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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

シン・ウルトラマン

2022-05-26 17:22:30 | 映画(さ)
評価点:51点/2022年/日本/112分

監督:樋口真嗣
総監督・脚本:庵野秀明

統一性と完結性の欠如。

怪獣、いや禍威獣に襲われるようになって日本は対禍威獣対策として「禍威獣特設対策室」という組織をつくり、対応に当たることにした。
略称「禍特対」の対応はうまくいっていた矢先、禍威獣「」が現れる。
対応を迫れる禍特対だが、手も足も出ない。
そんな中、いきなり銀色の巨人が現れて、禍威獣をやっつけてしまう。
ウルトラマンと呼称されたその銀色の巨人に人々の注目が集まるが……。

遅くなったがようやく映画館に行く時間を見つけられたので、とりあえず行ってみることにした。
「マーヴェリック」を見たかったが、公開していないことに気づいたからでもある。
とにかくたくさん上映回数があるので、時間を合わせやすいのもある。
これくらいの上映回数だと、どんな映画も見やすいのだが。

監督は樋口真嗣、脚本は庵野秀明。
発表されたときは大きな話題になり、「シン・ゴジラ」の成功もあり、日本中の注目を集める作品になった。
「ウルトラマン」といえば子どもの頃に一度は男の子が熱狂するあれである。
そう、ウルトラマンといえば、3分しか戦えずに、そして、スペシウム光線で怪獣をやっつけて……。
すみません、私にはウルトラマンとふれあう機会がなかったので、全く設定もなにも知りません。
キャラクターも毛むくじゃらのやつがいたり、カニみたいなはさみを持っているやつがいたり、それくらいしか知りません。

ということで、絶対必要であろう予備知識すらなしで見に行った。
すでにSNSなどでは賛否両論が吹き荒れているらしいが、ま、どちらしても見る以外に評価は下せませんしね。


▼以下はネタバレあり▼

全く思い入れがないということはこういうことなのだろう。
私には終始この映画の世界に入り込むことはなかった。
いや、終始といっては語弊があるかもしれない。
この映画は「入り口があっても道がない」ような没入感を阻害する何かがあった。
いや、何かが足りていなかった。
それが「統一性」と「完結性」である。

この映画には統一性がない。
それは脚本もそうだし、キャラクターもそうだし、なにより演出がそうだ。
最初の特撮映画のような趣は、ラストでは全くなくなり、何の映画を見に来たのかわからなくなって劇場を後にすることになる。
耳に残るのは米津の主題歌のみで、どんな映画だった? と振り返ることを許さない。
こんな統一性のない映画も珍しい。

特にひどかったのはやはり映像だ。
子どものころに体験したことがあるだろう特撮映画の趣が強い冒頭はこれまでのウルトラマンを彷彿とさせる。
しかし、メフィラスが登場して以降は、CG中心のアニメーションのような見せ場の連続となり、序盤の趣と大きく異なっていく。
ラストに至っては異次元空間にゼットンの攻撃を飛ばしてしまうという設定のためもあって、何をしているのかわからない。
まったくカタルシスに欠けるラストで、見せ場として成り立っていない。
最も危機的な状況が、まったくヴィジュアル的に面白くない。
まるで序盤でアイデアと予算を使い尽くして残りは惰性で帳尻を合わせたかのような終わり方だ。

それはストーリーに対してもいえることだ。
禍威獣の登場を焦ったのか、序盤にダイジェストで見せてしまったことで、危機感が伝わりにくい。
人々もこの状況に「慣れ」てしまっていて、ウルトラマンの登場の畏怖が伝わってこない。
ダイジェストで見せた後も次から次へと危険が迫ってきて、何がテーマなのかわからない。
ウルトラマンがいかにしてウルトラマンとして生きるようになったのか、という点なのか。
日本社会への警鐘なのか。
はたまた禍特対らの活躍なのか。
そのあたりが中途半端にしか描かれず、テーマが不透明だ。

メフィラスに語らせるという手法で、テーマを浮き彫りにしたかったのかもしれないが、特撮映画としての魅力は減退してしまった。
そして何より、語ってしまったことで、脅威の最大の魅力であるはずの「不透明さ」がなくなり、ただ単に「物量の怖さ」以外の恐怖が抱けなくなってしまった。

何も言わなくても戦いの中でテーマを見せるだけの圧倒的な見せ場を作らなければ、こういう映画としては厳しいだろう。

もう一つは完結性だ。
これも統一性と関連しているが、キャラクターに深みがない。
ウルトラマンも、隊員たちも、薄っぺらく中身がない。
先にも指摘したように、社会の世相もつかみづらい。
だからまとまりがなく、話が終わったのように感じられない。
たくさんを描こうとしたのかどうかわからないが、結局何も描けていない。
メフィラスがあれだけ語ったのに、やはり何が目的なのかわからない。

「外星人」と呼ばれる人々の技術によれば、すべて電子化されたデータを監視することができるとのことだったが、そこで見せられた資料はすべてワープロ打ちされたものだった。
パソコンはすべてネットにつながっているはずだ。
紙で渡したから大丈夫というのではあまりにも設定がお粗末だ。
このあたりからもものすごくご都合主義の設定が裏に走っていることがうかがえる。
こういう説得力がないアイテムがますます物語の完結性を奪っていく。

最たる者がウルトラマンの内面だ。
守るべき人間たち、地球とはどのようなものだったのか。
命を賭してまで守ろうとしたのは何だったのか。
それを描くためには、やはり神永なる人物をもっと序盤に丁寧に描くべきだった。
ウルトラマンと同化する前の神永を描かなければ、命をとすことの意味がまた見えてこない。
やはり、ダイジェストでウルトラマンが登場するまでの流れを描いてしまったところが、この映画の大きなミスだった。

全体として、結局今なぜウルトラマンなのか、という問いがぼやけているのだろう。
初代のウルトラマンが登場した頃がどのような設定だったのか知らないが、今作り直す意味をもっと落とし込む必要があった。
1900年代半ばの設定やリアリティがそのまま今でも通用するかのような「ノスタルジーさ」を受けてしまう。
これを見た若い世代がウルトラマンにはまるとは思えないし、子どもにこの映画を見せたいかと言われれば「NO」だ。

現代社会をどのように切り取り、それをどうやって外星人たちに反映させるのか。
そういう視点がこういう映画には不可欠だ。
いやはや、残念な映画を見せられてしまった。

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2 コメント

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Unknown (マチャミ🤗)
2022-06-16 12:35:09
なかなか厳しいコメントですな!
でも感じ方は人それぞれなんで本音満載のコメント最高👍
返信する
コメントありがとうございます。 (menfith)
2022-06-19 16:05:01
管理人のmenfithです。

仕事がつまって大変です。
生存はしています。
映画は見られていません。

>マチャミさん
書き込みありがとうございます。
私の職場でも賛否両論でした。

わたしはウルトラマンにほとんど触れてこなかったので、仕方がないかな、と思っています。
返信する

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