リーダーシップと信頼でそれをカバーできないか?
一つの理念に賛同し、そこに一つの集団が生まれた時、その集団というのは
強力なリーダーシップがあれば、僕はまとめられると思っている。
これは独裁という意味ではなくて、理念に照らし合わせて、現実路線に当て
はめ、多数決とそれに合わせる意志が強ければ可能だということ。
そして、その集団が理想の高い集団であれば、その一人一人は個性が強く、
輝いている。逆に輝いてなかったらそれは魅力のないものになる。
輝きすぎて、周りが小さくなったらそれをリーダーが見えやすくすればい
い。また小さくなったものが見えやすくなるよう努力すればいい。
豪傑も、まとめ役も、胸に思いを秘める者も全部必要。各々が足りないもの
を補う。目標意識が高い集団ではそれが可能なはずだ。
だから、その集団を支持するものは、彼らを信頼する必要がある。どれだけ
纏まる過程において、不安になろうともその方向性が間違っていないのであ
れば。
それが支持すると言うことだ。誰が出過ぎてるから、もう少し引っ込めろと
か、もっとこっちを引っ張り出せというのは願望としてあっていいが、それ
を決めるのはその集団の仕事だ。それを決められる能力があるリーダーがい
る集団を僕らは支持しているのだから。何を心配することがあるだろうか。
そういう状態に支持者が陥ることが、かえってその集団に不安を与えること
を忘れてはならない。揺るがない信念それがその集団の自信と存在価値を高
めるのである。
信頼とはそういうものだ。信じて僕らは自分のできることをするのだ。他を
笑うのではなく自分達の正統性と正当性をただ、ひたすらに訴える。
そうした姿勢が共感と支持を呼ぶのだと僕は思っている。信じろ、その理念
を。信じろ、その集団を。信じろ、そのリーダーを。それが出来てはじめて
一体となれるのだと僕は確信している。
おしまい
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