが、長々と丁寧に描かれるわりには、あまりにあっさりしているため、観客として居心地のわるさを感じる。

ストーリーを追おうとしている私としては世界観の再現は二の次なのだ。
しかし、映画の大半は世界観の描写に費やされる。
そもそも、このDUNEという世界観を「好きである」ことが前提であり、その世界にどう引き込もうかという戦略は映画として練られていない。

サンドワームの扱いも、私には解せない。
前作までは畏怖や畏敬に満ちた存在だったが、今回は乗り回す存在になってしまった。
「こんな大きいのは見たことがない!」と周りが息巻いても、どれくらい大きいのか砂の中ではよく分からないので、やはり「恐ろしい」よりも、「便利な馬」くらいにしか感じられない。
(それもフリメンの一員に認められたから、というのはわかるが、それでも違和感がある)

もちろん、細部にわたっての美術、音楽、音響はすばらしい。
けれども、それは大きな筋があってのことだ。
あくまでこの表現媒体は「映画」であって、「映像」ではない。
その意味では、この作品は映画としての自律性や完結性はない。
この映画以外の、何かを参照しなければ鑑賞には堪えない。
だから、アメリカでどれくらいこの物語がなじみ深いのか、知らないが、日本では商業的に成功することはない。

何度も言うように、「知らないおまえが悪い」と言われればそれまでだ。
だが、知りたいと思わせられることもなければ、知ろうともしないだろう。
だから映画としての完成度を問われると、厳しいかなという印象を免れないわけだ。


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