日に日に、東日本一帯を襲った台風19号の被害の全容が分かってきました。
悪夢であればと願うのですがこれは現実なのです。
被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
そして、一日も早い日常生活への復帰を祈っています。
戦争で焦土と化した国土から見事立ち直った民ですから、
始まった公的私的の支援の元で復旧は早いと信じています。
応援しています。
さて、「無言館」の続きですが出口におられた窪島さんに
入場料をお支払いらいしましたら、「この券で信濃デッサン館にも
入れますからこの後、寄って見て下さい」と云われました。
その時、厚かましくも、「お写真撮らせて頂いてよろしいでしょうか?」
と伺うと、思いがけなく窪島さんはさっと立ち上がられて、
なんと一緒に写真に納まって下さいました。
立ち上がられると長身でスポーツ選手のような堂々たる
体格でいらして驚いてしまいました。
窪島さんは「信濃デッサン館」と「無言館」との創設者ですが
作家水上勉氏の実の親子であることが40数年前、公になっています。
長年の忍耐強い必死のルーツ探しが結実して、ご自身が35歳の頃、
遂に実の父親である水上勉氏を探し当てられて、
それが公になり、大きな話題になりました。
当時、水上勉氏は有名作家(直木賞)しとして、又文壇の三美男として
持て囃されていました。(他のお2人は丹羽文雄氏?と何方でしょう?)
先日英会話グループで水上勉氏の話をしましたら60代の方々の
殆どがご存じなくてgeneration gap を感じてしまいました。
著書「父への手紙」に実親との再会までの過程を書いておられます。
そこには幼い頃からの孤独と苦難の自分史が書かれています。
昭和16年生まれで戦後の荒廃した時代を生きぬいて来られた
窪島さんの半生記は同じ時代を生きてきた者として伴走者のような
感じで理解し易く読めました。一番強く心に残ったことは、
窪島さんが実親から受け継がれたエネルギッシュで非凡な
遺伝子(DNA)のなせる業のようなものです。
2歳の時に実親に手放され、靴修理職人の養父母の下で実子として
育てられたわけです。昔から、又あの時代、子供を養子に
出すことは珍しいことではありませんでした。
きっと「栴檀は双葉より芳し」の男児だったのでしょう。
養父母は貧しくはあったけど、実の息子として将来も見込んで
一生懸命育てられたようです。しかし、物心つく前から、
両親に外見や性格や考え方も違和感を覚えておられたようです。
因みに2歳の時の記憶をはっきり覚えている人は殆どいないと
思うのですが漠然とした環境の変化は残るのではないでしょうか?
私は3歳半頃に引っ越しをしたのですが、生まれ育った家の
間取りの半分位や庭や縁側からの眺めは憶えています。