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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

うちのプログラミング教育

2023-11-24 21:56:35 | 毎日コラム
うちは子どもが産まれて以来、ずっとプログラミング教育を行っている。
保育園から帰ったら、黙々と作業している。
何も教えたわけではない。
止まらない探究心が、幼児を駆り立てる。

我が家でのプログラミング教育は、情報機器端末を必要としない。
ただひたすらに、ハサミとノリと、テープと、そして廃材である。
まあ、要するに工作をしているのだ。

しかし、これがぷグラミング教育そのものであることを、先日プログラミング教育の体験説明会に参加して知った。
やろうとする目標を決めて、試行錯誤して、目標に向かっていく。
トラブルやミスがあればそれを修正していく。
第三者から見て、おかしいかどうかを判断できるという意味でも、工作もわかりやすい。

特別な支援や指導が必要な面もある。
けれども、我が子たちは十分、クリエイティブで探究心あふれる協働的な学びをしている。

いや、プログラミング教育を否定する気は全くない。
工作なんていう地味な作業よりも、産業として成り立つのはもちろんマインクラフトだろう。
ロボット工作だろう。
しかし、特別な時間と空間をものだけが、「教育」ではない。
むしろ、失敗して訂正して、完成しなまま次の作品に向かっていく。
そのプロセスそのものが学びだし、小学生や小学生未満に必要な時間だろう。

我が家のプログラミング教育がどこにいくのかわからない。
今日もお手製のサンドバッグを作って、飛んでくる新聞紙の塊と必死に戦っていた。
汗だくになりながら、なかなか寝床にいかない子どもを私はまだしばらくは家で見守りたいと思っている。

けれども、それが、それこそが難しくなっているのは確かだろう。
少子化という問題は、家庭にもズカズカと経済の足音を刻んでくる。
そうじゃないんだ、という違和感を持つことが、その楔になると信じている。


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