評価点:73点/2022年/イギリス・アメリカ/107分
監督:スコット・マン
そんなタトゥーは消しとけ。
クライマーのベッキー(グレイス・キャロライン・カリー)とダンは結婚して間もなく、渓谷を登っているときに事故に遭ってしまう。
ダンを失ってしまったベッキーは、失意の余り引きこもりの生活を送るようになった。
一年が経ったころ、一緒に登っていたハンター(バージニア・ガードナー)に、今は使われていないテレビ塔に登らないか、と誘われる。
恐怖のあまり、それまで全く高所を登っていなかったベッキーは、断るが、新しい一歩を踏み出すために、と促され参加することを決めた。
鉄塔は660mで、老朽化しているため近々取り壊されることが決まっていた。
600mまでは鉄塔の中にあるハシゴを登るが、それ以降はむき出しになったハシゴを登っていく。
いよいよ登り切った二人だが、帰ろうとしたとき思わぬアクシデントが二人を襲う。
公開当時から話題になっていたワン・シチュエーション・ホラー。
似たような映画なら「127時間」などがこれに近いのか。
見に行こうかと迷っていたが、実際には時間が合わずに行かなかった。
例によってアマプラで見た。
高所が苦手な私にとっては、正直映画館で鑑賞しなくてよかったと思う。
家庭環境の都合により、iPadで見ていたが、それでも怖くて仕方がなかった。
それくらい上手く撮られている。
下手なアクション映画やホラー映画よりも、よほどわかりやすく恐がれる。
高所が苦手な人はやめておいたほうがいいかもしれない、それくらいの作品だ。
ワンシチュエーションのわりには、上映時間が長く、結構がしっかりしている。
お手軽な、ちょうどいい映画だろう。
▼以下はネタバレあり▼
600mの鉄塔を登って帰ってくる、というただそれだけの映画で、見ている誰もが「いかんでええやんけ」と思ってしまう話である。
けれども、そこを登ろうとしてしまうのが人間という生き物なのだろう。
ボロボロの鉄塔、何もない荒野、死体をついばむハゲワシ、さまざまな演出が、まさにここに鉄塔を登ろうとしている、という臨場感を生み出す。
上映時間が長いが、一切無駄のない展開で、あらゆるシークエンスがつながっていく。
I love you、を1、3、4と表現したり、捨てようとした指輪が後に利用されたり、緊張感を持続させながら、物語が物語としてつながっていく演出がされている。
これは簡単なように見えて、かなり緻密に計算されている。
アイデアをきちんと形にしようとしているという意味で、映画としての完結性が高まっている。
また、工夫を重ねて脱出を試みるが、ことごとく躓いていく様もスリリングになっている。
助けを呼ぼうとして車を盗まれ、ドローンをやっと飛ばしても車にひかれ、そんな上空にハゲワシが飛んでくるはずもないのに、ハゲワシに襲われ。
どこまでもフィクションだが、どこまでもリアリティがある。
ただし、最も盛り上がるのは、むしろ登っている最中であり、そこから動きがなくなったあたりから臨場感は持続しない。
登っているときは何故こんな映画を見てしまったのか、と後悔していたくらいだったが、登り終わると怖さが半減してしまい、「耐えられる」程度の怖さになってしまった。
また、終盤の幻想を抱いていたという流れは、やはり唐突に感じられる。
もう少し工夫が必要だった。
完結性が高まれば高まるほど、むしろ「よく作られた話」となり、リアリティが減っていくのも難しいところだ。
この手の話としては及第点、といったところか。
(いくら好きやらといって、入れ墨に入れて恋敵に会うのはほとんど自爆と言って良い、とか。)
私はこのシチュエーションが、そもそも現代人が置かれている状況そのもののように感じていた。
人はみなこの鉄塔のような、自分の課題をひたすら誰の助力もなく登っていく。
そこは究極の自己満足だが、だれも助けにきてくれはしない。
工夫と知恵をしぼって、自分たちの課題を登り切ることができるかどうか。
孤立無援で、ほぼ自分の資本さえない個人としての私が、荒野の中で叫んでいる。
この映画の本質は、リアルな鉄塔の描写、というよりは、どこまでも孤独な社会で生きているという普遍性にあるのではないだろうか。
もちろん考えすぎなのだが、自分がぬくぬくと確固たるコミュニティーの一員として生きているなんていう牧歌的なイメージはまるでない。
嘆いても仕方がない。
この映画よりももっと残酷な社会で、私たちは小さなドローンを飛ばして助けを求めているのかもしれない。
監督:スコット・マン
そんなタトゥーは消しとけ。
クライマーのベッキー(グレイス・キャロライン・カリー)とダンは結婚して間もなく、渓谷を登っているときに事故に遭ってしまう。
ダンを失ってしまったベッキーは、失意の余り引きこもりの生活を送るようになった。
一年が経ったころ、一緒に登っていたハンター(バージニア・ガードナー)に、今は使われていないテレビ塔に登らないか、と誘われる。
恐怖のあまり、それまで全く高所を登っていなかったベッキーは、断るが、新しい一歩を踏み出すために、と促され参加することを決めた。
鉄塔は660mで、老朽化しているため近々取り壊されることが決まっていた。
600mまでは鉄塔の中にあるハシゴを登るが、それ以降はむき出しになったハシゴを登っていく。
いよいよ登り切った二人だが、帰ろうとしたとき思わぬアクシデントが二人を襲う。
公開当時から話題になっていたワン・シチュエーション・ホラー。
似たような映画なら「127時間」などがこれに近いのか。
見に行こうかと迷っていたが、実際には時間が合わずに行かなかった。
例によってアマプラで見た。
高所が苦手な私にとっては、正直映画館で鑑賞しなくてよかったと思う。
家庭環境の都合により、iPadで見ていたが、それでも怖くて仕方がなかった。
それくらい上手く撮られている。
下手なアクション映画やホラー映画よりも、よほどわかりやすく恐がれる。
高所が苦手な人はやめておいたほうがいいかもしれない、それくらいの作品だ。
ワンシチュエーションのわりには、上映時間が長く、結構がしっかりしている。
お手軽な、ちょうどいい映画だろう。
▼以下はネタバレあり▼
600mの鉄塔を登って帰ってくる、というただそれだけの映画で、見ている誰もが「いかんでええやんけ」と思ってしまう話である。
けれども、そこを登ろうとしてしまうのが人間という生き物なのだろう。
ボロボロの鉄塔、何もない荒野、死体をついばむハゲワシ、さまざまな演出が、まさにここに鉄塔を登ろうとしている、という臨場感を生み出す。
上映時間が長いが、一切無駄のない展開で、あらゆるシークエンスがつながっていく。
I love you、を1、3、4と表現したり、捨てようとした指輪が後に利用されたり、緊張感を持続させながら、物語が物語としてつながっていく演出がされている。
これは簡単なように見えて、かなり緻密に計算されている。
アイデアをきちんと形にしようとしているという意味で、映画としての完結性が高まっている。
また、工夫を重ねて脱出を試みるが、ことごとく躓いていく様もスリリングになっている。
助けを呼ぼうとして車を盗まれ、ドローンをやっと飛ばしても車にひかれ、そんな上空にハゲワシが飛んでくるはずもないのに、ハゲワシに襲われ。
どこまでもフィクションだが、どこまでもリアリティがある。
ただし、最も盛り上がるのは、むしろ登っている最中であり、そこから動きがなくなったあたりから臨場感は持続しない。
登っているときは何故こんな映画を見てしまったのか、と後悔していたくらいだったが、登り終わると怖さが半減してしまい、「耐えられる」程度の怖さになってしまった。
また、終盤の幻想を抱いていたという流れは、やはり唐突に感じられる。
もう少し工夫が必要だった。
完結性が高まれば高まるほど、むしろ「よく作られた話」となり、リアリティが減っていくのも難しいところだ。
この手の話としては及第点、といったところか。
(いくら好きやらといって、入れ墨に入れて恋敵に会うのはほとんど自爆と言って良い、とか。)
私はこのシチュエーションが、そもそも現代人が置かれている状況そのもののように感じていた。
人はみなこの鉄塔のような、自分の課題をひたすら誰の助力もなく登っていく。
そこは究極の自己満足だが、だれも助けにきてくれはしない。
工夫と知恵をしぼって、自分たちの課題を登り切ることができるかどうか。
孤立無援で、ほぼ自分の資本さえない個人としての私が、荒野の中で叫んでいる。
この映画の本質は、リアルな鉄塔の描写、というよりは、どこまでも孤独な社会で生きているという普遍性にあるのではないだろうか。
もちろん考えすぎなのだが、自分がぬくぬくと確固たるコミュニティーの一員として生きているなんていう牧歌的なイメージはまるでない。
嘆いても仕方がない。
この映画よりももっと残酷な社会で、私たちは小さなドローンを飛ばして助けを求めているのかもしれない。
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