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secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN

2025-03-14 18:24:40 | 映画(な)
評価点:75点/2024年/アメリカ/141分

監督:ジェームズ・マンゴールド

描かれる二つの三角関係。

1960年、無名だったボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)は、入院したというフォークシンガーのウッディ・ガスリーの元を訪れた。
彼のために用意した歌を披露したボブの優れた才能を確信したシーガー(エドワード・ノートン)は、彼をさまざまなステージで歌わせることで知名度を上げていった。
同じフォークですでに有名になっていたジョーンズ・ベエズ(モニカ・バルバロ)の力もあり、次第にフォーク界のホープとして有名になっていく。
そんな状況をボブ自身は息苦しく感じるようになっていく。

アカデミー賞にノミネートされて話題になった本作。
オスカーの作品賞を受賞した「アモーラ」と悩んだ挙句、こちらを見ることにした。
本当なら二本とも見たかったが、時間が合わずに断念した。
「アモーラ」も見られたらと思っているが、絶望的かもしれない。

私にとってボブ・ディランは、師と仰いでいる重要な人ではまったくない。
ノーベル文学賞をとったこと、江口洋介と唐沢寿明が出ていたドラマで歌詞が引用されていたことをうっすらと記憶している程度だ。
プレスリーよりも知らない。

そんな私が見たかったのは、徹底して再現したというティモシー・シャラメの演技だった。
アメリカの文化や音楽に詳しい人はそれこそ悶絶するのかしれないが、私はけっこう冷めた目で鑑賞できたと思う。


▼以下はネタバレあり▼

史実とどれくらい異なっているか、再現されているかはもはやどうでもよい。
時代考証を進めてくれるのは他のサイトや記事で十分だろう。
私はやはり、映画として1本の作品として、少し考えてみたい。

自伝的な話だが、映画として描かれているのは5年間ほどで、半生を描いているというような作品ではない。
これが適切だったのかどうかは知らない。

具体的には、ボブ・ディランがスターダムにのし上がっていき、フォークシンガーとして大成した後、フォークと決別するまでの話だ。
フォークの新星としてデビューしして、ギターをエレキに持ち替えても、やはり今でも残っているのは「風に吹かれて」のようなフォークなのは興味深い。
それはおいておくとして、かなり物語が人生の一部分に焦点があてられていることは確認すべきだ。

精神病院に入院しているガスリーを見舞い、彼の前で歌を披露し、そしてまた有名になってから彼の元を訪れる。
物語はこうして、ガスリーに私淑したボブ・ディランが、彼の元を去る物語でもある。

物語の見せ場は、やはり最後のフォークフェスでのやりとりだろう。
このフェスはフォークを聞きに来ている、だからフォークを歌ってくれというシーガーと、いつまでもフォークばかりを歌って変化できない「荷物」を背負わされているディランとが、対峙する。
ここには、過去の成功から脱却したい「未来」を志向するディランと、そうはいっても「過去」の名曲に自分の地位を支えられているというディランの相克を暗示している。

与えられた3曲を、目一杯今やりたい曲を披露したディランは、聴衆からブーイングを浴びる。
これは、時代から取り残された田舎町の労働者たちが、「おまえたちはいつまでも変わらないからダメなんだ」という強烈な冷や水を浴びせられたことに対する反発だ。
「時代はもう変わったんだ」と訴えたボブの曲に、陶酔したはずなのに、彼はそんな聴衆たちに「おまえこそ変わっていないじゃん」と痛烈に批判したわけだ。

怒りが収まらない聴衆の元へ、フォークを歌うように説得した主催者たちに彼は応じてアンコールとしてフォークを歌う。
これは、彼が過去を捨てきれない未練をもっていることを暗喩する。
ここには現在のボブが、過去と現在とのトライアングルに悩む様子が見事に切り取られている。
もちろん、フォークから脱却してロックを、あるいはジャンルなんて俺を縛るものじゃない、という主張を表明している。
しかし、実際にはフォークを歌ってしまう。
それが彼の「現在地」であり、自分でもその気持ちを持っていることの現れだ。

見事だったのは、その逆の側面を、シルヴィ(エル・ファニング)で表現していることだ。
彼女はすでに別の男性と結婚、離婚を経験していた。
よりを戻そうと元カノに戻ったボブは、フォークフェスに彼女を連れ出す。
しかし、既に心が違うところにあることを悟ったシルヴィは、ボブの意図に反して去ってしまう。
ここには、シルヴィとベエズとボブの三角関係が描かれている。
売れっ子になってしまったボブは、売れる前から親しかったシルヴィの知っていた彼ではない。

ここにも、過去と現在、そして未来という三角関係で揺れるもう一つの葛藤するボブが暗示されている。
フェスの公演を前に、彼女が去ってしまうことは、まさに彼が未来へと動き出そうとしていること、それでも彼女を引き留めようと未練が捨てられない過去を引きずるもう一つの気持ちがはっきりと描かれている。

いい音楽を探したい、それはジャンルに囚われるものではない。
そう繰り返し語っていたボブは、フォークというジャンルの枠から飛び出ていく。
彼は自由であり続け、作品を作り続ける。
重荷を背負わされることから解放されることを求める。
そして、ガスリーの元を訪れて、決別の歌を披露する。

テロップで「シンガーとして初めてノーベル文学賞を受賞した」
「けれども、式には出なかった」という文言は、彼の権威にこびない自由さが、まさにアメリカそのものであると言いたげである。

と、とてもおもしろいのだが、やはり見所はティモシー・シャラメの完全再現された歌唱とその相貌だ。
憑依型といっても過言ではないくらい、歌声が似ている。
本人が生きている中で、ファンも多い伝説的な人物を演じるに、相等の覚悟がうかがえる。

じゃあ、傑作なのかと言われると、そこまでだ。
彼の内面を深くえぐれているか、と言われると疑問が残る。
なぜあれほどの楽曲が次々と生み出せたのか。
名前を隠してニューヨークに現れたのはなぜなのか。
上手く切り取られた分、謎を残したままエンドロールを迎える。
才能、といえばそれまでだが、特に自由の国アメリカ、世界の警察たるアメリカが初めて戦争に負けたベトナムとの関連をはっきりと描いた手前、消化不良のままだった。

その意味でカタルシスは低く、物語として完結性が薄くなっている。
いままで無理解だった若者に対して、強烈なしっぺ返しを食らわし、そしてその熱狂に燃えていた私も、また古くなっていた。
保守も革新もみな一様にかき回し、「いつまでも過去を引きずるな、次に進め」というテーゼは、まさにアメリカという国を如実に表している。

この映画で最も株を上げたのは、やはりティモシー・シャラメだろう。
DUNE」でも話題をさらった俳優はもはや若手どころか十分なキャリアを築いたと言える。
今後の彼の活躍がますます期待される。


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