ドイツ各地をツアーで廻りポツダムで感じたこと。

2022-08-15 | 旅行

海外旅行の機会には色々の事情であまり恵まれなかった私ですが、2007年6月に10日間のドイツ周遊ツアーに

夫と参加することが出来ました。あの頃は、若い方々もリタイヤ―後のシニア世代の人々も「百聞は一見にしかず」と

世界中の各地に出かけることが出来たいい時代だったような気がします。

ドイツ旅行で訪ねた場所の中で今一番強く思い出されるところがベルリンのポツダムです。

世界遺産のポツダム宮殿と庭園観光をした後、私達はポツダム会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿に

案内されました。太平洋戦争終結のシンボルともいわれるポツダム宣言をめぐる会談が行われた場所です。

学のない私が調べましたら、ポツダム宣言は、1945年7月26日にベルリン郊外のポツダムで開かれた

トルーマン・アメリカ大統領,チャーチル・イギリス首相,スターリン・ソ連首相による3国巨頭会談で決定

されたのち,蔣介石中華民国総統の同意をえて米英中3国首脳の名で発表されとのこと。

ソ連は日ソ中立条約が有効期間中であったため署名せず,45年8月8日の対日宣戦布告の後この宣言に署名した

そうで、それが今日も日本を悩ませている、北方四島問題に繋がっているのだと思います。

そこで撮った写真ですが、左からチャーチル首相、ルーズベルト大統領、(逝去され、アメリカ代表は

トルーマン大統領に代わっています)一番右がスターリン首相。

各代表の滞在された部屋を見ることが出来たのですが、驚いたのはスターリンの部屋の威容で圧倒的な

立派さでした。イギリス、アメリカが一番の戦勝国で主導していたと思っていたのですが、ドイツを制した

ソ連のスターリンは写真等見ても大変威圧的で威張っている感じがしました。昔小学上級生の頃、新聞の見出しで

「スターリン再び、何十万人に血の静粛」という記事を何度も繰り返し読んで、子供心にもスターリンという人は

冷酷で恐ろしい人だと思っていました。ロシアは今でもドイツを降伏させた翌日の5月9日を戦勝記念日として

大々的に国を挙げて祝っているようですね。

そして一番残念に感じたことは3国同盟の相手方であったイタリアが1944年9月に降伏、更にドイツもナチスの

崩壊で1945年の5月8日に降伏したのに、日本だけは頑なに孤軍奮闘して8月まで勝ち目のない戦争を続けて

原爆の被害に至るまで多くの犠牲を重ねてしまったことです。

東方の島国で世界の情勢に疎かったのでしょうか?

これから先、日本は国も人々も閉じこもらずに、世界の実情を知ることが求められていると思っています。

 



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