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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

コロナで失われた人間性

2021-08-02 18:11:05 | 不定期コラム
山極寿一の本をいくつか読んだ。
彼はほぼ同じようなことを繰り返して様々な本に書いている。
その一つは、人間がこれほど社会的な動物になったのは、食卓を囲むという習性があるからだ、という点だ。
他の類人猿は血縁やごく少数のコミュニティだけで食事を取る。
だが、人間は食卓を囲む相手は多種多様だ。
それは現代社会だけではなく、昔からそうだったと考えられる。
脳が大きく、成長するまでに時間がかかる人間は、子育てにも時間がかかる。
だから血縁だけでは食料をまかなうことができない。
結果、集団生活で食糧を確保することになり、より大きな関係性を築かねばならなくなった。

どちらが先かはわからない。
脳の肥大化か、社会性の獲得か、食事におけるコミュニティの多様化か。
ともかく人間の社会性を築く上での基幹に食事があることは間違いなさそうだ。

新型コロナウィルスの蔓延に伴い、多くの制限がかかっている。
その一つに外食への圧力がある。
外食して、共に飲食することが飛沫を誘発し、ウィルスの蔓延に繋がる。
まして外食は「ぜいたく」である。
医療が逼迫した状況の中、わざわざそのようなリスクを冒す必要があるのか。
それならば飲酒をはじめとして外食を締め付けるしかない、という論理なのだろう。

だが、そのほころびはすでに随所にみられるようになった。
路上で飲んだり、決まりを守らなかったり、家で集まったり。
その点だけ見れば「けしからん、我慢したらいいではないか」と拳を振り上げたくなる論法も分からないではない。

そのほころびは、本当に食に不自由ではないのに生まれたものなのか。
外食、いや、人と会って食事をするということは本当に「贅沢」であり「不要不急」のことなのか。
人間は食事を栄養という点だけで行っているのか。

危機感がない、ルールが守れない、といった「机上」や「パソコン上」のことだけで断罪しても変化はないだろう。
私たちは人と会って食事をすることが、実は人間が人間である所以を形成していたのではないか。
欲望や経済、法律といった私たちがすぐに依拠したがるわかりやすい判断基準以外に、判断ができなくなっている。

もちろん医療機関を無視しろ、とは思わない。
だが、議論の本質、評価の材料が根本的に齟齬をきたしているように思う。
このままでは潰れるのは外食産業ではない。
人間の、コミュニティそのものである。

実際、五輪を巡る議論だってすでに世論を対立させているではないか。


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2 コメント

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はじめまして (natsume)
2021-08-03 11:33:38
こんにちは。いつも楽しくレビューを拝見させていただいています。

このまま潰れるのは外食産業ではない。
人間の、コミュニティそのものである。

という部分にとても共感しました。

このコロナ禍で外食含む活動が制限され、仕事でもリモートワーク含めて色々な形がでてきていますが、私としては、人の本質として、実際に会って活動することが欠かせないのでは、という気持ちを強くしています。

私はスターウォーズやスタートレックが好きですが、やはり登場するキャラクターは宇宙に出てさえも顔を寄せ合って活動してますし(笑)

もちろん色々な点を考慮しなくてはいけないとは思いますが、コロナを乗り越える前に社会が崩れてしまうのではないかとそこはかとなく不安になります。
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返信遅くなりました。 (menfith)
2021-08-07 17:56:06
管理人のmenfithです。

暑くて大変です。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
私はとても毎日不快な思いで働いております……。

>natsumeさん
書込ありがとうございます。
返信遅くなって申し訳ありません。

飲み会、贅沢、泥酔、ヤカラ、無駄、というようなキーワードの中で食卓や食事、外食を位置づけてほしくないと思い書きました。

ここ1年半ほどはとても理性とはかけ離れた感情論だけで物事や議論が進められていくことに危惧を覚えます。
しかも、その奥にあるのは少しでも他国や他企業を出し抜こうという利己的な発想で支えられた言説ばかりである、ということも危惧しています。
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