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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

私たちの渇き

2023-11-30 22:05:34 | 毎日コラム
私たちはかつてないほどに、近年、渇きを覚えている。
これほどの世界有数の経済大国であるのに、貧困だ、生活が苦しいという渇きの声が絶えない。
人手が足りないと言われながら、それでも賃金は上がらない。
もうまもなく、人口ではるかに少ないドイツに逆転される見通しである。

いつから私たちはこれほど渇きを感じるようになったのだろうか。
だから、私たちは増税に敏感になり、減税に疑いの目を向ける。
当たり前のことだが、暮らしの保証を求めれば、税金が上がっていくのは免れない。
税金が下がるということは、国のサービスは劣化していくことになる。
税金を下げてさらに、国に生活に関する十分なサービスを求めるのは矛盾そのものである。

だが、それでも私たちは生活にゆとりや潤い、余裕を感じることができない。
この渇きの正体はいったい何なのか。
断っておくが、私は政府に強い期待もなければ、その責任を彼らに押し付けるつもりはない。
政策にそもそも詳しくないし、投票権を行使した(あるいはしなかった)私にも責任はあるのだろうから。

もし政府に、為政者たちに、責任があるとすれば、それは経済という目に見える指標以外に私たちの幸せを語るものさしがないからだろう。
すべてをお金に還元しようとすれば、私たちは数値を追い求めることになる。
その語るべき指標を、これまでの政府は経済的なものに頼り続けてきた。
比較可能で、交換可能な数値は、なるほど客観的かもしれない。
だが、客観的なものほど、私たちの主観性を蔑ろにするものはない。
幸せは、渇きは、どこまでも主観的なものなのだから。

別にお金を無視して貧相に細々と暮らせと、言いたいわけではない。
けれども、お金に換算できないものこそ、私たちの渇きを癒すもののはずだ。
そこに目を向けられない以上、私たちはありえない安い行き届いたサービスの幻想を抱き続けて渇くしかない。

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