《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

10月14日は鉄道の日~~インクラインだって鉄道だと思うの

2011年10月12日 20時11分51秒 | Weblog
なんでこのところずっと更新しなかったかと申しますと、
健康上の理由は全くなく、メンタル面の理由でして、
3月11日以降、なんだか私の時計は止まってしまった感じが少しだけあって、
日記は時間が流れていないと書けまへんのや。

別に深刻ぶっているつもりはなく、
10月も半ばだというのに、いまだにふと気づくと私は、なんだか自然と、
「そろそろ、いつ、どこに花見に行くか考えないとなぁ。それにしてもなんで今年は桜前線北上の予想が話題にならないのじゃ?」
などということを今でもぼんやりと考えていることがあるのに気づかされ、ハッとする。
花見は自粛しましたが、通勤や外出の途中でいくらでも桜は見たはずなのに、
それらの記憶は飛んでしまっていて、
「早く桜咲かないかなぁ」なんて思いがいつの間にか脳内に忍び込んでいるのです。

7ヶ月がたち、
ようやっとちょろちょろ流れで、時が流れ始めましたかね。



さて
インクラインをこの“にっこう足”(出典:家元の「三人旅」)で歩んだ興奮は
いまだ醒めやらず、です。
インクラインというのは

「琵琶湖疎水の途中には、水力発電に利用するために
琵琶湖と京都盆地の高低差をなだらかにしなかった所があって、
そこでは運河としての機能が犠牲にされていて、
船を陸に揚げて、レールの上を台車で移動させるのですが、
その動力は疎水の水力発電で賄うという画期的な交通手段に与えられた
栄誉ある名前」

のことであります。

「船頭多くして船山に上る」はよくないことわざですが、
「水利多くするため船陸に上がる」
は槇村正直、北垣国道、田辺朔郎3名に対する賛辞でありまする。

元鉄的には、単に鉄路が走る絵面のほうが好ましいのですが、
どんなシステムかわかるような写真を今日は……掲載。

奈良本氏らによると、このインクラインは少し手を加えれは
いまも使用可能なんだそうで。
(ただし昭和61年初版の本の記載を根拠にしております)
だったら、水陸両用車で、
嵯峨野トロッコ列車と保津川下りを合体させたような観光用乗り物を
運行できない物ですかね。
ぜひ京阪電鉄さんにやって欲しいのですが。
南禅寺のすぐ裏なのに、蹴上げのあの静けさはどうよ。もったいなくねぇ?