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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

理解への無理解

2023-11-25 22:35:20 | 毎日コラム
報連相ができない、ということは、うちの職場だけではなく現代の病理だと思う。
いや、私の会社だけかもしれないが。

その奢りともいうべき誤解は、発信した連絡は須く相手に理解されるものだという無理解が原因であるように思う。
自分の言葉は相手にしっかりと、少しの目減りもなく、理解されるものだ、理解されるべきものだと。
しかし、やはり、相手の思いや考えなど容易に理解できない。
理解できるなら、長い小説は必要はなかったし、戦争もおこならない。

今20年ほどぶりに、昔投げ出した本を読んでいる。
(読み終わったら記事にするかもしれない。)
ところが、これがてんでわからない。
20年前より読解力も知識もあるはずなのに、何もわからない。

アドラーを読んでいた時、「説明されてわかったつもりでもそれを実行していくのは容易ではない」というような一節があったのを思い出す。
読んですぐわかるものなど、読書ではない。
わかったつもりでも、実際には何もわかってはいない。
理解とは、瞬間的に完遂されるものではなく、円環であり、帯であり、時間的なものだ。

小学生の子どもの勉強を見ていても思う。
何度も同じミスをして、何度も振り返って、初めてわかったりできたりする。
繰り返して失敗して、訂正しながら前に進む。
振り返ってみれば、なぜそんなこともできなかったのか、と思うような体験。

それは、映画を早送りで見るような体験とは全く違う。
理解なんて容易ではない。
その基本こそが、生きるということであり、他者理解ということであり、コミュニケーションということであり、理解そのものなのだろう。
しかし、現代人はそれを忘れてしまっている。
あるいは理解をみくびっている。

手痛いしっぺ返しは、すでに至る所で起こっているのに。

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